ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

追悼 鶴見五郎

2022年09月15日 | プロレス
鶴見が亡くなってから、何とも、どう文章に纏めようか?
結構悩みました。
ジャイアント馬場に重宝された実は実力者だったから。
国際は地方局放送が少なかったので(私は大阪局)国際プロレスアワーが
観れませんでしたが、まあ独立愚連隊という吉原社長の
時代を先取りし過ぎた日本人ヒールチームがグレート草津の
冷遇マッチメイクでどれだけ放送されたか?
国際最期の羅臼大会でメインイベント、ギャラは払われなかったのでしょうかね?
私のプロレスリアルタイムは、鶴見が国際崩壊後、ヨーロッパでの闘いから
全日本プロレスに上がっていた頃ですね。
アフロヘアに悪そうな髭面、アンコ型体型でヒール組に付き
凶器攻撃をするも大抵負け役。
対戦カードを見ると「ああ鶴見か。鶴見が負けるだろう」と直ぐ思う
負け役。その鶴見が話題になったのは、国際プロレスの同門
阿修羅原とのシングルマッチ。
私はお小遣い150円で週刊ファイトや大阪スポーツを購入するのがやっとでしたので。
母の同窓の息子、兵庫県西宮市夙川の大ちゃんがプロレス好きで
毎月雑誌買っているという事で阪急伊丹線から電車に乗り夙川迄行き
豪華な月間ゴングやプロレス&ボクシングを見せて貰うと
「原vs鶴見」がデカデカと記事になっている。全日本プロレス第四の男となった
阿修羅原と名勝負を披露したというのですから。
(あら?時系列が違い東京転勤してました。此方のお金持ちな友達の家でかも)

追悼・鶴見五郎さん、本人が語った「オレの生涯ベストバウト」



本人は世界最強タッグでのモンゴリアンと組んで対戦した
ハンセン、ブロディ戦を挙げておりましたが。
鶴見を観れたのはSWSに行くまでの地上波で観れた全日本プロレスでしたね
ジャンボ鶴田様に後ろに反り返らない「ゴロースープレックス」と呼ばれる
フロントスープレックスは印象的でした。
何だ、鶴田みたいに投げられないじゃん、なんて当時は思っていたのですが
アマレス出身の鶴見の素晴らしいスープレックスですね。

SWS、NOW、ユニオンと移り完全にインディーの住民となっていた
鶴見。90年代、毎週週刊ゴングを購入しておりましたが
鶴見が反則をせずヒールの宇宙パワー軍団を次々なぎ倒して行く
後楽園ホールでの自主興行。
屋台プロレスを主な興行にしていた頃、深夜番組で特集されていた
鶴見の屋台村プロレス。鶴見市場で行われていた時かしら?
新日本プロレス辺りの華やかなプロレス興行が流れた後、
宇宙パワーやマミー達に凶器流血させられている鶴見の姿が写りました。
観戦に来ていた中高齢のご婦人が
「私はTVのプロレスよりこっちのプロレスの方が好みなの」
そうインタビューに応えていたシーンが印象的でした。
もしかしたら、力道山、馬場、猪木が
凶悪アメリカ人に流血苦戦しながら、反撃し熱狂されていた時代を
照らし合せていたのかしら?敗戦でアメリカコンプレックスとなっていた
日本人がアメリカ人をはじめ外国人のヒールレスラーをなぎ倒す
力道山の姿に胸をスッキリさせていた光景を
鶴見の闘う姿に照らし合せていたのかな?と。
私も、こういうコテコテ流血プロレスが好きですがね。
そして、長州力による強烈なインディー批判となった
東京ドームの鶴見vsマミー戦。ダイブして失神という大失態を犯した
マミーをマイクアピールで必死に擁護する姿。
自分が主催するプロレス団体の大失態ですからね。
しかしハプニングをSTFでフィニッシュと巧く試合として纏め上げた
鶴見の凄さ。逆にこういうハプニングが起きた時、長州は対応出来ただろうか?とも。

ヨーロッパやイギリス、メキシコ、カナダ等、世界各国のスタイルを
会得して来た鶴見。ランカシャーレスリングもすればルチャスタイルにも合わせる。
アポロ菅原が合わせれる鶴見さんは凄いなと思ったと
国際プロレスの道場時代を振り返って語っていましたな。
後、ルックスに寄らず手先が器用で国際血盟軍の旗を自作した事、
水の合わないメキシコで痩せ、次々と脱落して行く日本人が多かった中
鶴見は自炊していたので痩せずに済んだという逸話やら。
ドクトルワグナーからUWAかNWAのライトヘビー級王座を
奪ったやら、実はそうでない説やら。
後、国際プロレスの象徴IWA世界ヘビー級ベルトを所有していたのは
鶴見でしたな。弟子(佐野直?)がオークション出展し無事落札した後
落札価格に納得行かずネットオークションではタブーな落札後トラブルをして
何とか落札者の方と話が付いたとの逸話。(コレ話して良い事だったんかしら?お弟子さん)
バケモノばかりの日本プロレスが好きでは無く、洗練されたレスリングを魅せていた
国際プロレスに最初から入門希望だったという鶴見。
やはり国際プロレスへの想いは強かったのでしょう。IWAという団体名を付け
最期迄国際プロレスレスラー拘り看板を背負った様な。
寂しいですね。良かった頃のレスラーが亡くなって行く事。
国際は特に多い。
名バイプレイヤーのプロレスラー鶴見五郎。
ご冥福をお祈りします。

鶴見五郎さんの登場!いよいよ来ました! 国際プロレスのレジェンド

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