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島田紳助 引退会見 2011年8月23日

2024年01月17日 | 社会
島田 紳助(1956年〈昭和31年〉3月24日- )
本名:長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)。
京都府京都市南区出身。

2011年8月23日、司会を務める『開運!なんでも鑑定団』放送終了直後の22時より吉本興業本社にて記者会見を開き、暴力団関係者との「黒い交際」を理由に芸能界引退を表明した。

週刊現代による暴力団交際報道の記事について、発行元の講談社を名誉棄損で民事裁判による訴えを起こしたが、東京地裁は、複数の建設会社社員らに対する現代側の取材内容について「具体的かつ詳細で、内容に不自然な点はない」と指摘し、「少なくとも記事の重要部分を真実と信じる相当の理由があった」と認め、紳助側の主張を退けた。

島田紳助氏が芸能活動を引退――会見全文

島田 
今日をもって芸能界を引退することにしました島田紳助です。もう芸能界からいなくなるわけですから、守るべきものも何もありませんから、吉本興業にもすべて正直に喋りましたし、今日もすべて正直に喋ろうと思っております。ただし、吉本興業から個人のプライバシーに関わることがたくさんあるから、ほかの方に迷惑がかからないように、個人名を出したりしないようにとは言われましたので、僕の言える範囲の中ですべて正直に話したいと思います。
 まず最初に、10数年前なのですが、解決できないトラブル※、どうしようもないことが起こったので、事務所を辞めよう、芸能界を去ろうと決意しました。その時、昔からの友人であるAさん※※、ひっきりなしに会っているわけでは全然なく数年に1回会うペースでしたが、僕が非常に悩んでいるという話を聞いて、「どうしたんだ」と自宅に電話してくれました。そしてAさんに話したら、Aさんはヤクザ組織のBさんにその話をして、僕の悩みを解決していただきました。
※産経新聞の報道によると、テレビ番組での自身の発言をめぐる右翼とのトラブル。
※※YOMIURI ONLINEの報道によると、Aさんは元プロボクシング世界王者の渡辺二郎氏。
 それで僕は正直言いまして、人として恩を感じました。Bさんからは「お前は芸能界の人間である。我々はこういう組織の人間である。その人間が会うことはいけないし、会うと君にはマイナスだ。だから、君が今後興行の世界で頑張ることが一番の恩返しになるんだから、会わずに頑張ってくれ」という言葉をいただきまして、僕はその組織とかは関係なく、人間として正直言ってありがたい言葉だと思いました。「会うとダメでも、心と心でつながっていればいいんだ。人とはそういうものだ」と言われまして、僕も心から深く、本当に感謝しました。
 ですから、個人的にその方と直接お会いすることもなかったです。でも、僕はやはり人として「ありがたいな」という気持ちを持ち続けていましたし、感謝の気持ちはありました。「テレビで頑張ってこれたのは、あの時のあれのおかげだ」という思いがずっとありました。
 ですから、「『ありがとうございました。今年も1年頑張れました。本当に心から感謝しています』と心からよろしくお伝えください」とメールをAさんに送って、Aさんを介して伝言をお願いしたことがあります。直接付き合ってはいけないということは分かっていましたので、僕が直接電話することもありませんでしたし、そんな(必要な)時にはAさんを通じて電話していました。
 10数年間のお付き合いの中で1回も会っていないかというと、そうではありません。会った回数は自分の記憶の中で4~5回と思われます。最後にお会いしたのは、今から4年半前にバーをオープンした時のことです。(Bさんが)来られたのですが、会員制で入れなかったので、私の名前を出されたところ、バーの人間から電話がかかってきて、その時に私は寿司屋にいたのですが、すぐに行きました。その時はお祝いなのか良いお酒を飲まれて、お金を置いて帰られました。その4年半前にお会いしたのが、最後にお会いした実績です。
 それまでにも大阪のミナミで食事をした時、すぐ近くにおられると聞いて、週刊誌なんかで非常に大変だというのを僕なりに読んでいて、大変な時期なんだなと思っていて、僕もあの時元気がなかったので、個人的にお会いしに行って、「元気そうですね」と顔を見て帰ったことがあります。そして、「今日顔を見ました。非常に元気そうでホッとしました」というメールをAさんに送りました。
 また、僕がトラブルを起こして謹慎し、食事ものどを通らず、本当に自分がどうしていいか分からない時がありました。いろんな方から励ましの言葉や電話をいただきました。今日もメールをいただいたのですが、(その時も)芸能界の先輩から電話をいただきました。そして、「ありがとうございます。あなたが励ましてくれるから頑張ります。あなたがいてくれるから心強いです」と芸能界の先輩方にそういう言葉やメールを返したように、Aさんから「Bさんもそうおっしゃっているよ」という電話をいただいていたので、Aさんに対しても「ありがとうございますと。あなたが付いてくれているから、僕は心強いです」というメールを(間接的にBさんに向けて)送りました。
 それは(Bさん)1人だけに送ったのではなく、本当にへこんでいる時に数々の先輩から「大丈夫だ。僕は信じているから。僕が付いているから」という温かい言葉や励ましの言葉をいただいた時に、同じような電話やメールをみなさんに返したので、僕は特別お二人(AさんとBさん)に何かを守ってもらっているという意識はありませんでした。
 正直言って、僕の中では芸能人はそういう業界の方と付き合ってはいけないということは十分に分かっていましたし、あちらの方も十分理解されていました。だから、普段会うようなことは向こうも絶対に求められませんでしたし、向こうも「会ってはいけないんだ」とおっしゃっていましたし、僕も「会ってはいけない」と思っていました。ですから、Aさんを通じてメールを送ったり、何かあった時にお言葉をいただいたりということを繰り返していました。
 そして、私のお店にも何度か来られたことはあると報告として後に聞いていますし、聞いていない(時に来た)こともあるかもしれません。頻繁に会おうとは思いませんでしたし、頻繁に会うどころか10数年の中で本当に(会ったのは)数回です。だから正直言いまして、「悪いことをしている」とか「これはいけないんだ」という意識はなかったです。「芸能人と組織の人が付き合ってはいけない」というルールは百も承知でしたが、日曜(8月21日)の夜までは「この付き合いは芸能界のルールとして問題ない、違反じゃないんだ」という認識でいました。
 日曜日に『24時間テレビ』が終わった後、一緒にいたよしもとクリエイティブエージェンシーの方からそのメールを見せられて、「これを送りましたか」と聞かれて、「送りました」と答えました。その部分だけを抜粋して見ると、「お二人がいてくれるから心強いです」と送っています。そういうのは普段送ったらおかしいでしょうが、6年前の本当にへこんでいる時にいろんな方からいただいた言葉に対して、みなさんに返した言葉です。
 そして、「お会いしていません。10数年間で意図的にお会いしたことと、偶然にお会いしたことで5回くらいです」ということをすべて正直に語りました。出会った経緯もすべて語りました。でも、「それはダメなんだ、紳助君。それは業界のルールとして違反や。法には触れないけど、芸能界のモラルとしてそれはやってはいけないことなんだ」と言われ、自分の認識の甘さを知りました。
 バカかもしれませんが、芸能界のそういう方との付き合いのルールの上でも大丈夫だと思っていました。少年時代に友達だった人でその業界に行った人から連絡があった時、「ごめんなさい。芸能界のルールで友達でも会うことはできないんです」と今までにも断ったことがあります。だから、自分の中ではこれはセーフだと思っていたのですが、一昨日、日曜の夜に吉本興業側から「それはダメだ。アウトなんだ」と説明されました。
 そして、それだったら僕は間違っていたし、ルールが分かっていなかったんだと心から反省し、その場で「じゃあ責任をとって引退します」と僕は会社にお伝えしました。そして先ほど、今から2時間くらい前ですが、吉本興業から「僕の引退を受け入れる」というお返事をいただきました。
 僕も若いタレントではなく、吉本興業でも相当ベテランになり、僕の後輩はこの会社に700人くらいいます。僕がいい加減な処分を申し出たりすると、そんな彼らに示しが付きませんし、「若いやつに普段から厳しいことを言っている僕がそんなあいまいなことではイカン。自分が一番厳しい引退という言葉を使って引退すれば今後、若い人たちもそういう過ちを犯さないんじゃないか」と思い、そういう決断をさせていただきました。
 言ってはイカンと言われていることもたくさんあるのですが、僕はここ数年間記事をいっぱい書かれました。本当に悔しかったです。ヤクザを使って競売物件を買っていると。こんな事実なんて絶対命をかけてありません。不法カジノに出入りしているということも、命に賭けてもありません。僕がもしそんなことをしていたら、本当にみなさんの前で腹を切ります。そんなことを何度も週刊誌に書かれたりして、我慢してきました。ただ、僕は明日から一般人ですから、嘘のことを書かれた時には告訴するような決意でいます。そして明日からはタレントではなく、普通の人に戻って、本当に静かに暮らしていきたいと思っています。弁解ではなく、僕のルールの考え方が間違えていました。本当に申しわけないと思っています。そして、後輩たちには二度と僕のような甘い考えで接しないでもらいたいと思います。以上、僕の状況と思いです。
 週刊誌にも書かれましたが、僕が喋ったことはすべて事実です。必要以上の接触もありません。週刊誌を読んでいたら、しょっちゅう電話をしていたり、しょっちゅう食事をしているように書かれていましたが、本当にそんなことはまったくありませんし、最後にお会いしたのは4年半前です。それも20分くらいですよ。お店に来られてすぐ帰られました。それが最後にお会いした時のことです。
 4年半くらい前から6年くらい前のメールが残っていることは事実です。その組の方に対して、Aさんを介してメールをしたことは事実です。正直、弁解みたいですが、付き合いがないからAさんを介してメールをしていたのであって、僕が本当にその方と付き合いがあるなら、人を介してメールする必要もないし、直接連絡をしたでしょうし、そのような関係だと思っていました。だから、自分の中ではセーフだと思っていましたが、一昨日アウトと知り、引退することになりました。
 一番重い処罰を自分で与えましたので、お許し願いたいと思います。どうもすみませんでした。みなさんに謝るべきかどうか分からないですが、テレビ局の関係者の方々、そしてスポンサーの関係者の方々、そしてまだ少しはいるでしょうファンのみなさん、そしてコマーシャルをやらせてもらった三浦工業の奥さんやみなさんには本当に迷惑をかけてしまいました。それだけには申しわけないなと、残念な気持ちでいっぱいです。自分勝手な引退を申して、本当にすみませんでした。

――引退に納得していますか?

島田 いや納得って、「引退して」と言われた覚えはないですし、恐らくこんな言い方をするとアレですが、僕が何も言わなかったら謹慎処分だったと思います。でも、謹慎処分では若い後輩たちに示しがつかんと僕自身が思いました。若い奴らに何かメッセージを与えないといけないし、僕も厳しく言ってきたので、一番重い処罰が引退だと思いましたので、引退することにしました。

――2005年6月ごろから2007年6月ごろのメールということですが、かなり前のメールですよね。吉本興業の方から、メールの文面が写った写真とかを提示されたということですか。

島田 一昨日の夜に「このメールに見覚えがありますか」と、メールの文章を見せられました。「間違いありません。僕がAさんに送ったものです」と(答えました)。ただ、「お二人がいてくれるから、心強いです」というメールは、その時期を見てもらうと、僕が謹慎している時のものです。
 そして僕の先輩やいろんな方々からメールされた時も、僕は謹慎してパニクっている状態の中だったので、失礼ですが同じメールを返していました。「あなたがいてくれるから、僕は心の支えになっています」とか「ありがとうございます。感謝しています。その言葉を胸に生きていきます」とか、あの時は心の底から感謝したので、送っていただいた方全員にそんなメールを返させていただきました。僕の中では(AさんやBさんが)特別ではなく、本当に感謝の気持ちで6年前はそうやって返させていただきました。

――なぜ今になって、そのメールが吉本興業側に情報として提示されたかという理由は聞きましたか?

島田 いや、まったく聞いていないですが、「こういうものがあるんだけど、知っているか」といきなり言われました。まあ事実なので、僕も隠す必要もありませんから「すいません」と。僕の中ではさっき言ったように「セーフだ」と(思っていました)。
 Aさんに「あなたはヤクザですか」と聞いたら、「僕は違うんだ」と言いました。僕は街場の状態から、その方と20代前半から知り合いでしたから、その方がそうなっている状態も知りませんでした。近年そういうことが噂された時にも僕は確認したのですが、「そんな風に言われるんだ」と言われると、僕自身も付き合いが長いですし、世の中でわけの分からん記事を書かれている自分にとってもその方の気持ちも分かるので、僕は「そういうことはないんだ」と思って、その方を介してメールをしました。

――社長にもお伺いしたいのですが、そのメールは随分前のものなので、写真か何かで撮ったという可能性があるということですか?

水谷 メールについては、写真ではございませんでした。メールですので、文章を確認しました。

――それで送られてきたものを見せて、確認したということですね。

水谷 冒頭で申し上げましたように、8月中旬ごろに外部の方から情報の提供がありまして、その後、信頼性などを確認しまして、本件に至っております。

――通常、携帯電話のメールは自動的に時間が経つと消去されて見えなくなるわけですが、この古いものが今見れたということは、何かの意図を持って、吉本興業に持ち込まれたと考えていますか?
水谷 意図を持って持ち込まれたかどうかということに関しましては、ちょっとこの場では答えかねます。

――持ち込んできた人物が何者かということも難しいですか。

水谷 情報提供者にご迷惑がかかりますので、恐れ入りますがこの場での公表を控えさせていただきます。

――ご自身から引退と言われたということですが、それに至る過程で迷いなどはなかったのでしょうか?

島田 一昨日それを見まして、うちの仲間や芸能関係者には伝えました。全員が一生懸命引き止めてくれましたし、家まで来て引き止めてくれる人もいましたし、中には涙を流して引き止めてくれる人もいましたが、僕の中では揺れることなく、自分で決めた道をちゃんと進もうと思いました。それははっきり言いまして、さっき言ったようにいけないことです。いけないことも十分承知です。だから引退します。
 お世話になった方、自分が助けられたと思った方に、僕は「会ったらいかん」と言われていますし、向こうからも「君は会うな」と言われたので、僕も会いませんでした。でも、心の中で感謝する気持ちまで、消したらいかんと思いました。
 その方には最初に「会う必要はない、会ってはいけないんだ。人というのは心でつながっていたら、会う必要はないんだ。心でつながったら、心が一つなんだ」と言われたんです。僕の人生の中でも、その言葉は重く残りました。ですから、弱った時にAさんを介して、「心は1つですよね」と送りました。だから、それは「仲間です」という意味、「その組織と付き合っている」という意味ではなくて、そのおっしゃった言葉、「会うことはないけども、遊ぶことはないけども、心は1つですよね」という意味で送ったメールです。
 だから本当に頻繁にお会いすることもありませんでした。10数年間で僕がご飯を食べていたら、隣のお店におられると聞いて行ったり、うちのバーのオープンの時に20分だけ顔を出されたりと、偶然近くにいたので会ったというのを合わせて5回程度です。長い期間交流を持ったりとかそんなことはなく、10数年間で偶然含めて5回なので、僕自身には交際とか交流という認識はなかったです。自分はさっき言ったようにセーフだと思っていました。その間、週刊誌にあることないことをいっぱい書かれて、本当に悔しかったので「明日からは遠慮せんと、嘘書かれたら告訴できるな」とちょっとホッとする気分もあります。
――こんな形で引退するということに対して後悔はありますか?

島田 いや、芸能界の一員として「芸能界のルールはこれなんだ」と言われれば、明らかに芸能界のルールを間違えているし、間違っていることに気が付きませんでした。ペーペーのタレントではない、吉本興業で大分先輩格になってきた僕がそんなあいまいな判断をしたら、吉本にいる1000人のタレントのうちの800人の後輩たちに本当に示しがつかんと思います。だから、僕が最後にできることは、「ここで示しを付けることやな」と思いました。
 だから、もちろん今後はその方とメールもしないし、お会いすることもありません。でも、もし道で会ったら、僕は遠くから頭を下げます。それは人として、あの時の感謝の気持ちを今でも持っているというのを僕の中で誇りとしたいからです。

――レギュラー番組が6つもありますが、共演者や番組関係者のみなさんにはお話はしているんですか?

島田 いや、吉本興業からそれぞれのディレクターに話をしてもらいまして、その方々からは本当に熱いメールをいただき、家に来ていただいて、「何とか引退だけは撤回してもらえないか」と言われました。
 今日泣いたら後悔しているみたいですけど、全然後悔の涙じゃないですよ。そのみなさん方の熱い思いが本当にうれしかったからです。でも、ルール違反はルール違反です。ここで何か軽い処分や謹慎というのはやっぱり良くないなと思いますので、悪いことをしたわけですから、自分に一番重い罪を着せようと思いました。

――(熱い)メールをくれたのはどなたでしょうか?

島田 たくさんの方からいっぱいいただきました。ギリギリまで言えなかったこともあり、18時半の段階で吉本興業の全タレントに吉本興業から通達を出したので、吉本興業の後輩からも先ほどメールをたくさんいただきました。前もって教えていたのはダウンタウンの松本(人志)ぐらいです。

――松本さんからは何と言われましたか?

島田 やっぱり「やめないでください」と。18歳で吉本に入りまして、21歳でデビューして、29歳で漫才をやめる時、僕がやめるきっかけを作ったのは松本ですから。ダウンタウンの漫才を見て、「ああ紳竜の漫才ももう終わりだな」と思いました。僕の漫才を終わらせたのがあいつですから、芸能界を終わる時もまずあいつには伝えとかないといかんと思いまして、奴だけには伝えました。

――「やめないでください」というメールに何と答えたんですか。

島田 最後は「自分のわがままを通させてほしい」と、「僕は僕らしく、イカンことをしてやめるから」と。めちゃめちゃかっこ悪い話ですよ。めちゃめちゃ無様な芸能界の終わり方ですわ。最低の終わり方です。僕もその中で「ほんの少しだけ、自分の美学を通させてください」とお願いしました。

――日曜日の会社との話し合いで、メールを見て即答で引退という決断になったのでしょうか。考える時間はあったのでしょうか。

島田 いや、日曜日に(引退と言って)すぐにそれを受けてはいただけなくて、「気持ちは分かりました。預からせていただきます」と言われたのですが、今日までまったく気持ちは揺れることはありませんでした。
 逆に言ったら、「引退したらいいよね」と誰も言ってくれずに、いろんな人が聞きつけて、思いとどまらせようと真剣に怒ってくれた人もいました。「ああ、この人こんなに熱く言ってくれるんだなあ」というのをちょっと今思い出して、感動して涙を流してしまったのですが、別にこれは引退に対して後悔して泣いているのではなくて、その優しさを思い出して涙を流しただけで、僕の気持ちの中ではまったく揺れませんでした。

――日曜の夜から今に至るまで、ご家族は何とおっしゃいましたか。

島田 嫁は「自分のやりたいようにやったらいいよ。自分の思うように生きてください」と。長女からは「本当に後悔しないのか。でも、あなたは強運の持ち主だからまた何かを考えるよね」と言われました。

――この何十年間の長い芸能生活はどういうものだったのでしょうか。

島田 やっぱり本当にすばらしい人にいっぱい巡り合えたし、すてきな人ばかりでした。そして、自分が勝手に心の師とあおいでいる上岡龍太郎さんが引退したのが55歳なんですよね。自分は今、55歳です。
 「絶対君は引退したらアカンよ。どんなことがあっても引退したらアカンよ」と上岡さんに何年も前から言われていたのですが、こういう結果になって同い年で引退というのに何か運命を感じます。そして今、僕をこのシーンまで上げてくださるのに大きく力を貸してくださった和田アキ子さんにもメールじゃなくて、電話で報告しようと思ったのですが、お出にならなかったので報告はできませんでした。

――今までの芸能界の長い活動で、一番思いだすもの、思い出すシーンなどがあれば教えてください。

島田 やっぱり事件を起こして自分がもう駄目だろうなと思った時に、みんなで温かく迎えていただいて、そして「もういっぺんなくなった命だから、やりたいことをやろう」と思ってやらせていただいた時に『クイズ!ヘキサゴン』という番組が当たって、そこから自分の子どものような人たちがたくさんスターになっていってくれたのが一番うれしいです。
 だから昨日、上地雄輔が家に来て、父ちゃん父ちゃんと言いながら泣いていたんですけど、それは僕の子どもたちですから、「お父ちゃんは引退しても子どもたちの成長をこれからも見守るから」とちゃんと聞かせました。

――みなさん涙々の時間だったわけですか。

島田 そうですね。でも奴らはしっかりしていますよね。上地は昔から言っているのですが、「一生父さんを守るからね」と。

――とても長い芸能生活の中でこの世界にいて一番良かったと思えたことは何ですか?

島田 やっぱりいろんな方とお会いできたことが僕の中での一番の財産ですね。僕が普通の人だったら絶対会えなかった人とたくさん会えました。
 例えば孫(正義)さんと食事をさせてもらった時、本当に歴史上の偉人と食事をしているような時間でしたし、帰って感動しましたし、何かいろんなことを喋っていて、自分が成長できました。孫さんと2時間の食事の予定が4時間になって、分かっているのか分かっていないのか分からん僕に一生懸命4時間熱く語られた時には本当に幕末の偉人と喋っているようでした。
 そして次の日、俺もメールを送ろうと思いましたら、僕の携帯はドコモだったので、「これはいかんな」と思って、ソフトバンク(の携帯)を買いに行って、「ありがとうございました」と送りました。送った後、また契約解除してドコモのものを使っているのですが。
 「ソフトバンクに変えないといかんな」と思わせてくれた孫さんのような、偉い方々にたくさんお会いできたことが僕にとって一番の財産だと思います。その方々に本当に感謝していますし、そして、僕のファンの方なんて少ししかいないのですが、その方々から「人生が変わった」とかいろんな熱い手紙をいただいて、僕は「人の役に立っている時もあるんだ」と思いまして、人気者でも何でもない僕に対してそういうお手紙を送っていただいたりすることがあって、やってて良かったなと本当に思いました。

先日、面白くもない偉そうな『島田紳助100の言葉』という本を出させていただいて、あの本が僕の芸能生活の中で一番売れた本になった時に僕は一番うれしかったです。笑いだけじゃなくて、こんなことも求めてくれている方がいるんだなと思いました。本当に申しわけなかったです。だから、『島田紳助100の言葉』を買っていただいた30万人のみなさんには心から感謝すると同時に、今日は101個目(の言葉)ですわ。「毅然とした態度で自分に重い処分を与えました」が。

――10数年前にトラブルの解決を暴力団の方に頼んだのが今回のきっかけになったかと思うのですが、その暴力団の方にAさんを介して頼んだことについて今、後悔されていますか?

島田 僕の中ではAさんに頼んだのではなくて、Aさんが僕に電話をされて「どうしたんだ」とおっしゃって、その時Aさんはまったくのカタギの方ですから、「こういう問題なんだ」と、心配して電話をしてきた方、何人かと同じように喋りました。そうしたら、「そうなんや」と言って、僕の知らない間にAさんがその方にお願いして解決してくださったんです。

――ただ、「Bさんという暴力団の方にこういう形で解決してもらったんだよ」と聞いて、ご自身はその時はどう思ったのでしょうか?

島田 その時は僕は本当に(芸能界を)やめるつもりでいましたから、人間ですから、解決できたことにホッとしました。ただ、Bさんに解決してもらって、「これはあんな風になることが起こったな」という認識はありました。だから、「どうしよう」と。この世界の方とその世界の方が接触してはいけないと思いました。
 そこで、僕は会いに行って、そのことを伝えに行きました。「僕たちの世界の人間は接触できない」と伝えました。すると、その方は「だから会う必要もないし、テレビで頑張ればいいんだ。それが一番の恩返しだ。接触することが一番良くないから。君も僕に対して一切の恩を感じたらアカン。そういう必要もないんだ。僕はAに頼まれて解決しただけだから、君が何も思う必要はない」とおっしゃいました。
 それは僕も何か違和感があったので、まあはっきり言って「お金か何かを渡さないとイカンのかな」と正直思いました。すると、「バカなことは言うな。そんなことはありえない。君はそういう思いを持っているのなら、僕もそういう思いを持っており、君に頑張ってほしいと思う。男と男は心と心でつながったら、会う必要もないねんで。いつか俺がどこかで死んだら電話はしてくれ」とパパッとおっしゃったんです。まあヤンキー上がりの僕には一番心にその言葉が響きました。だから僕は心の中ではそういう思いでいようとその時は決意しました。
 だから、僕の中ではさっき言ったように、直接メールすることもなかったので問題なかったという認識でいたのが一番大きな問題で、本日に至っています。だからといって、正直言って、僕は後悔していません。「あの人と付き合わんといたら良かった」と心の中で僕が今思ったら、僕は僕を嫌いになっちゃいます。だから、心の中ではそう思い続けました。
 それは芸能界としてはいけないことだと思います。だから僕は今後も付き合いませんし、もちろんメールもしません、言葉にもしません、僕の心の中には感謝はずっと持っていたいと思います。それは芸能人とは関係なく、人としての感情だと思います

――芸能界でやり残した未練のあることを教えてください。

島田 もうまったく未練はありません。
 生放送でも言ったのですが、武田鉄矢さんがテレビで語っているのを見て、「ああこれやな」と思いました。「山はてっぺんまで登ったら、ゆっくりうまく下りないといけない。それで初めて登山成功だ。下山できなかったらそれは遭難だぞ」とテレビでおっしゃっていました。
 鉄矢さんにも若い時にかわいがってもらって、その言葉を胸に下山しようと思ったのですが、山のてっぺんから向こうが崖で転げ落ちてしまいましたが、それも僕らしいかなと思っています。
 はっきり言いまして1回は、一瞬てっぺんに半年くらい上ったので悔いはありません。僕がてっぺんに乗った半年間を親友の(明石家)さんまが確認してくれましたので、その時に自分の中で一瞬てっぺんに立ったという自覚だけは持っています。

――今までにも数々のトラブルがあって、引退を考えられることがあったと思うのですが、今回は引退を決めたのはどういう思いからですか?

島田 数々のトラブルはないと思いますよ。そんなにありましたかね。

――数回……。

島田 若い時にお客さんをどついたことがありました。そして6年前にこれはまだ裁判がされているのであまり言えないのですが、「どうやねん」という自分の思いもあるのですが、その中でも僕がやったことは事実ですからイカンことです。ハナからイカンことをイカンことと分かってやっていましたから、僕ははっきり言って引退という言葉は思わなかったです。罪を弁明せず、受け止めたらいいんだと思っていました。
 ただ今回が違うのは、僕の中ではさっき言ったみたいに「付き合ってないじゃないか」ということです。週刊誌にはいろんなことを書かれましたが、本当に事実無根ばかりでした。本当にカジノなんか生まれて1回も行ったことありません。その時も、BさんからAさんを介して連絡がありました。「そんなところに行っているのか」と言われまして、「僕は命をかけて、行ったことありませんし、行ったかどうかも分からないというようなそんなあいまいなこともない。そういうところに行くようなバカな僕じゃないです」という電話をAさんに返したことがありますが、そんなこと絶対ないです。競売物件を暴力団と組んで入札したなんて書かれたこともありますが、命をかけてありません。もし、そんなことがあればみなさんの前で腹を切ります。
 今回はセーフだと思っていたのが大きな問題です。だから完全に僕のミスです。僕が間違っていました。

――吉本興業では8月中旬に外部から情報を入手してから、具体的にどのような調査をされたんでしょうか?

水谷 8月中旬に情報を外部の方から入手いたしまして、我々の方といたしましては、8月21日にその情報に基づきまして島田紳助とヒアリングを行いました。その後、2日間ではありますが、社内の調整と調査を行いまして、本日に至っております。

――社長の説明と島田さんの説明に矛盾があるように思ったので質問したいのですが、社長は長年来の友人が残念ながら暴力団の関係の方に行ってしまったとおっしゃったと思うのですが、それは紳助さんの説明にあるAさんとBさんのどちらになるでしょうか?

島田 Aさんです。Bさんはもともと(暴力団)ですよ。Aさんは一般の方で、僕は若い時から友達だったんです。そして、Aさんが今、組織の方という認識をする方と、そうじゃないんだという認識をする方がいるんですよ。どこが事実か分からないのですが、僕はいつからなっていたかも知りませんでした。
 そのことを僕は本人に「こういう噂がありますけど、そうなんですか」と何度か聞いたことがあります。「そうじゃないんだ。僕は一般の人間だけどそんな風に言われるんだ」とおっしゃったら、僕は「そうですか」と言わなくてはいけなかったし、そのことも何回も聞きました。Aさんがもしそう(暴力団関係者)だったら、僕はわざわざAさんを介してBさんにメールを送ったり、伝言を頼む必要がないわけです。だから僕はAさんはそうではないという認識で、「伝えてください」というメールを送ったのであって、だからそこに矛盾点はないんですよ。
 社長はAさんが途中から組織の方になったという認識なのですが、僕の確認では「そうじゃない」とおっしゃっている。「どうなんですか」と確認したら、「そうじゃない、そう言われるだけだ。週刊誌がいろんなこと、嘘ばっかり書きよるんや」と言われると、僕の中でも本当にいっぱい書かれてきたので、そうなんだという認識でいました。僕は3回くらいAさんに確認しています。
――昨今の週刊誌でメールの件が出ましたが、暴力団関係の方に手紙を送っていたとか写真に写っていたといった事実というのはあるのですか?

島田 今も言っているように、悔しいと言っているのはそれなんですよ。そういう手紙を送ったとか、一緒の写真があるとか、最近じゃなくて前も書かれているんですよ。写真があるとか、それが僕の耳にも入るんですよ。それで、僕はAさんにも、「僕とBさんの写真を一生懸命探しているらしいですわ」とメールで言ったことがあります。「探しているので困った」という話ではなくて、本人の耳に入りますから。
 僕の知っている関係者のところに行って探し回ったんでしょうね。それも数年前です。「探し回っているらしいですわ」とメールを送りました。

――島田さんほどの方が暴力団関係でおやめになるということで、芸能界と暴力団関係で何かあるんじゃないかと世間的にも見られてしまう可能性もあるかなと思うのですが、その辺についてどうお考えですか?

島田 僕ははっきり言いまして、間違った言い方かもしれなくて申しわけないですが、僕の中では「この程度」なんですよ。頻繁に密着しているわけでもない、と。でも、この程度で引退しなくてはいけないんです。だから、ほかの芸能人の方々は十分注意していただきたいと思います。
 だから、ちょっと信用してください。引退しようとしている人間が今さら言いわけしようとか、自分をよく思われようなんて気持ちは本当にないです。「何でこんなことばっかり書かれるのかな」とずっと思っていて、それで本当にやめたいなという気持ちもありました。何でこんなウソばっかり書かれるのかな、と。
 でも、タレントである以上、告訴するとまたそれをネタに書かれる。だから我慢しなさいみたいなこともあったのですが、まあこれで明日から一般人ですから、告訴できるのかなと思ったりしています。だから、明日からすみませんが一般人なので、静かに過ごさせてやってください。何か若い人たちの役に立つような人になっていきたいと思いますし、若い人たちが夢見れるようなことを、これからしていきたいなと思います。夢をいろいろ暖めていきたいなと思います。

――今後のご予定は?

島田 一昨日引退すると決めて、今日まで引退すると決めて(考えて)いたので、何も考えていません。残念ながらまだ55歳なので、まだまだ生きるなと。だから、自分をこれまでしてもらった感謝の気持ちもありますから、自分なりに何か役に立てることをしていきたいなと。
 これは最近思っただけじゃなくて、ずっと思っていますから。自分なりにもそうやってしてきたつもりですし、沖縄のサンゴがなくなったらなんとかしようとか、そんな活動にも一応協力していますから。ちょっとは何か世の中の役に立てたらいいなと思いますので、そういう気持ちを持ち続けていきたいと思います。

水谷 本日は夜分にも関わらず、お集まりをたまわりまして、誠にありがとうございました。本日引退いたします島田紳助は当社にとりまして、多大なる功労者であります。そして、多くの若手のタレントを育て、本当に後輩の育成にも力を注がれた方でした。たぐいまれなる才能にあふれた人材をこういう形で失うのは大変に残念なことでありますが、みなさまご理解をたまわりまして、なにとぞよろしくお願いしたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

島田 どうもみなさん。こんな時間にお集まりいただきまして、島田紳助の最後の切腹の介錯をしていただきまして、本当にありがとうございました。悔いはありません。多くの方への感謝の気持ちでいっぱいです。そして自分の認識の甘さ、この3日間、十分反省した結果、ぶれることなく引退します。どうもありがとうございました。

 
 
 
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