おはようございます😀
昨日は、いつものスーパーでの買物でした。
妻が買物に参加してくれるので助かります。
妻は、あまり自由に外出できず苦しんでるのに、自分が買物がしんどそうなのを感じ助けてくれます。
妻が着飾ると、決まってるのでドキドキします。
「本当にいつもの妻なの?」と驚きます。
まあ、化けること!
話しは、変わりますがよく乗り越えられない試練はないと言われます。
神様は、いつもその人がチャレンジしても必ず乗り越えられる事しか試練を与えないと‥。
自分も神様は、必ず自分達を見て下さると思います。
神社に行くと、神社の中には何もなく真正面の奥に鏡が置いてあり、その鏡に自分を映し(かがみ)の、が(我)を除き、かみ(神)を見つめなおしに行くと本で読みました。
自分の中には、神がいていつもは我がでてるので、神聖化できませんが確かに神がいるんです。
神社によく祈るのは、よくないと言うのは、自分に祈っても仕方ないから。
賽銭を神様に与えるのでなしに、自分がこのような人間になりたいですという投資のお金です。
よく本に書いてあるのは、ポチ袋に名前を書きそっと滑らすように賽銭箱に入れた方が良いとあります。
新しい新札を使い、邪念のないお札で願うのが良いとか‥。
自分の中には、神がいると知りもしかして試練というのは、自分がこの世に生まれてくる前に自分自身が決めてきてるのかもしれないと思い始めました。
よく生まれてくら前に自分の人生を決めてこの世に生まれてくると本に書いてます。
という事は、神様が必ず乗り越えられる試練を与えてるのでなしに、自分自身が必ず乗り越えられる試練を生まれてくる前に決めてるのではないかと思います。
よく試練があると、自分自身を信じる事が大事だと聞くのは、自分が決めてきた試練だからなのかもと思います。
神様も凄い存在かも知れませんが、人間一人一人も小さな神様の様な存在なんだと思います。
自分なんてとバカにするのは、大きな神様をバカにしてるのかも‥。
そんな事を考えてます。
そろそろ今日のブログを終えたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます😀