治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

情けは人のためならず 生まれて初めての交通事故ご報告 その2

2024-11-30 07:11:51 | 日記
車道に投げ出された私に、わっとたくさんの人が寄ってきました。バイクの彼も含めて。
危ないから動きましょう、と言われて助け起こされるのですが、そのときは立ち上がれなかったのです。「ちょっと待って。立ち上がれないから」と私は言って、一息ついて、そしてやがて動けるようになって手を借りて立ち上がりました。
その間交通を止めていたのですから、大騒ぎになります。
こっちの主観としては「こっちは人命なのだから、ちょっと車はよけてくれる?」みたいな感じだし、正当な要求だったと思います。

バイクの彼は言いました。
「前見ていなかったでしょう」
いや、前は見ていましたけど。あなた横にいたでしょう。
と私は思いました。
彼の傍らには「私のせいで」とか言っている中年女性がいます。
「警察呼ばないと」としゅっとした紳士が言いました。
警察・・・すごくめんどくさそう・・・と私は思いました。

「身体大丈夫ですか?」とバイクの彼。
「大丈夫です。実質普通の落車ですから」と私。
「じゃ」と立ち去ろうとしていく彼。私は一応「ナンバープレートだけ撮影させてもらいますね」とスマホで撮りました。そこで解散! としようとしたところ、紳士がかなりきつい調子で「警察呼ばないとだめだ。後遺症だってあるかもしれないから、記録を取ってもらわないと」といいました。とにかくこういうときは、大事がなくても警察を呼ぶものらしいです。私は知りませんでした。初めてのことだったので。
私の逡巡は、「病院行って診断書取れとか言われたらめんどくさいな」でした。何より大嫌いな病院。警察は、病院行けとか言わないだろうか。でも紳士がついに「僕が110番しましょうか」とスマホを取り出すのをみて、自分で110番しました。警察は「相手のバイクのドライバーはいますか?」でした。えっと、と思ったら、彼は周りの人たち含紳士に「ここにいなきゃだめだ」と諭されて、邪魔にならないところにバイクを停め、こっちにやってくるところでした。ちなみに私のクロスバイクは、親切な誰かの手によって歩道に確保されていました。

「ドライバーの方、今ここにいらっしゃいます」と私は警察に言いました。警「どんな人ですか?」私「若い男性です」警「どれくらいの?」

う~ん。若い男性の区別がつきませんが、まあ20代か30代、と答えました。ぶるぶる震えています。警察はともかく二人そろってそこで待っていてくれということでした。

電話を切ると彼がきいていました。「仕事とか間に合うんですか」。仕事ねえ。大丈夫。っていうかいわば、悠々自適のアラカンです。そして彼は、何かをどこかに何時までかに届けなければいけないデリバリーのお仕事ということ。私「引き留めて申し訳ない。ケガもこのとおり、たいしたことないから」と私は言いました。彼「免許とか点数引かれると、職場でうるさいんです」

その時に決心したのは、この子は守ろう、全て自分がかぶろう、ということでした。私には失うものはない。一か月療養したって暮らしていける。仕事しようと思えばベッドの上でもできる。でもこの若者にとって免許は生活の手段なのだから、点数を減らされるだけで勤務先にいやな顔されるんだから。
私は言いました。「これはただの落車だし、あなたに何か要求することはありません。自転車も私も保険に入っていますし。そこは安心してもらっていい」。
彼はほっとした顔をしました。

そこで私は、夫が20年ほど前に私たち二人のためにかなり立派な終身医療保険に入ったのを思い出しました。当時は、これほどケガも病気もしない人生になるとは思わなかったのです。その後私は医療が大嫌いになり、死亡診断書までは世話にならないつもりなので、全くのムダ金。毎年確定申告の時期だけ、保険に入っていることを思い出します。それで腹が立ってきます。
でもその日初めて医療保険に入っていてよかったと思いました。

そして神奈川県警から優秀なお巡りさんが四名到着。
彼と私が別々に事情聴取を受けます。私は「気が付いたら左にいて、目測の誤りでよけきれなくてハンドルと荷台がぶつかって転倒して投げ出された、とそのままです。そのときに先ほどの中年女性がやってきました。どうも彼女を避けるためにバイクはイレギュラーな動きをしたようで、彼女はそのことを証言しに戻ってきたのでした。

結論としては双方おとがめなし、でした。でも念のため連絡先は交換してくれ、と言われ、私たちは交換しました。何か連絡取りあうことがあるのか? と警察にきいたら、今後なんの問題も起こらなければ取らないでいい、とのこと。こっちから連絡を取ることはないので、金輪際でしょう。
あとは私の怪我。っていったって事故から事情聴取が済むまで30分、私は立ちっぱなしなんですけど。「病院行きますか?」ときかれて「行きません」と断言する私。事件番号みたいなのが書いた紙を渡され、解散となりました。私は、乗っても大丈夫だと思ったのですが、念のため自転車を転がして帰ることにしました。一キロくらいだったでしょうか。

痛む足を引きずりながら、自転車を転がします。順調です。ところが、高架下を渡る本の数段の階段とスロープを押し上げようと思ったとき、全然自転車を動かせなくなりました。やはり普通の状態ではない。

奮闘している私を見て、工事現場のおじさんが助けてくれました。自転車を引き上げ、道の向こうまで持って行ってくれました。私はお礼を言って、なんとか自分の身体だけは動かしました。それから家にたどりつき、駐輪場に駐輪して、お風呂を沸かしました。今日はもう、入浴して寝てしまおうと思ったのです。

強打した右脚には、内出血も見られませんでした。痛みをなんとか避けながら体を動かして身体を洗い、浴槽につかりました。あとで知ったのですが直後は冷やす方がいいらしく、ここであっためたのはいけなかったのかもしれません。それでもお風呂は気持よく、シャンプー&ドライヤーまで済ませると、ベッドにたどり着きました。なんとなく患部の脚を上にあげたほうがいいと思ったので、大昔に八景島シーパラダイスで買ったイルカ枕を足元に置きました。そこに右脚をあげるためには、腕の力を借りないといけませんでした。右脚に自分でイルカに上がる能力はなかったようでした。

それから、寝ました。って言ってもあまり眠れません。痛くない体制で寝ているので痛みで寝られないのではなく、寝返りのたびに起こされるのです。誰に? 脳に。

皆さんは寝返りできるできないが発達の指標であるのは当たり前の世代でしょうか。昔は知られていませんでした。それを一般に知らせたのも花風社の功績の一つだと思います。成人ASDの人は寝返りが自然にできないと証言していました。そして感覚統合の大先生は、わが子の寝返りができない様子を見て新生児のときから発達障害を疑ったということでした。小田原の大先生によると寝返りで人は疲れを取るそうです。極端に寝返りしない状況だと褥瘡等の問題もありますが、そこまで極端ではなくても、寝ている間の寝返りは疲労を取るわけです。

そして小田原の大先生によると「健康な身体とは疲れない身体ではなく寝たら疲れの取れる身体」。私の身体はまさにそうです。だから寝返りをしようとするのですが、いつものとおり自然に寝返っていたら患部が痛みます。そこで脳が(おそらく大脳皮質が)いちいち呼びかけてくるのでした。大脳「あの~。そろそろ寝返りした方がいいと思うんですけど、あなた今右脚痛めているじゃないですか。だから痛むと思うんですよね。いったん起きて、運動企画してから動いた方がいいです」。

こうやって寝返りのたびに起こされ、寝返りしてはまた眠る、の繰返しでした。そのうち、右脚がかゆいのに気づきました。痛いのではなくかゆい。「打ち身 かゆい」でぐぐってみると、炎症の修復のためヒスタミンが出ているそうです。ナイアシンフラッシュみたいなもんか。そうかこれが炎症か。じゃあ今後悲観的な思いが浮かんだとしても、それはミクログリアのせいかもしれないから、気にしないでおこう。



と思いつつまた眠りにつきます。

夫には、すぐに食べられるものを買ってきてほしいと言ってありました。自分はまったく食欲がありませんでした。野生動物は傷つくと食べずに動かないで治すそうですが、私も以前、東横線の渋谷駅がまだ高架上にあったころ酔っぱらって階段を落ちて朝気が付くと捻挫していたことがあり、そのときも全く食欲がないまま寝ていたら治りました。だから食欲がないのは自然なことですきっと。

現場から自宅まで自転車を転がして戻り、お風呂に入ってシャンプードライヤーまで済ませた私の身体能力は、なぜか完全にダメになっていました。トイレに行くのが一苦労でした。二足歩行というものは左右の足を交互に前に出す動きですが、それができないのですから。できないというより、ここもストップがかけられるのです。誰に? 脳に。一生懸命左右を交互に動かそうとしても、脳がこうとめるのです。脳「あの~、あなたの右脚今痛んでいるじゃないですか。軸足として当てにならないです。右足の前に左足を出すのは、やめたほうがいいですよ」私は右足を出し、なるべく体重をかけないように手で壁をつかみながら左足をすり足して動くことしかできませんでした。だから、移動にものすごく時間がかかります。トイレにたどり着くのが霞ケ浦一周くらいの達成感です。

やがて夫、帰宅。自転車を転がして帰ってきた、とか、お風呂に入った、と報告していたので、もっと動けると思ったらしくあまりに動けなくなっている私を見てびっくりしていました。彼も相当な医者嫌いではありますが「やはり病院行った方がいい?」とかいいます。「一緒に行ってあげる」と。

私は言いました。「救急車マターではない。そして普通のタクシーなら無理。この脚では下まで行けないから。介護タクシーしかないけど、左に寄せてきたのが介護タクシーだったから頼みたくない」夫「折れてる感じはないの?」私「ない(断言・骨折したことないけど)。それより寝るわ。寝る子は治る」

寝る子は治る。

これも花風社が繰返し言ってきたこと。
睡眠の大切さ。

ちなみに、この間母には一切連絡していませんでした。
大騒ぎになることを思うと、うんざりしました。
それともう一つ、こういうのって案外二日目の方が悪くなったりするので、二日目の朝を見極めてから様子を知らせようと思いました。

そして二日目の朝目覚めた私は
はっきりと治ってきているのを知りました。
なぜなら一晩中、脳に起こされることなく、眠り続けたから。
つまり、自然に寝返りができるところまで、右脚は回復していました。

続く

最新の画像もっと見る