☆ライプチヒ(Lipzig)5/28~30
ドレスデンからライプチヒまではICEで1時間余り。
ライプチヒ中央駅に到着したICE なかなか見た目も乗り心地もgood!
ヨーロッパの鉄道は基本的に機関車牽引であり、モーターが各車両についていないので静かなのだろう。
1等車は横3列なのでゆったり、ただし、前にもいったが 座席の向きが変えられないので逆方向向きは少し違和感がある。方向を変えられる様にすればいいのに何故しないのだろうか。単なるヨーロッパ人、特にドイツ人の頑固さのせいなんだろうか。
ライプチヒ中央駅に着いてホテルに向かう。歩いても10分とかからない便利な場所だ。InterCityHotel Leipzig で2泊朝食付きで36000円/2人 部屋も気持ちよくまずまず
これは翌日の朝食風景。多分1才児の2卵性双生児だろう、よく似た男女の赤ちゃんでしぐさもよく似てかわいかった。
話は戻り、荷物をホテルに置いて 早速旧市街の トーマス教会に向かう。今日は土曜日なので15:00からトーマス教会少年合唱団がバッハのカンタータを、ゲバントハウスの伴奏で歌うという。着いてみると 凄い人の列 入場開始後もなかなか入口にたどり着けない。もう満員だというのを無理やり入った。教会の中は超満員。
席に座れないので通路に座る。でも入ってよかった!素晴らしい歌声、こう言っては失礼だが「お風呂屋効果」少しプラスで・・・。途中で何の歌だろう、歌詞を見ながら観客も皆で歌う場面があった。中身は分からないが感動的であった。カウンターテナー、バリトンなどの独唱も交え素晴らしいひと時であった。
教会のステンドグラスには バッハの肖像もあった。
トーマス教会遠景
トーマス教会のすぐ近くに バッハ博物館がある。バッハに関するあらゆる?資料が保管されていて 例えば当時の傷みやすい楽譜の修復、復元作業も行っているという。バッハは後述のメンデルスゾーンが、一度は忘れ去られていたバッハを掘りおこしたということだが まさしくドイツのブルジョワジーの時代、国民国家の成立の時代の統合の象徴の一つだったんだろうな。今またECが揺れ動いている時期にも 少なくともドイツ統合の象徴が必要なんだろうな。
おそまつ!
翌日は列車で1時間余りのワイマール(Weimer)へ小トリップ。
この地名は聞いたことがある人も多いだろうが、第一次大戦後 ドイツが敗戦後に民主国家に生まれ変わろうと作った憲法がここで作られた。内容は素晴らしかったが、ヒットラーに蹂躙され全く骨抜きにされたが、内容は素晴らしいものであった。
ワイマールと言えば やはりドイツが誇るゲーテ これはゲーテハウスの内部であるが、ゲーテは高級官僚であり、詩人であり、作家であり・・・・、どうも私は ゲーテは ドイツ近代の天才ではなく、近代ドイツの レオナルドダビンチ たらんとしたのではないかと思う。博物館を見ても もちろん天才の風格は感じられるが、何か無理をしているような 近代ドイツの一つの核とならんとする 政治的情念、怨念が感じられた。
ここはゲーテハウスの中庭、
そしてゲーテとシラーの銅像
ワイマールはこじんまりとしていてなかなか落ち着いた街だ。
なお、ゲーテハウスからもう少し奥に行くと 広い公園が広がっていて それに面して 小さなリストハウスがあった。
ワイマールから再び ライプチヒに急いで引き返す。今晩 ライプチヒオペラハウスでの モーツアルトの「魔笛」のチケットを入手しているからだ。
ライプチヒオペラハウスはちょうど広場を挟んで ゲバントハウスのコンサートホールに面して、対峙して建てられている。またオペラハウスから見て右手にライプチヒ大学のガラス張りの学舎が威風堂々と立っている。
ライプチヒオペラハウス
ライプチヒ大学
ライプチヒオペラハウス 割とこじんまりしたオペラハウスで、昔風のバルコニー席はないシンプルなよい劇場である。
今日の出し物は モーツアルトの「魔笛」 それなりに素晴らしかったが2点大問題がある。
【オペラの駄演出】一つは「夜の女王のアリア」である。歌手はソプラノのいい声でアリアを歌っていたが、歌う場所は、図書館の一隅 演出者はよほど馬鹿者に違いない。この場面は まだ夜の女王もものすごく、ザラストラと十分に張り合うち力関係を持ち、力を誇示する歌だったはずだ。これでぶち壊しだ!と言うことも分からないのだろうか?
。
二つ目は、最後の場面 チェルノブイリを思わせる絵を背景に置き、本来は「ザラストロは試練に打ち勝ったタミーノ、パミーナたちを祝福して、太陽神の子オリシスとイシスを讃えたのでした。」めでたし、めでたし で終わるはずなのに、ここでは背景に何やら チェルノブイリを思わせるような建物群が聳え立つ中、ザラストラやその仲間は喜んでいるのだが、タミーノ、パミーナは嘆き悲しんでいるところで終わっている。まあこれはこれで許せる。
しかし、一番目は全く分かってないとしか言いようのない 駄演出であった。
翌 5/30午前は ゲバントハウスのホールの先にある メンデルスゾーンハウスへ向かった。
メンデルスゾーンハウス 資料が整っており、またオーディオガイドで説明のみならず関連する彼の音楽演奏も聞こえてくる。
【ドイツ音楽界の大きな恩人はメンデルスゾーンだ】メンデルスゾーンはハンブルグの生まれのユダヤ系の人である。最初のベルリンの地ではいまいちで ライプチヒに来てからその実力が発揮された。彼はここでライプチヒ音楽院を開き音楽教育に熱心に取り組むとともに、ゲバントハウスを中心とする演奏活動、作曲活動にも積極的に取り組んだ。
(当時のゲバントハウスのホールなどの模型→ゲバントハウスとは織物会館のことでここの最上階をコンサートホールに改造したことからそういう名がついている。)
彼は忘れ去られていたバッハを再発見、再評価した人でもある。彼はユダヤ人であったのでいろいろと差別などを受けたが、祖父、両親などが彼をコスモポリタンとして育て上げたことも彼の人間性、音楽性が素晴らしいことの大きな要因だろう。ゲーテは彼を大きく評価している。
ワーグナーはメンデルスゾーンを評価しないどころか相当こき下ろしていたようだ。ワーグナーの心の中には「ヒットラー的思考」「ユダヤ人差別」感が根強くあったのではなかろうか。その差別感?からか、第2次世界大戦が終わってからも「もう彼の音楽は時代遅れだ。」などと評価されていたらしい。これを遺憾と思い、復権に尽力し、メンデルスゾーンハウスなどの創立に大いに貢献したのは、戦後ゲバントハウスの首席指揮者になった マズア であったという。(東ドイツ、共産圏側が再評価したというのも面白い!)