すそ洗い 

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2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

中森明菜 金屏風会見 近藤真彦 ジャニーズ退所

2021年05月13日 | 社会
金屏風会見で中森明菜は近藤真彦に騙されたのか 
仕掛け人が語っていた真相

不倫発覚を端緒にジャニーズ事務所を退所したマッチこと近藤真彦(56)が強い逆風にさらされている。かといって歴史まで改変するわけにはいかないはず。1989年に行われた中森明菜(55)による「金屏風会見」が、明菜には婚約会見と伝えられていたという事実はない。 

1989年大晦日の夜10時から、明菜は東京・新高輪プリンスホテルで緊急会見を開いた。近藤も同席した。  明菜は同7月11日夜、東京・六本木の近藤宅で自殺未遂を図った。その後、姿を消していたとあって、注目の会見だった。 「勝手な自分のわがままな行動に出てしまい、皆さんにこんなにまでもご迷惑をお掛けし、ご心配をお掛けしたことを深くお詫びします」(明菜)  会見はテレビ朝日が生中継。仕掛けたのは同局元取締役制作局長の皇達也さんである。今年2月に逝去したが、筆者は25年前から最晩年までお付き合いさせていただいた。  この会見についても2019年7月に2時間にわたってホテルのグランドハイアット東京で話を聞き、記事にした。その後もたびたび話題になった。取材メモの一部を再掲する。 「明菜さんを婚約会見だと騙して連れ出したと言っている人がいますが、冗談じゃありませんよ。訴えたいくらいだ。彼女の衣装を見てください。地味なスーツですよ(注・淡いグレイのスーツ)。あんな格好で婚約会見する女性なんていないでしょ」
 皇さんは「タモリ倶楽部」や「ミュージックステーション」などを立ち上げた人。温厚な人柄で知られたが、この件に関しては怒りを隠さなかった。 「第一、スポンサーにどう説明するんですか。後になって明菜さんを騙していたなんてことになったら、私のクビが飛ぶだけでは済みませんよ。いくら視聴率が欲しいからといって、そんな反社会的なことをテレビ局が出来るはずがない。おまけに騙して生中継なんて怖くてやれない。明菜さんが『騙された』と口にするかもしれない。そうしたら、何もかもがお終いですよ」(皇氏)  金屏風を用意したのはホテル側だった。明菜の復帰会見だから、めでたい席だと判断し、気を利かせた。これが誤解を招く。  金屏風以外、婚約会見を匂わせるものは何一つない。近藤も普通のスーツ姿。近藤側と明菜側から取材陣に「婚約会見になる」と説明されていたわけでもない。 「あのころの常識として会見しないと明菜さんは復帰できない。マッチも活動しにくい。だから明菜さんとマッチの関係者が話し合い、記者会見することになった。自殺未遂から半年経ち、姿を現したと思ったら、いきなり婚約会見なんて、おかしいでしょ。あり得ない。明菜さんだって嫌がりますよ」(皇氏)  会見中、明菜は何度も殊勝に頭を下げた。謝罪の言葉も繰り返し口にした。強要されているようには見えない。疑う向きはYouTube等で当時の映像を確認してほしい。

また、当時の新聞・雑誌記事も片っ端から見たが、「婚約会見のはずだった」というくだりは一切ない。たとえば1990年1月19日号の「フォーカス」(休刊中)は「『明菜マッチ会見』を操った黒幕のソロバン “ミソギ”のための大イベント」と題した特集を組み、詳報しているが、やはり婚約会見という文言はない。2人の復帰のための会見だと強調している。 「新聞と雑誌が忖度した」と思う人もいるかもしれない。けれど写真誌や実話誌は昔も今もジャニーズ事務所や、明菜の当時の所属事務所であった研音への気遣いなどない。それが写真誌と実話誌の生命線だ。  第一、当時の明菜が騙さないと会見場に引っ張りだせないほど頑なだったら、本人は騙されていると分かった時点で退席するはず。よく考えると、辻褄が合わないことだらけなのだ。  当時、明菜は自殺未遂の理由をこう説明した。 「私が仕事をしていく上で一番信頼しなきゃいけない人たちを、信頼することが出来なくなってしまった」(明菜)  近藤との関係がうまくいっていないことが自殺未遂の大きな理由と思われたが、一方で仕事上の悩みを抱えていたのも事実。  当時の明菜は超売れっ子。カネのなる木には不純な輩も寄って来る。明菜に甘言を並べ、研音から独立させようと目論む人間もいた。明菜が信頼していたスタッフの悪口を吹き込んだ。これによって明菜は人間不信に陥り、やがてトラブルに発展する。  では、なぜ近藤宅を自殺未遂の場所に選んだのか。明菜はこう説明した。 「自分が一番信頼できたたった1人の人だったので、近藤さんの部屋に行ってしまって。最初に見つけてほしいなと思って」(明菜)  明菜の孤独を表す。一方で部屋のカギまで渡した近藤の無自覚と無責任も感じさせる。親しい関係にあったのは疑いようがない。  会見当時の近藤は25歳。明菜の復帰を祝福する通り一遍の言葉は口にしたものの、その翌1990年に控えた芸能生活10周年のアピールのほうが熱心だった。やはり無責任に映った。

では、いつから「明菜は騙された」という金屏風会見の伝説が生まれたのか。新聞・雑誌のすべてを検索システムを使い、確認したところ、2016年2月以降のこと。つい最近だ。  ある雑誌がこんな匿名の芸能ライターの談話を掲載した。 「明菜はジャニーズサイドから『マッチとの婚約会見だから』と呼ばれたが、現場に来てみると違っていた。つまり騙されたというのが通説になっています」  以来、この類の話が散見されるようになった。  実のところ、1990年代前半から、冗談としては流布されていた話だった。筆者がスポーツ新聞に勤務し、文化部記者をしていたころ、先輩の敏腕記者が酒席で、「明菜ちゃんは婚約会見だと騙されてたんじゃないの」と漏らした。おそらく、ほかの記者も同じような冗談を口にしただろう。この類の話には尾ひれが付きやすい。  昭和の大物芸能人がガンで亡くなった際、「本当の死因は違う」とささやく人がいたことを思い出した。そんな話は今も絶えない。  近藤の25歳年下女性との5年不倫が発覚したのは昨年11月。直後から無期限活動自粛に入り、4月30日に石もて追われるようにジャニーズ事務所を去った。やむを得ないだろう。スタッフやファンを裏切ったのだから。  近藤は1990年代からヒット曲がほとんどない。明菜の会見以降、売れなくなったと言い換えてもいい。近藤は無責任に接してしまった明菜の幻影から、いまだ逃れられていないのではないか。  金屏風の伝説が生まれた背景もそこにあるだろう。 

(2021.5.10.デイリー新潮)






近藤真彦の実弟が明かした“ジャニーズ退所”の「真相」と奥さんの「胸の内」

“ジャニーズの長男”が事務所を去った。40年以上、在籍していた近藤真彦(56)が、4月30日に退所を発表したのだ。 「昨年11月に『週刊文春』が、25歳下の女性と5年にわたる不倫を報じました。ジャニーズ事務所は不倫があったと事実を認め、近藤さんには無期限の謹慎処分が下されていました」(スポーツ紙記者)  昨年はデビュー40周年という節目の年だった。 「事務所のスタッフが走り回って取ってきた仕事が10本以上あったのですが、すべて白紙に。でも、マッチが気にしていたのは芸能活動ではなく、カーレースのことだけ。謹慎間もない昨年末には“レースなら復帰できるでしょ”と高をくくっていたんです」(テレビ局関係者)  これまでもジャニーズのタレントが不祥事を起こすことはあったが、現役で写真をガッツリ撮られた不倫騒動は、今回の近藤が初めて。風当たりも強く、事務所としても簡単に活動を再開させるわけにはいかなかった。 「5月から本格的なレースのシーズンということもあり、マッチは“無期限”という処分に業を煮やしていました。ジャニーズの“礎”を築いた1人でもあり“俺が辞めたら困るだろう”と考えていたよう。誰かが引き留めるだろうと、退所を“ブラフ”としてチラつかせたら、事務所は“辞めたかったら止めません”ということに。彼の扱いに困っていたところ、本人から退所を申し出てくれて、事はすんなり運んだ。マッチと事務所は、そういった意味では“円満”なんです」(同・テレビ局関係者)  そんな近藤には、後輩たちから感謝のコメントが相次いだが、東山紀之(54)は違った。メインキャスターを務める『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)で、厳しく批判したのだ。 「後輩たちにも、ファンたちにも、何の説明もしていない。説明をしたくなかったのか、することができないのか、それともこれからするのか」 「僕らはたくさんのファンの人たちに支えられている。それに向き合うのが礼儀のひとつだと思う」  会見を開くこともなく明確な謝罪もなかったうえ、突然の独立宣言に「すごく薄っぺらく感じる」とまで言い切ったのだった。
近藤の“恩師”はどう考えているのか。'79年に放送されたデビュー作『3年B組金八先生』(TBS系)で共演した武田鉄矢(72)に、自宅前で話を聞いてみたが、 「もう10年以上、付き合いはないし、年賀状のやりとりもない。'19年のジャニーさんのお別れ会で見かけたくらいですから、私がコメントをする立場にありません」  ただ、それでも“教え子”であることに変わりはないと、複雑な胸中を明かす。 「私はダメな教師でしたが、いつまでも私の生徒だという気持ちに変わりはありません。何か相談がきたら? もちろん、そのときは応えます」  かつての恩師に、今のところ相談はないようだ。  では“同級生”はどうか。同じ『金八』に出演し、たのきんトリオとしてジャニーズで同じ釜の飯を食べ、先に退所した田原俊彦である。 「トシちゃんにも、今回のマッチの退所に関してコメント依頼が殺到しているようですが、“まぁ頑張ってとしか言えないね”と、他人事です」(ワイドショースタッフ)  近藤の“兄貴分”にあたるという音楽業界関係者にも、退所について事前の連絡はなかったという。 「事務所の上層部にだけ伝えて、パッと消えた。あまり考えないほうがいいというタイプだし、それが彼の引き際の美学なんだと思う。誰か1人に相談するのも負担をかけるし、後輩たちに迷惑をかけたくなかったんじゃないかな」  なので、東山の痛烈な言葉には驚いたと話す。 「マッチは誰からも好かれるタイプで、何でも許されちゃう。人当たりがいいとはいえないヒガシからすれば、何でっていう気持ちがずっとあったのかな。マッチはおとこ気があるし、実はヒガシよりもマッチのほうが後輩の信頼は厚い。でも時代の変化で、今はヒガシのようなお堅いタイプが世間ウケはいいのかもしれないね」(同・音楽業界関係者)  近藤がオーナー兼監督を務める『KONDO Racing Team』は、従来どおりレース活動を続けると発表したが、今のところサーキットに姿を見せていない。そんな近藤とチームを支援するスポンサーの1人によると、 「彼はジャニーズとは歩合制の契約で、芸能活動は開店休業状態だったから、ほとんど給料はもらっていなかったはず。彼の稼ぎは、レースの監督として日産自動車から出ています。チームはレースで優勝もするなどトップクラスなので、監督としてかなり稼いでいるはずですよ」

ジャニーズを退所したことで、レースへの復帰は早まる可能性も高く、タイヤを提供している横浜ゴムによれば、今すぐに協賛が打ち切られることはなさそうだ。  ただ、このスポンサーにも退所前の連絡はなかった。 「昨年の不倫報道のときは連絡がありましたが、今回の退所のことは本当に誰にも相談しなかったらしいですよ。唯一、親族である弟には連絡したようですけど」  そこで、神奈川県に住む近藤の実弟に話を聞くことに。ふたり兄弟の3つ下。自宅の表札の横には『KONDO Racing』のステッカーが貼られたポストもある。 「私も辞めるなんて、ホント知らなかったです。でも、退所を発表する30分前にアイツから電話はありました。久しぶりだったから、なんだよ珍しいなと思ったら“これから退所を発表する”って」  兄であるマッチのことを“アイツ”呼ばわりしていたが、仲が悪いわけではないらしい。兄弟の友人の話では、照れ隠しのようなものだという。 「昨年の不倫報道があった後はメールで“悪いな、迷惑かけて”って来たから“こっちは大丈夫だよ”って返したことはありました」 ──ということは、兄の不倫は知っていた? 「まぁね。知らないことはなかったけれども……。普段から一緒に飲まないし、アイツとはすぐケンカになるから」  自らの不倫騒動で謹慎となったにもかかわらず、誰にも相談せずに長年“庇護の下”にあったジャニーズから飛び出したマッチ。'94年に結婚した妻は、今回の件で激怒していないのだろうか。 「大丈夫だと思いますよ。私はアイツと仲は悪いけど、アイツと奥さんは、ね」  兄弟で会うことは少なくなったが、マッチの離婚はないと確信しているようだった。  “兄貴分”にあたる前出の音楽業界関係者も、同じように離婚はないと語る。 「不倫騒動のときにマッチに電話して“バカだな、お前”って怒ったら“ごめんなさい”って。しばらく芸能界は難しいから、レースに集中しろって言いましたよ。奥さんにも電話しました。大丈夫? って聞いたら、“私は芸能人と結婚したときから、こういう覚悟はできていました”って。彼女は一般家庭の人だったから、いろいろと大変だったと思うけれども、耐える気持ちが強い女性なんだよ」  チームを運営するのは近藤の個人会社で、妻も役員として名を連ねている。 「先日も夫婦と一緒に食事をしたとき、マッチが“オレ、2度と女遊びはできないかな?”なんて言うと、奥さんは“また、そんなこと言って”なんて笑えるぐらい、本当に仲がいいんですよ。彼女がいる限り大丈夫でしょう」(同・音楽業界関係者)  現在の窮状を切り抜けるには、支えてくれる妻に感謝をするのが、今のマッチに必要な“やり方”だろう。

(2021.5.10.週間女性PRIME)


 

 

 

 

 

 

 

 
 

 
 

 

 

 

 

 

 

 
 

 
 

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