
さて、人の不幸は密の味。
まだ花風社アンチが存在しているかどうかはわかりませんが
この連載のアクセスがそれなりに多かったら
まだ連中は存在しているのだと判断しようと思います。
医療の悪口を言い続けている私に対し
「そんなこと言ってもいざというときは世話になるくせに」
と言っていたあの連中。
いざというとき、世話になるのは当たり前です。
私は国民皆保険という、健康で病気をしないように自費で努力している真面目な人々に対する酷い搾取体制のもと
毎月毎月保険料を納め(させられ)ているのですから、いわばスポンサー。
もし「いつかは世話になるのだから医療の悪口をやめろ」というのなら、それは医療側による、命を人質に取った脅しであります。
かつては「再分配機能」として納得していたこの国民皆保険という名の収奪システムですが
発達障害ギョーカイの連中が、金取っておきながら治らないと言い張り、それだけではなく治したいと願う親たちを罵倒し治す知見を伝えようとする私に集団リンチを仕掛けてきたことに呆れていた矢先、コロナ禍が起きました。
国民皆保険というかたちで先に金取っておきながら発熱患者も見捨て、医療崩壊を防ぐという名目のもとに政府にタカリ、マスク強制出産という他の国では見ない残虐な医療行為をし、あげくの果てに世界でビリ。
日本の医療は世界最低。
そんな医療に世話になるのは、死亡診断書だけで結構。
それは「花風社 夏祭り 第一部」で宣言した通りです。
もちろん事故はあるでしょう。でも事故も身体アプローチでかなり防げるはず、という信念のもとにやってきました。
今年の夏、実母が転んで腕を骨折しました。
そのときの整形外科医体験で、余計医療が嫌いになりました
自分はケガのない人生でした。スポーツ系の自転車を余生の趣味にはしたいけど、怪我のないように、とても気を付けていました。
自転車界隈でケガの報告はしょっちゅうです。
怪我してもケガしても乗る人たちです。
でも私は怪我を乗り切る自信がありませんでした。
理由はただ一つ。したことがないからです。手術とか、入院とか、したことのない人には恐怖でした。だから私は、ケガしたらそこで人生が終わると思いこんでいました。
けれども今回のケガで、人生は終わりませんでした。
まだ、続くようです。
遡ること11月25日午前中
私は翌々日に迫った実母89歳のお誕生日のため
自宅から1・5キロ、母の家から500メートルくらいのところにある和食屋に席を取りました。
それを母に知らせ
そして大荷物を背負ってクロスバイクで所用へお出かけ。
ビジネス街であるわが町がにぎわうお昼時でした。
車道の一番左を走るのがお約束。
ただ、都会の道は路駐が多く
それが自転車乗りには厄介です。
路駐しているトラック等を避けながら
右に通る車に気をつけながら走ります。
たいていは車の方も気を使ってくれるのですが
その日はぴったりと車に寄せられました。
どういう車か。
「介護タクシー」と書いてあります。
私の大嫌いな、医療福祉業界、そして介護業界。
公金チューチュー国民の敵。
タクシー業者まで根性腐っているのか、と思いました。
赤信号で待ちます。
隣にはぴたりと介護タクシー。
青信号になったのでダッシュ。
とそのとき
ふいに横道からバイクが現れたのです。
あとできいた夫は「それはありえないだろう。直進優先だ。自転車の左隣にバイクがいるのはありえない」といいました。
考えてみるとたしかにそのとおりで、私もとっさによけようとしたのでしょう。
ただ、右にはその介護タクシーがぴったりいます。右には寄れません。
これもあとできいた夫は「当たり前だ! 右に寄ったらだめだ」といいました。
きっと私もその判断をして、だから右に寄り過ぎずに
ぎりぎりのところでバイクをよけようとしました。
ただ、夫も経験があるそうですが、バイクってライダー部分より荷物部分が出っ張っているのです。
ライダー部分を避けられても、荷物部分に引っかかる。
そのでっぱりにクロスバイクのハンドルが押されるかたちになり
私の自転車は転倒し、荷物を背負った私ごと、昼休みでにぎわうオフィス街の車道の上に投げ出されたのでした。
それが月曜日の話。
で、今この記事を書いているのは金曜日。
皆さんの安心のために書いておくと、私は今自宅にいて、普通に歩いております。月曜日と火曜日は歩けませんでした。アーロンチェアーを車いす代わりにして家の中を動きました。水曜日は伝わり歩きができるようになりました。水曜日の夜、夫が歩行器を組み立ててくれました。木曜日にその歩行器で歩くことを覚え、歩行器をリハビリに使いました。そして金曜日の今日は、歩行器なしで歩いています。脚に凝りはありますので、まだ静養していた方がいいとは思いますが、全く歩かないのもよくないので、自主リハビリしております。
この五日間は色々なことがわかりました。
まずわかったのは
・脳ってやっぱり司令塔。身体全体を見ていて指令を下す。
っていうこと。治っていく過程で、よ~くわかりました。それと
・ケガをするのはやはり身体がどんくさいから
っていうこと。それと
・ケガは人生の終わりだと思ってたけど、そうでもない
ていうこと。そして
・交通事故にあったからって別に病院行かなくてもいい。
ていうこと。ていうか、率直に言って、病院行かない方が治りが早いと思う。こういうこというと「後遺症ガー」の連中が湧いてくると思いますが、それも含めて連載していきますのでちょっと待って。
そして
・自分の脳と身体のつながりをみて、発達援助にさらなるヒントが
です。
身体って本当に、治ろうとすごいシステムが備わっています。
ともかく、
無事です。
そこはご安心ください。私を応援してくださる方々は。
アンチはちょこっとがっかりするかもしれないけど。
そしてそして何よりわかったことは、タイトルにあるとおり
・情けは人のためならず
っていうことです。そのことを実感した出来事でした。
続く
(ちなみに黄色本こと『自閉っ子の心身をラクにしよう!』はとても役立ちました。あの本を出していてよかったです。小田原の大先生、きっと読んでないでしょうけど、ありがとう)
まだ花風社アンチが存在しているかどうかはわかりませんが
この連載のアクセスがそれなりに多かったら
まだ連中は存在しているのだと判断しようと思います。
医療の悪口を言い続けている私に対し
「そんなこと言ってもいざというときは世話になるくせに」
と言っていたあの連中。
いざというとき、世話になるのは当たり前です。
私は国民皆保険という、健康で病気をしないように自費で努力している真面目な人々に対する酷い搾取体制のもと
毎月毎月保険料を納め(させられ)ているのですから、いわばスポンサー。
もし「いつかは世話になるのだから医療の悪口をやめろ」というのなら、それは医療側による、命を人質に取った脅しであります。
かつては「再分配機能」として納得していたこの国民皆保険という名の収奪システムですが
発達障害ギョーカイの連中が、金取っておきながら治らないと言い張り、それだけではなく治したいと願う親たちを罵倒し治す知見を伝えようとする私に集団リンチを仕掛けてきたことに呆れていた矢先、コロナ禍が起きました。
国民皆保険というかたちで先に金取っておきながら発熱患者も見捨て、医療崩壊を防ぐという名目のもとに政府にタカリ、マスク強制出産という他の国では見ない残虐な医療行為をし、あげくの果てに世界でビリ。
日本の医療は世界最低。
そんな医療に世話になるのは、死亡診断書だけで結構。
それは「花風社 夏祭り 第一部」で宣言した通りです。
もちろん事故はあるでしょう。でも事故も身体アプローチでかなり防げるはず、という信念のもとにやってきました。
今年の夏、実母が転んで腕を骨折しました。
そのときの整形外科医体験で、余計医療が嫌いになりました
自分はケガのない人生でした。スポーツ系の自転車を余生の趣味にはしたいけど、怪我のないように、とても気を付けていました。
自転車界隈でケガの報告はしょっちゅうです。
怪我してもケガしても乗る人たちです。
でも私は怪我を乗り切る自信がありませんでした。
理由はただ一つ。したことがないからです。手術とか、入院とか、したことのない人には恐怖でした。だから私は、ケガしたらそこで人生が終わると思いこんでいました。
けれども今回のケガで、人生は終わりませんでした。
まだ、続くようです。
遡ること11月25日午前中
私は翌々日に迫った実母89歳のお誕生日のため
自宅から1・5キロ、母の家から500メートルくらいのところにある和食屋に席を取りました。
それを母に知らせ
そして大荷物を背負ってクロスバイクで所用へお出かけ。
ビジネス街であるわが町がにぎわうお昼時でした。
車道の一番左を走るのがお約束。
ただ、都会の道は路駐が多く
それが自転車乗りには厄介です。
路駐しているトラック等を避けながら
右に通る車に気をつけながら走ります。
たいていは車の方も気を使ってくれるのですが
その日はぴったりと車に寄せられました。
どういう車か。
「介護タクシー」と書いてあります。
私の大嫌いな、医療福祉業界、そして介護業界。
公金チューチュー国民の敵。
タクシー業者まで根性腐っているのか、と思いました。
赤信号で待ちます。
隣にはぴたりと介護タクシー。
青信号になったのでダッシュ。
とそのとき
ふいに横道からバイクが現れたのです。
あとできいた夫は「それはありえないだろう。直進優先だ。自転車の左隣にバイクがいるのはありえない」といいました。
考えてみるとたしかにそのとおりで、私もとっさによけようとしたのでしょう。
ただ、右にはその介護タクシーがぴったりいます。右には寄れません。
これもあとできいた夫は「当たり前だ! 右に寄ったらだめだ」といいました。
きっと私もその判断をして、だから右に寄り過ぎずに
ぎりぎりのところでバイクをよけようとしました。
ただ、夫も経験があるそうですが、バイクってライダー部分より荷物部分が出っ張っているのです。
ライダー部分を避けられても、荷物部分に引っかかる。
そのでっぱりにクロスバイクのハンドルが押されるかたちになり
私の自転車は転倒し、荷物を背負った私ごと、昼休みでにぎわうオフィス街の車道の上に投げ出されたのでした。
それが月曜日の話。
で、今この記事を書いているのは金曜日。
皆さんの安心のために書いておくと、私は今自宅にいて、普通に歩いております。月曜日と火曜日は歩けませんでした。アーロンチェアーを車いす代わりにして家の中を動きました。水曜日は伝わり歩きができるようになりました。水曜日の夜、夫が歩行器を組み立ててくれました。木曜日にその歩行器で歩くことを覚え、歩行器をリハビリに使いました。そして金曜日の今日は、歩行器なしで歩いています。脚に凝りはありますので、まだ静養していた方がいいとは思いますが、全く歩かないのもよくないので、自主リハビリしております。
この五日間は色々なことがわかりました。
まずわかったのは
・脳ってやっぱり司令塔。身体全体を見ていて指令を下す。
っていうこと。治っていく過程で、よ~くわかりました。それと
・ケガをするのはやはり身体がどんくさいから
っていうこと。それと
・ケガは人生の終わりだと思ってたけど、そうでもない
ていうこと。そして
・交通事故にあったからって別に病院行かなくてもいい。
ていうこと。ていうか、率直に言って、病院行かない方が治りが早いと思う。こういうこというと「後遺症ガー」の連中が湧いてくると思いますが、それも含めて連載していきますのでちょっと待って。
そして
・自分の脳と身体のつながりをみて、発達援助にさらなるヒントが
です。
身体って本当に、治ろうとすごいシステムが備わっています。
ともかく、
無事です。
そこはご安心ください。私を応援してくださる方々は。
アンチはちょこっとがっかりするかもしれないけど。
そしてそして何よりわかったことは、タイトルにあるとおり
・情けは人のためならず
っていうことです。そのことを実感した出来事でした。
続く
(ちなみに黄色本こと『自閉っ子の心身をラクにしよう!』はとても役立ちました。あの本を出していてよかったです。小田原の大先生、きっと読んでないでしょうけど、ありがとう)