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「レツゴー三匹」じゅんさん 脳出血で死去 68歳

2014年05月08日 | 社会
「レツゴー三匹」じゅんさん 脳出血で死去 68歳

漫才トリオ「レツゴー三匹」のレツゴーじゅんとしても活躍した俳優の逢坂じゅん(おうさか・じゅん、本名渡辺美二=わたなべ・よしじ)さんが
8日午後5時29分、脳出血のため大阪市の病院で死去した。68歳。堺市出身。

じゅんさんは1945年7月2日生まれ。大阪の上宮高校卒業後に花紀京に弟子入りした。
レツゴーでの活動がほとんどなくなった後年は、逢坂じゅんの芸名で俳優としてテレビや舞台でも活躍。

スポニチアネックス 5月8日(木)

レツゴー三匹(1968年 - )
和光プロダクション → 松竹芸能(じゅんのみオフィスのいり所属)
タイヘイ一門の総領格だが、永らく半休止状態にある。

レツゴー正児(1940年8月11日 - )香川県仲多度郡琴平町出身。本名:直井正三。
ルーキー新一の実弟。市商生時代に兄と『漫才教室』(ABCラジオ)で勝ち抜き有名人に。
下級生の二代目桂春蝶、桂三枝(現・六代桂文枝)らの面倒も見ていた。
高卒後、関西汽船社員、兄が経営する珠算塾の講師を経て、1963年に京芸プロ(『漫画トリオ』の個人事務所)に所属し、同じ漫才教室出身の横山やすしと『横山たかし(2代目)』の名で組んだものの長続きせず、三田ステップの名でホップ(後の三代目平和日佐丸)らと『三田ホップ・ステップ・ジャンプ』を結成。
1965年に兄が吉本新喜劇から集団脱退して、軽演劇一座『ルーキー爆笑劇団』を立ち上げると共に入団。
現在は講演、俳優、吾妻ひな子の「おんな放談」模して「おとこ放談」と称して河内音頭を織り交ぜた漫談など幅広く活躍。

レツゴーじゅん(1945年7月2日 - 2014年5月8日)大阪府堺市出身。本名:渡辺美二。
単独でのタレント活動時の芸名は逢坂じゅん(おうさか じゅん)。
学生時代から横山やすしとは親交があった。上宮高等学校在学中の1961年にエキストラでテレビドラマに出演、高校卒業後1964年に新聞に掲載されていた吉本新喜劇の研究生募集の広告を見て入団、花紀京の付き人になる。(坂田利夫らと同期)、当時の芸名は渡 淳(命名は前田五郎)
翌年『ルーキー爆笑劇団』に移籍。
1980年代末より、ピンのテレビタレント、舞台俳優としても活動。
1991年、脚本家の逢坂勉(おうさか べん、本名:山像信夫、野川由美子の夫)門下に入り、『逢坂じゅん』の名を併用するようになった。
フール・ファイブのメンバーの1人である。他のメンバーは藤山寛美、坂田利夫、西川きよし、月亭八方。
2014年5月8日、脳出血のために大阪市内の病院にて死去[1]。68歳没。

レツゴー長作(1943年9月29日 - )岡山県都窪郡妹尾町(現:岡山市南区)出身。本名:永原誠。歌手としての芸名は人 長作(じん ちょうさく)。
妹尾町立妹尾中学校(現:岡山市立妹尾中学校)卒業後1964年に松竹新喜劇の2代目渋谷天外に入門し2年間天外自宅で住み込みで芝居の修行をする、同年道頓堀中座で初舞台。その傍ら真山一郎の門下で歌謡曲を学ぶ。
松竹新喜劇を離れ、花人名の名で『ピンアップトリオ』、次に本名で『あひる艦隊』(山名派、吉本系)に参加。
1969年に、一修と入れ替わりでレツゴー三匹に加入。
ピン活動時には「難儀節」「長作のかわら版」と題打ち、津軽三味線を取り入れたボヤキ漫談を披露している。
現在はボヤキ漫談の他に演歌、歌謡歌手としても活躍。天外の弟子ということもあり、松竹新喜劇にも定期的に出演。



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