Toshichanの独り言

海外、国内旅行の旅日記。私の俳句手帳、などなど筆の進むままに書き連ねてまいります。

ドイツ、オーストリア、スロバキアゆったりテンコ盛りの旅 11(ベルリン1)

2016年07月13日 | 旅行

☆ベルリン Berlin 6/1~6/5

ベルニゲローデに戻り、HEXと言う私鉄を乗り継ぎ(1回乗換)、ブラウンシュバイクでICEに乗り替え3時間かかってベルリンに到着。途中うとうとしていて危うく乗り替え損ねるところであった。
ホテルは H10 Berlin Ku'dammと言うなかなか良いホテルでツオー駅(動物園前)に近く便利でもあった。(6/1~6/3は€290/2日・2人、6/3~6/5は€247/1人・2日)

早速街に出る。まずポツダム広場

 

相当の都市再開発を行ったのだろう。大きなビル群が壁のように建っているというか、軒を連ねているのは壮観だ。この近くに フィルハーモニーのホールや、楽器博物館や絵画館などがあるがそれは後述。

ポツダム広場にベルリンの壁のほんの一部が残っている。本格的?に残っているのはここより東の方に行ったところにある、オスト駅の近くの「イーストサイドギャラリー」
ここは1.3kmにわたって壁が残っておりドイツ内外の作家が描いた絵が(落書きはされているものの)残っている。

やはり圧巻はこの絵「ソ連のブレジネフ書記長と東ドイツのホーネッカー首相の熱いキス」だろう。壁は1989年に壊され、その時のソ連書記長はゴルバチョフだったが、ブレジネフはその前の親玉。両国の蜜月時代を物語っている。
余談であるが 壁があった時代、社会主義国の拡大を防ぐために、資本主義国も ある程度社会主義的政策を取り、社会、経済、国民を懐柔していたが、ベルリンの壁崩壊後 怖いものなしになった資本主義国はむき出しの資本主義で社会、経済、国民を蹂躙し出してきてる。貧富格差拡大、グローバリズムの名のもとにむき出しの金の猛威など このまま破滅、破壊に突き進みそうである。

話は元に戻し、ポツダム広場からブランデンブルグ門に至る道の右側に ユダヤ人犠牲者記念館がある。2700余りのブロックがあり、この間を通れるが何か敬虔な気分になる。

またポツダム広場から東南東1kmのところに ユダヤ博物館がある。

まずこの建物が凄い。入ると地下から順路が始まるが、地下の通路は薄暗く、進行方向に傾斜があるばかりではなく、左右が水平ではなくやや傾斜を持っていて、何か不安定感を与える。上の写真はジェノサイド を現す行き止まりの空間。

 そして2階の展示室 顔の造形が何百、何千と置かれている。これも見ごたえがある。元論ユダヤ人の迫害の詳しい資料や写真も多かったが 正直言語の問題などでよく分からなかったが 伝わってくる迫力は本物だった。

さて話は元に戻し、ベルリンの中心?のブランデンブルグ門 18世紀後半に作られたものである。上に乗っている勝利の女神と4頭立ての馬車はナポレオンが戦利品として持ち帰ったが後に返還されたという。

ブランデンブルグ門

地下鉄の窓ガラス ブランデンブルグ門の意匠が刻んでありなかなか面白い。

 次は 博物館島 狭いところに5つの博物館が集まっている。まずはベルガモン博物館

 ミトレスの市場門

 

イシュタール門 

なお、ゼウス大祭壇などのある北翼は工事中のため入れなかった。
まあしかし、こんな大きな祭壇をよくぞまあ奪い取って、堂々と陳列してあるものだな。

大英博物館にもこれと同じような建造物があったような気もするが、ドイツも出遅れた帝国主義で先行したイギリス帝国主義に負けまいと盗ってきたんだろうな。でも幸か不幸か、今イスラムの国々が荒れている時、結果的には遺跡の保存には役立ったわけだ。

ベルガモン博物館の横に 旧ナショナルギャラリーがあり、ドイツ18~20世紀の絵画と、フランス印象派の絵画が展示されていた。ポツダム広場近くの絵画館よりこっちの方が面白かった。

折角 チケットを買ったので 上の写真の新美術館(名前とは違って?内容はエジプトの博物館)、旧美術館なども駆け足で回った。

 



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