Marquis de Sade
1740年6月2日 - 1814年12月2日
ドナスイェン・アルフォーンス・フランソワ・ド・サド
Donatien Alphonse François de Sade
オーストリアの精神医学者リヒャルト・フォン・クラフト=エビングは、「異常性欲」について、「フェティシズム」「同性愛」「サディズム」「マゾヒズム」の4つに分類している。
このうちの「サディズム」は、相手に対して、精神的で身体的な屈辱と苦痛を与えることによって性的な快楽や満足を得ることを意味し、サドの名前に因んで名付けられた。
サドの作品は暴力的なポルノグラフィーを含み、道徳的に、宗教的に、そして法律的に制約を受けず、哲学者の究極の自由(あるいは放逸)と、個人の肉体的快楽を最も高く追求することを原則としている。サドは虐待と放蕩の廉で、パリの刑務所と精神病院に入れられた。バスティーユ牢獄に11年、コンシェルジュリーに1か月、ビセートル病院(刑務所でもあった)に3年、要塞に2年、サン・ラザール監獄に1年、そしてシャラントン精神病院に13年入れられた。
サドの作品のほとんどは獄中で書かれたものであり、しばらくは正当に評価されることがなかったが、現在は高い評価を受けている。サディズムという言葉は、彼の名に由来する。
マルキ・ド・サドは、
パリのオテル・ド・コンデ,現在のパリ6区コンデ通り\とヴォージラール通り付近にて、
サド伯爵ジャン・バティスト・フランソワ・ジョセフと、マリー・エレオノール・ド・マイエ・ド・カルマンの間に生まれた。
彼は伯父のジャック・ド・サド修道士による教育を受けた。サドは後にイエズス会のリセに学んだが、軍人を志して七年戦争に従軍し、騎兵連隊の大佐となって闘った。
1763年に戦争から帰還すると同時に、サドは金持ちの治安判事の娘に求婚する。しかし、彼女の父はサドの請願を拒絶した。その代わりとして、彼女の姉ルネ・ペラジー・コルディエ・ド・ローネー・ド・モントルイユとの結婚を取り決めた。結婚後、サドは息子2人と娘を1人もうけた。
1766年、サドはプロヴァンスのラコストの自分の城に、私用の劇場を建設した。サドの父は1767年1月に亡くなった。
サド家は伯爵から侯爵となった。
サドは
「復活祭の日に、物乞いをしていた未亡人を騙し暴行(アルクイユ事件)」「マルセイユの娼館で乱交し、娼婦に危険な媚薬を飲ます」
などの犯罪行為を犯し、
マルセイユの娼館の件では
「毒殺未遂と肛門性交の罪」で死刑判決が出ている。
1778年にシャトー・ド・ヴァンセンヌに収監され、1784年にはバスティーユ牢獄にうつされた。
獄中にて精力的に長大な小説をいくつか執筆した。それらは、リベラル思想に裏打ちされた背徳的な思弁小説であり、エロティシズム、徹底した無神論、キリスト教の権威を超越した思想を描いた小説でもある。
だが、『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』をはじめ、淫猥にして残酷な描写が描かれた作品が多いため、19世紀には禁書扱いされており、ごく限られた人しか読むことはなかった。
サドは革命直前の1789年7月2日、バスティーユから「彼らはここで囚人を殺している!」と叫び、革命のきっかけの一つを作ったと言われる。
間もなくシャラントン精神病院にうつされたが、1790年に解放された。
当初共和政を支持したが、彼の財産への侵害が行われると次第に反共和政的になった。1793年12月5日から1年間は投獄されている。
1801年、ナポレオン・ボナパルトは、匿名で出版されていた『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』と『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』を書いた人物を投獄するよう命じた。
サドは裁判無しに投獄され、1803年にシャラントン精神病院に入れられ、1814年に没するまでそこで暮らした。
- 『ソドムの百二十日』
- 大場正史訳、新流社、世界セクシー文学全集 1962年
- 澁澤龍彦訳、桃源社、1965年(角川文庫、1976年、富士見ロマン文庫、1983年/河出文庫、1991年)
- 佐藤晴夫訳、青土社、1990年
- 『ジュスチーヌあるいは美徳の不幸』
- 『ジュスチイヌ』澁澤龍彦訳、河出書房、1956年(「美徳の不幸」角川文庫、富士見ロマン文庫)
「新ジュスティーヌ」河出文庫、1987年、「美徳の不幸」河出文庫、1992年 ※抄訳 - 佐藤晴夫訳『ジュスチーヌ物語又は美徳の不幸』、未知谷、1991年
- 『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』植田祐次訳、岩波文庫、2001年
- 『ジュスチイヌ』澁澤龍彦訳、河出書房、1956年(「美徳の不幸」角川文庫、富士見ロマン文庫)
- 『悪徳の栄え』
- 澁澤龍彦訳、現代思潮社 正・続、1959年ほか、のち新版(角川文庫、1975年)
「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」富士見ロマン文庫、1985年/河出文庫、1990年)各・上下 ※抄訳 - 佐藤晴夫訳、未知谷、1992年
- 澁澤龍彦訳、現代思潮社 正・続、1959年ほか、のち新版(角川文庫、1975年)
- 『閨房哲学』
- 澁澤龍彦訳(桃源社、1966年)、角川文庫、1976年、復刊1989年/河出文庫、1992年
- 『閨房の哲学』 佐藤晴夫訳、未知谷、1992年
- 小西茂也訳、一穂社(新版)、2007年
- 関谷一彦訳、人文書院、2014年
- 『閨房の哲学』 秋吉良人訳、講談社学術文庫、2019年
- 『アリーヌとヴァルクール又は哲学小説』
- 佐藤晴夫訳、未知谷、1994年
- 『食人国旅行記』(澁澤龍彦訳、桃源社、1963年)河出文庫、1987年
- 『恋の罪』(澁澤龍彦訳、桃源社、1963年)角川文庫、河出文庫、1988年
- 『短篇集 恋の罪』 植田祐次訳、岩波文庫、1996年
- 『サド全集』(水声社、1995年-)
- ソドムの市 - ピエル・パオロ・パゾリーニ監督(Salò o le 120 Giornate di Sodoma - Pier Paolo Pasolini)
- 銀河 - ルイス・ブニュエル監督(La Voie lactée - Luis Buñuel)
- 悪徳の栄え - ロジェ・ヴァディム監督(La Vice et la Vertu - Roger Vadim)
- 悪徳の栄え - 実相寺昭雄監督
- 悦楽禁書(Marquis de Sade - Gwyneth Gibby)
- ジュスティーヌあるいは美徳の不幸 - ジェス・フランコ監督(Justine - ess Franco)
- マルキ・ド・サドのジュスティーヌ - クロード・ピアソン監督(Justine de Sade)
- 女地獄 森は濡れた - 神代辰巳監督(Nouvelle Justine)
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