(1980年1月25日 - 2009年3月7日)
ハングル 장자연
漢字 張紫妍
ローマ字 Jang Ja-yeon
漢字 張紫妍
ローマ字 Jang Ja-yeon
2009年3月7日に『花より男子』の放映が終了する3週間前に京畿道城南市の盆唐区にある自宅で首を吊っているのが発見された。
自殺する1週間前にはマネージャーに手紙を渡しており、それによれば、所属事務所から番組プロデューサーや番組の広告主である企業の重役に対して接待を強要されていたとされている。手紙には彼らの実名が記載されていたほか、接待の内容としてゴルフや酒の席などのみならず、性上納(枕営業、性的接待)をも強要されていたと綴られている。
故チャン・ジャヨン氏 手紙の内容は
"社長が服代をくれたら接待強要、所属会社の密室で幻覚パーティー…
母親の法事の日にも呼ばれて"
1年半のみじめな瞬間ぎっしりと…性接待 名簿存在暗示も
"何人にノリゲ(おもちゃ)にされたかを思うと、すべてが長い長い悪夢であってくれたららと思う。" 2009年、自ら命を絶ったタレント チャン・ジャヨン(当時29才)氏が生前に知人チョン・某(31)氏に親筆で書き送ったと知られた手紙には、チャン氏が芸能界で生き残るために体験しなければならなかったおぞましい瞬間が痛々しく記録されている。
8日<ハンギョレ>が入手した手紙を見れば、チャン氏は「辛いのは当然で酒席接待までは我慢できると思うけれど、皆が揃って からだを要求するので本当に狂ってしまいそうだ」として苦しみを訴えていた。
チャン氏は手紙に「キム社長(当時 企画会社社長)が服代をくれる時は、新しい服に変われば、また別の人を酒席接待、本当にとても残忍で麻薬のようなもので酔い、冗談ではない。どれほど恐ろしいか…しろと言われるままに酒接(待_)・性(上)納、今まで苦痛を受けた売春婦のように、すべてが悪夢だった」と書いた。チャン氏は知人チョン氏が付けてくれたという‘ソルファ’というペンネームで書いた50通余り(230余ページ分量)の手紙にその間の残酷な瞬間をぎっしりと記録した。
チャン氏は母親の法事の日にも酒席接待に出て行かなければならなかったとし惨い記憶を振り返った。「報道機関、放送会社、金融会社、ディレクター(PD),監督、企画会社代表ら…母の法事の日にも出た変態×、中毒者などに酒接待×の目にあわされて…。」特に手紙の内容を見ればチャン氏に対してこうしたことが何と1年6ヶ月間も続いたということが察せられる。
有名芸能人の地位が目の前に迫ったような状況で企画会社側に縛られた自身の立場を嘆く内容も多かった。「避けたくても…私の関連弱点はみな作られていたので、こうすることもああすることも思い通りには動くこともできないソルファ ジャヨンです。本当に皆 殺してしまいほど。夢の中でも…。」
手紙にはチャン氏が性接待をしたという企業・報道機関代表の名前と身上情報を別に記録しておいたと具体的に言及した部分もある。チャン氏は手紙に「企画会社代表6人、大企業代表そして幹部ら6人、金融会社幹部2人、日刊紙新聞社記者出身、IT○○新聞社代表そして幹部2人、日刊紙新聞社代表2人<○○日報>等、ドラマ外注製作社ディレクター7人、映画など監督8人、専属契約前と契約して所属会社社長に性(上)納は基本だった」と書いた。日常的な接待の席を除き、チャン氏から接待を受けた言論・放送・金融界などの高位要人だけで31人に達するとチャン氏は手紙で暴露した。チャン氏はまた「今は(31人)名前だけ書いて送るよ。監督・ディレクターらは一番最後に別に書くから」と書き、性接待を受けたとした人々の名簿が存在することを暗示した。
以前に警察の調査を通じて知らされたように、チャン氏は所属会社3階の密室などで酒の宴席、幻覚パーティーをしなければならなかったという内容も指摘した。
自身の悲劇的な‘自殺’を暗示する内容も随所に見受けられた。チャン氏は「契約期間はまだ1年以上残っているけど、息がつまって狂いそうだし、方法がなくて」、「死ねばすべてのことを終わりにできそうだけど…生きてきたことが不思議なほど」と書いた。結局、チャン氏は2009年3月 自ら生涯を終えた。
(ホン・ソクチェ記者2011-03-08 forchis@hani.co.kr)
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