すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

其処にいる人  白畑真逸

2021年10月20日 | 映画・テレビ・動画
白畑真逸

「水曜日のダウンタウン」に出演、
無表情なドッキリ仕掛け人の“知られざる苦労”

「ベッドの下でずーっと待つ企画」という連絡が来て
――「人がいる」シリーズの“いる人”役は、オーディションみたいなものがあったのですか? 白畑真逸さん(以下、白畑) オーディションではないです。ただ、その前から「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」(TBS系)とか、バラエティ番組のドッキリ企画の仕掛け人をちょくちょくやってはいたんです。たとえば、芸人さんがインタビューを受ける時、ライターと編集者が手錠で繋がれていたらどんな反応をするか、みたいな企画とか。  そうしたら事務所の社長に、「水曜日のダウンタウン」(TBS系、以下「水ダウ」)のスタッフから「ベッドの下でずーっと待っていられるような企画をやれる人を探している」という連絡が来て。社長は僕だったらイケるんじゃないかと思ったそうで、「こういうオファーが来ているけど」と言われて「なんでもOKです」と返事したんです。 ――即答ですか。 白畑 それほど過酷な企画だとは思わなかったし、あくまで仕事の一環として捉えていたので。あんまり深くは考えなかったですね。 ――事務所の社長が所属俳優のなかから白畑さんを推してくれたわけですけど、「水ダウ」のスタッフのほうは「イメージ通りだ!」みたいな反応はしてくれたのでしょうか? 白畑 特にそういうことは言われなかったですけど、ちょっとしたハプニング的なもので評価されたというか。

僕ら役者って「よーい、スタート」で始まって「カット」と言われるまでの間に芝居をするんですね。たしか、僕がいちばん最初にやった「人がいる」シリーズは「後部座席に人がいる」というテーマで、ターゲットのひとりがマテンロウのアントニーさんでした。盛大に驚いてくれて大成功だったんですけど、スタッフは誰一人として「カット」と言わない。すでにバラシ(後片付け)が始まりそうな雰囲気だけど、こちらとしてはカットがかからないから動くわけにはいかない。だから、動かずにジーッとしていたけど、誰もそんな僕に気付いていないという。  ようやく、僕が芝居を続けていることにアントニーさんが気付いて「おい、まだやってるよ。怖いから、もうやめてくれ!」と騒いでくれて。そこでカメラを向けられたんですけど、やっぱり「カット」とは言われないのでジーッとしていて。その映像がスタジオで流れた時にダウンタウンさんが面白がってくれて、そこから「この人怖い」と話題になっていった感じですね。 ――現在は「カット」はかかっているのですか。 白畑 相変わらずかからないです。ターゲットが驚いて、ネタばらしをして、照明が消えてもカットはかかりません。だから、いまもジーッとしています。それにターゲットの方が「まだ、やってる」とさらに怖がってカメラを向けられることもありますから。ディレクターさんやADさんがはっきりと「もう終わりですよ」と言うまでは動けないですね。 

――偶然の産物というか、役者とバラエティそれぞれの習慣や常識の齟齬みたいなものが、 “いる人”のキャラクターを確立させることになったんですね。 白畑 バラエティはカットをかけずに、「もういいですよ」と言われたら終わるんですよ。だから、僕がずっと演技を続けているのが面白かったみたいです。単純に役者としての習慣でやっていただけですが。 ――もう、なにがあっても無表情で無動作を貫くのがお決まりになっていますよね。 白畑 「人がいる」シリーズをやらせていただけるようになって、もう5年くらい経つので、現場を仕切るディレクターさんも何人か替わりました。新任の方がやってくるたびに「いつも拝見しています」「いつもの通りお願いします」みたいな感じで挨拶してくださいますね。
――演出や指導をされることはないですか。 白畑 いま思えば、2回目の収録あたりからADさんに「プロの技でお願いします」と言われるだけになっていました。後部座席から出てくるタイミングなど、すべて僕に任せてくれるみたいな。 ――白畑さんは役者ですから“いる人”というキャラクターを演じている感覚だと思うのですが、どこかでバラエティ的な仕掛け人としての自覚もあるのでしょうか。 白畑 やっぱり、最初は人を驚かすことに少しだけ抵抗があったんですよ。でも、だんだんと慣れていって、あくまでそこに“いる人”になりきるという感覚になっています。驚かす驚かさないとかではなく、とにかくそこにいる、自分のやることをきちんとやる。  最初に出演した時に、スタッフさんから「なにがあっても、声を出したり、笑ったりしないでください」と言われて、それをずっと守ってやっている感じですね。
ターゲットに殴られそうになったら
―― 端から見たら“いる人”は不審者極まりないので、驚きのあまり白畑さんを張り倒そうとするターゲットもいそうですが。 白畑 当初はターゲットの方たちがどう対応するかわからないので、ディレクターさんもそのあたりを気にしていました。「なにがあっても、声を出したり、笑ったりしないでください」の後に「でも、殴ってきたら逃げてください」って(笑)。実際、僕もかなり怖がりながらやっていましたから。 ――ターゲットが向かってこなくても、危険な現場がありますよね。「後部座席に人がいる」(2017年3月22日放送)は、バイきんぐの小峠さんが愛車を運転している最中に後部座席から起き上がるという企画でした。敷地内での運転でしたけど、驚いた小峠さんが運転を誤ったら……などと考えたりは? 白畑 そうなったらしょうがないみたいな感じで、意外と怖くなかったですね。それに昔、プライベートで乗っていた車が思いっきり横転したことがあるんです。軽井沢の人通りの多い場所で。運転していた友人の具合が急に悪くなったと思ったら、車が横転しちゃって。そのまま友人は気を失っていたので、警察が来るまで僕が交通整理みたいなことやっていました。そういう経験があるものだから、あまり怖くはなかったです。

――「あくまでそこに“いる人”になりきる」ということですが、なにかしら“いる人”の設定や背景みたいなものを想定して臨んでいたりはするのですか? 白畑 そこまではしてないです(笑)。ただ、このあいだネット配信の番組に出させていただいたんですよ。そのディレクターさんが「人がいる」シリーズのファンということで呼んでいただいたんですけど。その方も似たようなことを仰っていて、“いる人”のバックボーンや日常をフェイクドラマみたいな感じで描いたら面白いんじゃないかって。 ――ターゲットが驚くまで待っているわけですから、長丁場の現場だと思います。実際、部屋や自動車でのセッティングからターゲットが驚いて撤収するまで、どれくらいの時間が掛かっているのでしょうか。 白畑 こればっかりは、ケースバイケースですね。やっぱり長いのは、ターゲットのお宅にお邪魔して帰ってくるまで待つ場合です。帰宅するまではリラックスして待っていられるけど、帰ってきてすぐさまクローゼットを開けたり、ベッドに入ったりするわけじゃないですから。まぁ、早いと1時間くらいで終わってしまうこともあります。 ――終わるまでは飲まず食わずでしょうし、トイレに行きたくなることもあるのではと心配になるのですが。 白畑 収録前にちゃんと食べておくので、そのへんは大丈夫です。それよりも暑さですね。冬場でも布団を被ったり、ベッドに潜り込んだりしていると、暑いうえに息もできないんです。だからベッドに隠れる場合は、僕が入る穴をくり抜いたベッドを作ってもらいました。横に空気穴も開けてもらって。
ホッとしても、絶対に表情も体勢も崩さない
――“いる人”をやるうえで、気配の有無も重要なのではないかと。やはり、気を使っていますか。 白畑 気配を感じとられて見つかったら終わりですし、そうなったら面白くないじゃないですか。なので、細心の注意を払っています。たとえば、衣擦れの音とか立てないようにとか。ターゲットがなにかしら身体を動かす時には僕も一緒に動いて体勢を変えるんです。そうすると、なにか音が生じてもターゲットは自分で立てたものだと思ってしまう。この音のシンクロは場数を踏んでいくうちに、絶妙なタイミングを掴めるようになりました。 ――ターゲットが白畑さんと出くわして驚く姿を見て、「してやった」的な気持ちはこみ上げるものでしょうか。待機している時間もあるわけですし。 白畑 いやいや、もう「やっと気づいてくれたな」「やっと見つけてくれた」というほうが大きいので(笑)。でも、それでちょっとでも僕が気を許した様子を見せたら、企画が面白くなくなってしまいます。見つけてもらってホッとしても、絶対に表情も体勢も崩さないようにしていますね。
――錯乱状態に陥ってしまうターゲットもいますよね。 白畑 女性の場合は、良心の呵責というか複雑な気持ちになりました。「後部座席に人がいる」(2017年3月22日放送)でキンタローさん、「ベッドの中に人がいる」(2018年2月28日放送)で尼神インターの誠子さんを驚かせたんですけど、誠子さんは本気で腰を抜かしてしまって。さすがにトラウマになってしまうのではないかと心配になりました。  スタッフのほうも同じように考えて、あれからは女性はターゲットにしていないんじゃないですかね。 ――白畑さんご自身がターゲットにされたこともありました。「ドッキリ仕掛け人としてクローゼットに隠れてる時、色ナシ臭いアリ空気砲食らっても出ていくわけにはいかない説」(2019年10月30日放送)で、アントニー邸のクローゼットに潜んでいるところに不快な臭いの空気砲を放たれるという。 白畑 他の方みたいにドーンと来るわけじゃなく、小さい空気砲で小出しにされていたから、ウワッとかウェッとなるわけじゃないんですよ。そんなに嫌な臭いでもなかったですし。ただ、途中から「なんか、アレだな」とは思いましたし、臭いもこもりますからね。まぁ、最後でむせちゃいましたけど。
オードリー春日が「写真を撮りましょう」
――5年近く“いる人”をやっていると、街で気付かれたり、声を掛けられたりしませんか? 白畑 街ではそんなにありません。いまはマスクを着けて歩いているから、なおさら気付かれない。よその現場に行くと、監督さんやスタッフさんに「一緒に写真撮ってください」「あの顔でお願いします」とか言われちゃいます(笑)。  この前、「サードシートにも人がいる」(2021年8月18日放送)でオードリーの春日さんをターゲットにしたんですよ。その時は、終わってから春日さんに「写真を撮りましょう」と声を掛けていただいて、一緒に撮りました。春日さんはあまりそういうことを言わない方らしく、スタッフさんが驚いていました。「めずらしいな。春日が写真を撮ろうなんて言うのは」って。

――インタビューするにあたって白畑さんの経歴を調べたのですが、詳しい情報を得られなかったんです。せっかくの機会なので、俳優になられた経緯をお聞きしたいのですが。 

白畑真逸さん(以下、白畑) 「この俳優にすごく憧れて」みたいなのはあまりないんですよ。ただ、子供の頃に青春ドラマが大好きでよく見ていました。中村雅俊さんが教師役で主演を務めていた「ゆうひが丘の総理大臣」(日本テレビ系・1978~79年)なんかを見ては、こんな中学校の生徒になりたいなんて思っていましたね。そこがスタートになって、ちょっと芸能界に憧れて、バンドやったり、いろいろやったりして、役者にたどり着いたって感じですかね。
――生まれは埼玉県とのことですが、埼玉のどちらになるのでしょう。
白畑 桶川です。本木雅弘くんが、中学の同級生で。そんなに仲良かったわけではなかったんですけど、彼が「シブがき隊」としてテレビに出ているのを見て「楽しそうだなぁ」という憧れと、「ちくしょう!」みたいな悔しさが渦巻いていましたね(笑)。
――俳優になって、ドラマや映画の現場で本木さんと一緒になったりは。
白畑 2、3年前に中学の同窓会があって、その時にサプライズで本木くんが出席したんです。「俺も俳優やっているんだ」と話したら「じゃあ、現場で会えるといいね」と言ってくれました。
バンドのボーカルから劇団員へ
――演技の道に進まれたのは、高校を卒業してから?
白畑 21歳か22歳まで桶川にいたんですけど、俳優になりたいという確固たるビジョンは持っていませんでした。芸能界に対して漠然とした憧れはあるけど、やりたいことがはっきりしない。友人がバンドをやっていたので、マネージャーみたいなことをやって手伝っているうちにボーカルをやるようになって。
――バンドって、ジャンルはロックとかポップスですか。
白畑 そうです。永ちゃん的なロック。僕らが中学、高校の頃って、ロックンロールが流行っていたんです。原宿のホコ天に行くと、ローラー族や竹の子族が踊っていて。僕もローラー族で、ホコ天で踊っていましたから。哀川翔さんが、「一世風靡セピア」の前身グループで踊っているのをよく見ていました。
 バンドでボーカルをやるようになったけど、一緒に組んでいる友人ほど音楽にのめり込めないなと思って。でも、人前でなにかを表現したい。いろいろ考えるうちにお芝居の学校に入って、そこで勉強をしていたら面白くなって俳優になりました。

――学校って、どこかの劇団の養成所ですか。
白畑 「劇団京」の養成所です。その前に日活の養成所に通ったんですけど、ダンスばっかりやらされるので辞めました。真田広之さんが好きだったので、なんとなくジャパン・アクション・クラブも受けましたが、運動神経がなくて落ちましたね。
 劇団京は「スタニスラフスキー・システム」という演技理論を導入していて、非常にリアルな演技を追求していました。養成所は2年制で、1年目は基礎訓練ばっかりで台詞を一切言わないんですよ。「架空対象行動」といって、水を飲む動きとかを延々と練習させられました。他の研究生たちは芝居をやりたいもんだから、「なんだ、コレ?」と辞めていっちゃう。でも、僕はそれが楽しくてしかたなくて。

――そこから劇団京の劇団員に。
白畑 劇団員になったけど、訓練ではリアルさを求められていたのに、舞台では「いかにも舞台」な演技を求められるんですよ。自分はどうしてもリアルな演技がしたかったので、悶々としちゃって。
 そこで、市川崑監督のブレーンだった永妻晃さんが主宰する「イエローページ」という劇団に入りました。30歳くらいの時ですね。永妻さんが映画業界に顔の利く方だったので、いろいろと映画の端役をもらうようになっていきましたね。
 だけど、3、4年したら演技の解釈とかで他の劇団員となんだか合わないなと感じることも多くなって。それを永妻さんも気付いたのか、「白畑、自分でなんかやれ」と言われてユニットを組んだんです。知り合いが自由が丘でバーをやっていて、そこを舞台にした脚本を書いて、その店内で上演していました。

(文春オンライン 2021年10月20日)
――それは面白そうですね。
白畑 2005年くらいに始めて、4年くらい続けたのかな。結構、評判は良かったんですよ。でも、他のメンバーが「バーの話じゃなくて、ちがう話をやりたい」とか「こんな役をやりたい」とか言い出すようになっちゃって(笑)。バーを舞台にしたシリーズで認知されたいと思って一生懸命やっていたのに、それぞれの欲が出てきた。で、ユニットを解散しました。

――以降、現在の事務所アルファセレクションに所属していらっしゃると。
白畑 入って、もう10年になりますね。単独でやっていくのも大変だし、仕事の枠も広げたいなとは思っていたんです。
 ユニットのメンバーと映画に出させていただいたりすると、僕が請求書を書いたり、他のメンバーが現場に行く時の手配もやったりしないといけなくて。そういう事務仕事みたいなものに、ヒーヒー言ってました。それで事務所を探していたら、アルファセレクションを知っている知人がいて。話を聞いたら「白畑に合うんじゃないか」と言われて、連絡してみたら「俳優は個人事業主だからともに目標に向かって社長同士の共同事業をしましょう」と。
――映画、テレビ、舞台はコロナの影響で、制作が思うように進まなかったりして大変だと聞いています。そうしたなか、コロナで困窮するスタッフや俳優、劇場を救うために企画された『シュシュシュの娘』(8月21日より全国順次公開中)に白畑さんも出演されています。相当に深刻な状況なのでしょうか? 
白畑 マスクをしていても、本番になったら外さなきゃいけないですからね。役者も危険なところにいるなと感じますね。たとえば連ドラだったら、レギュラーで入っている役者さんはしょっちゅうPCR検査をやっているけど、そこへ撮影は1日だけというレギュラーじゃない役者さんが入ってきたら、どうしても危険度が上がってしまうわけですから。
 あと、デルタ株の影響もあるのか、制作される映画の本数が減った気がします。あくまで僕の実感ですけど。減ったというより、延期になってしまった企画が多いというのが正しいかもしれません。
 僕は自主映画にも出演したり制作に関わったりしているんですけど、そういった小さい作品は演技して終わりではなく、他のことも手伝わないといけない。そういうのもあって、現場が好きなんですよね。出るだけじゃなくて、現場にいるみたいな。そういう機会が少なくなるのは不安だし、悲しいですよね。
「なんかいるよね」と思われる役者になりたい
――「水曜日のダウンタウン」もコロナ対策はしっかりと。
白畑 徹底していますよ。スタッフも僕もきっちりPCR検査をやっていますし。あと、そもそも僕は「水曜日のダウンタウン」では一言も喋ったりしませんから。
――俳優として、大きな目標みたいなものってありますか?
白畑 ないですね(笑)。昔はありましたけど、そういうものは歳を取ると段々となくなっていきました。もちろん、自分の手で映画や舞台をやりたいとは思いますけど、それよりも名前なんか知られなくてもいいから「この人、なんかいるよね」とか「この人、よく見るよね」みたいに思われる役者になりたいですよね。まぁ、「人がいる」シリーズでは後部座席とかクローゼットにいるわけですけど(笑)。




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