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39歳になった“松本麗華さん(アーチャリー)の意見

2022年12月28日 | 社会


「来年、父が逮捕された年齢になります」
39歳になった“アーチャリーと呼ばれた少女”が語る宗教二世への思い

麻原彰晃こと松本智津夫の三女、マスコミに向かってアッカンベーをしてみせた少女は39歳になっていた。 

『 週刊文春WOMAN2023創刊4周年記念号 』より

 5歳から16歳まで閉鎖された教団のなかで育ち、世間の常識も分からないまま大人になってしまいましたから、礼儀作法やマナーについては、今も手探りの状態です。とはいえ、もう教団を離れてからの人生のほうが長くなりました。  
私には姉が2人、妹が1人、弟が2人いますが、今は次姉(以下、姉)と上の弟、元信者で既に教団を離れている男性と4人で郊外の町でルームシェアをして暮らしています。  

姉とは最近、宗教二世の問題についてよく話し合っています。そもそも宗教二世をどう定義するのかということですが、特定の宗教を信仰する親のもとで、その影響を強く受けて育った子どものことをいうのだろうと思いつつ、しかし、たとえ親と一緒に行動していたとしても、それは親の意思でそうしているだけであって、子ども自身は信仰の告白をしているわけではないんです。

私も教団にいた頃から「自分で選んでここにいるわけではない」と思っていました。 
当時は信仰心があったのかと聞かれることがありますが、足元のアリを踏みつぶしてはいけないよと父に言われたことを守った。果たしてそれは信仰なのか。親からご飯を残しちゃいけないよ、人には優しくしようね、嘘をついてはいけないよと言われていたのは、普通の家庭となんら変わるものではないと思うのです。  それは教団が地下鉄サリン事件をはじめとする数々の事件を起こしていたことを知らなかったからそんなことが言えるのだと言われれば、その通りかもしれません。 

宗教二世が声高に叫ばれ始めたのは、安倍元首相襲撃事件がきっかけでした。政治的にはもっぱら統一教会をいかに解散させるかということに焦点が当たっていますが、これまでに宗教法人法を適用して解散させられたオウム真理教と明覚寺の2件は、いずれも刑事事件を起こして幹部が刑事罰を受けた団体でした。  

しかし、統一教会は幹部が刑事罰を受けたわけではない。「政教分離」の観点から、政治家が特定の宗教にかかわったことこそが本質的な問題であり、政治家の側の問題がより大きいと思っています。  

容疑者の家庭に関しては、宗教以前に母親が子育てできないというネグレクトの問題があるのではないか。姉とはそんな話もしています。自分の子どもを神様からの預かりものと思って、自分の価値観を押し付けてはいけないと律しながら育てる方もいらっしゃる。  そうやって子どもの意思を尊重するのか、自分と同一視して思いどおりにならないときに虐待してしまうのか。そこに大きな違いがあると思うんですよね。  

宗教に限ったことではなく同様に、親がギャンブル依存症とかアルコール依存症だと、貧困やネグレクトなどの問題がおき、子どもがつらい目にあう。そういう境遇の子どものために行政が手を差し伸べなければいけないというのは、普遍的な課題としてあると思います。 

1995年、父が殺人容疑、母がリンチ殺人事件に関与した容疑で立て続けに逮捕されたとき、きょうだいで最年長の長姉が16歳、末弟は1歳、麗華さんは12歳だった。教団で共同生活をしていた出家信者の子ども97人については既に児童相談所などに保護されていたがきょうだいは教団に取り残された。

 私はずっと学校に行きたいと思っていた。勉強は嫌いだけれど、同年代の子どもたちと遊びたかったんです。でも地元での住民運動を受けて、役所が教団の人たちの住民票を受理することを拒んでいたこともあり、教団内で学校はもう行かなくてもいいのではないかという雰囲気になってしまいました。  

そんな中、両親が逮捕された1995年には、住民票のあった静岡県富士宮市の学校に 行こうと思ったのですが、教育委員会から来ないでくれと頭を下げられ、小学校には通えずに終わりました。

だから、9歳になっても平仮名さえまともに読み書きできなかったんです。   私の名は「りか」と読みますが、「り」という平仮名は、時々2本の線を繫げて書かれることがある。そうするともう読めなくなってしまった。漢字の「麗華」はもちろん書けませんでした。  中学校も入学を拒否されたので、私は義務教育を受けることができませんでした。

『止まった時計─麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社)を本名で上梓した。表紙カバーは麗華さん自身のポートレートで、まっすぐ正面を見つめている。オウム誕生前夜の一家のつましい暮らしに始まり、教団の内幕、母やきょうだいとの確執、父の優しい姿と壊れていった姿、父なき後の教団の迷走などを半年かけて書き上げたものだ。  

 

この本に名前も顔も出したのは、「私はこうして生きています」と顔を上げたかったからです。麻原の娘だと分かった途端に入学を拒否され、就職もままならず、後ろ指を指される。当時の私はつねに自分の素性がバレることを恐れていました。でも、そんな人生はもう終わりにしよう、自分から名乗ってみようと思いました。  

それまでのできごとを正直に書いたことで、人との心の距離はぐっと近くなりました。大学時代の同級生たちからは、「これまでどう接したらいいか分からなかった」と打ち明けられました。そうか、だからなんとなく遠巻きに見られていたんですね。

新たに出会った人たちとの距離も近く感じます。本に何でも書いてあるので、私に対してこんなこと聞いていいかなという迷いがないのかもしれません。私のほうでも、この人は私が麻原の娘と知っているんだろうか、知らないんだろうかと探る必要がなくなりました。  

本の中に、事件の被害者に対する言葉がないという批判をいただきました。私は、被害者の方の思いや苦しみは私が軽々しく語れるようなものではないと思うのです。私が被害者に向かって謝るというのは、何か自分を守るための行為なのではないかという思いを払拭できないのです。大学時代は友だちと議論になりました。 「お父さんを捨てたら麗華は自由になるんだよ。麗華の人生のためにはお父さんを捨てるのは必要だよ」と言われたんです。

その彼女はいわゆる一卵性母子。すごいお母さん子だったから、「あなたはお母さんが逮捕されたら縁を切るの?」と言えば私の思いをわかってもらえると思いました。ところが、「私は自分の人生のためだったらお母さんと縁を切る」と迷わずに言うので、二の句が継げませんでした。

 インタビューの全文は『 週刊文春WOMAN2023創刊4周年記念号 』で

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