すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

小学生の娘が母親の愛人男から性的虐待

2021年08月23日 | 社会
「ジェルみたいなものをお股に塗られ、機械みたいな物をお股にあてられました。被告人は自分の性器を持ってお股のあいだにいれようとしてきました。私は足などで抵抗しました」 
 法廷内に響いた被害少女の声は、ビデオリンク方式により別室から配信されたため、表情こそ見えないが確かに震えていた。自身が受けた性暴力の恐怖について訴える少女の声を、白いポロシャツ姿の被告人は前を向き、表情を変えることなく聞いていた。

 今年3月から大阪地方裁判所某支部で行われている刑事裁判の4回目の公判が6月2日に行われた。町工場社長のヤマモトシュウジ被告(50代、仮名)は「強制わいせつ」と「強制性交」の罪に問われている。この事件の被害者は、ヤマモト被告の愛人の娘で、当時小学生だった女子児童である。 

あまりに卑劣な犯行内容に、2人の若手女性検事は眉をひそめて被告を追及しているが、被告についている3人のベテラン弁護士は不敵な笑みを浮かべ、証拠資料の不備を指摘している。
 6月2日の公判では、被害女児の母親も証言台に立ち、「亡くなった主人に申しわけない」「娘の痛みを法で裁いてください」と涙を流した。


2019年夏に逮捕されたヤマモト被告は大阪府郊外の町で十数人の従業員を雇い、金属部品加工の工場を経営していた。捜査関係者が明かす。

「既婚者のヤマモトは、長年、自身が経営する工場の事務をしていたA子さん(40代)を愛人として囲いながら、A子さんの目が届かないところで当時小学校3年生だったB子ちゃんに対して、数年間にわたり、わいせつ行為を繰り返していたのです。逮捕直前の2019年夏には、最低でも2~3週間に1回のペースで行為が行われていたことが捜査の結果わかっています。
 強制的な口淫や性器へ指を入れるなどするだけでなく、ヤマモトがローションやオモチャを使った後に、本番行為を強引に行おうとしたこともありました。B子ちゃんは性病にまで感染しました」
 5月26日に行われた3回目の公判ではB子ちゃんを診察した産婦人科の医師が出廷し、B子ちゃんが患った性病について証言をした。

 B子ちゃんは、ヤマモトから性被害にあった当初、母親のA子さんに相談したことがあったという。
「B子ちゃんはヤマモトと一緒にお風呂に入った際に、ヤマモトからわいせつな行為をされ、『指を入れられお股が痛い』と母親に告白したのです。驚いたA子さんはヤマモトを問い詰めたが、ヤマモトは『濡れ衣だ』と逆ギレし、A子さんは言い負かされてしまった。当時、A子さんはヤマモトを信頼しきっており、それ以上追及できなかったようです。以来、ヤマモトはB子ちゃんに対して、『絶対誰にも言うな』と脅しめいた口止めの言葉を発して、A子さんに助けを求めぬよう恐怖に陥れたのち、わいせつ行為を続けていました。
 しかし、ヤマモトの性暴力に耐え切れなくなったB子ちゃんは、2019年、ネット上で知り合った友人に相談した後、母親に宛てた手紙で、これまで自身がヤマモトから受けてきた性被害について告白し、自殺を考えていたことも打ち明けたのです。A子さんとB子ちゃん親子は、互いに涙を流し、A子さんは警察へ通報。捜査が進められた結果、2019年夏にヤマモトは逮捕されたのです」(同前)

逮捕後もヤマモト被告は容疑を否認し続けている。一体ヤマモト被告とはどんな人物か。


 ヤマモト被告が経営する工場の元従業員によれば、ヤマモト被告は身長180センチと大柄な体型で、プラチナのネックレスを常に身に付けていたという。工場では日常的にヤマモト被告の怒声が響き、従業員から恐れられていた。元従業員が続ける。

「ウチの工場はもともとヤマモト被告とは別の、昔かたぎの職人が経営していた大手金属加工会社の下請け会社でした。職人たちが丁寧に仕事するから、下請け単価も高く、親会社からの評判も良かった。しかし15年前、その社長が亡くなり、後妻であるC子さんが会社を継ぐことになったのです。このC子さんが工場に連れてきたのがヤマモトでした。『先代とは釣り仲間だった』と言っていたヤマモトは、いつの間にか経営にまで口を出すようになり、跡取り候補で取締役をしていた先代の息子を社外に追い出し、あれよあれよという間に実権を握ってしまった」 

ヤマモト被告は既婚者で、家族と暮らす大阪府内の自宅には妻と子供、孫も同居している。一方、工場の実権を握った当初は、自宅から車で1時間ほどの距離にある山奥のC子さんの家で頻繁に過ごす生活を送っていた。当時、C子さんと親しげに過ごすヤマモト被告の姿を近隣住民が目撃している。
「C子さんはヤマモトを寵愛しており、自身は4、5年で会社経営から退き、老人施設に入りました。C子さんから会社の経営権を譲り受けたヤマモトはC子さんの家も譲り受けて、“別邸”とした。その後は、週5日をその“別邸”で過ごし、2日だけ自宅に帰る暮らしを続けてきました。そして、この山奥の家にB子ちゃんを連れ込み、わいせつ行為を繰り返してきたのです。

経営権を握ったヤマモトは従業員に自分のことを『会長』と呼ばせ、何か気に入らないことがあると大声で怒鳴り散らし、自身は『暴力団とも交流がある』と吹聴していました。給料は手渡しなのですが、自分に反論する者はことごとく減給する。自分の家の引っ越し作業に社員を駆り出した揚げ句、冷蔵庫の運び出しが遅かった社員に減給処分を下したり、会社で行われるバーベキュー大会や餅つき大会への参加を拒否した社員も減給にしていました」(別の元従業員) 
ヤマモト被告は頻繁に、高級車レクサスで工場に出勤し、C子さんから譲り受けた“別邸”以外に複数の別荘を所有。「金ならある!」と、ヤマモト被告は常に豪語していたという。元従業員が続ける。 

「でも、その金だって、炎天下の中で、僕らにきついノルマを課して手に入れた金でした。ギリギリの環境の中で事故を起こしてしまい、指に大怪我を負ったにもかかわらず労災が下りなかった社員もいます。税務署に入られたこともあった。そんなヤマモトが、愛人として囲っていたのが、工場の従業員だったA子さんでした。でも、A子さんも苦労された方なんです」 

A子さんの夫はヤマモト被告が経営する会社の親会社に勤務していた。A子さんの夫は10年前に仕事中の事故で亡くなったという。
「ご主人を亡くしたばかりの失意のA子さんに近寄ってきたのがヤマモトでした。(死亡した夫について)労災や見舞金などが下りるよう親会社に働きかけ、A子さんを自分の会社の事務員として引き抜いたのです。A子さんにたくさん恩を売ったのちに、ヤマモトはA子さんに、自分の愛人になるよう迫ったんです。A子さんもその頃にはすっかりヤマモトに頼り切るようになっていました。

 ヤマモトはA子さんと関係を持つと、A子さんの家庭のことにも口を出し始めました。娘であるB子ちゃんやB子ちゃんの弟の『父親代わりになる』とも言いだしたんです。しかし、『父親代わり』というのは口先だけで、実際にはB子ちゃんやB子ちゃんの弟に対して“しつけ”と称して、炎天下のなか工場で何時間も立たせたり、顔を殴るといった行為を繰り返していました。特にB子ちゃんの弟への仕打ちは酷く、ある時には、顔にタバコの火傷の跡があったこともありました。本人は『ふざけていただけ。避けると思っていた』と弁明していましたが、あれは虐待です。 
A子さんが、それらの虐待に気づいていたかはわかりませんが、当時はヤマモトに心酔しており、本人も『今思えば洗脳状態だった』と嘆いていました」(別の従業員)
 A子さんとB子ちゃん、その弟とヤマモト被告は一緒に沖縄旅行にも出かけるほどの関係性だった。だが、母親のA子さんの見えぬところで、ヤマモト被告はB子ちゃんに対してわいせつ行為を繰り返していたという。
「B子ちゃんはずっと我慢してきました。ヤマモトは未亡人や子供などの立場の弱い女性を支配しようとするのです」(同前)





「お母さん、ごめんなさい。言えなかった」
小学生の娘が愛人男から性的虐待 母親は法廷で嗚咽を
《大阪・少女強制性交》

今年3月より大阪地方裁判所某支部で行なわれている刑事裁判。大阪府郊外の町で金属部品加工の工場を営むヤマモトシュウジ被告(50代・仮名)は町工場の従業員で愛人だったA子さん(40代)の娘であるB子ちゃんに対して「強制わいせつ」「強制性交」を犯した罪に問われている。検察は、B子ちゃんが小学3年生の頃から性被害に合い、自殺を考える程追い込まれていたと指摘、だが、ヤマモト被告は逮捕当時から容疑を否認、B子ちゃんが訴えた性被害も「作り話だ」と供述しているという。

午後3時過ぎに、被害者のB子ちゃんに対する被告弁護人側の質問が終わり、B子ちゃんが退廷すると、傍聴人は一度法廷の外に出された。その間にB子ちゃんの母親であるA子さんが入廷し、パーティションを証言台周辺に設置する遮蔽措置がとられた。傍聴人が再び席に着いた後、A子さんがか細い声で宣誓した。  検察側はまず、A子さんとヤマモト被告の関係性について聞いた。 「付き合っていました。主人の職場関係で知り合いました。主人と被告人の関係は取引先の元請けと下請けの関係です。被告人と知り合ったのは平成23(2011)年頃です。主人は平成24(2012)年に交通事故で亡くなりました。付き合い始めたのはそこから1年後くらいです」(A子さん) ――被告には奥さんがいた?(検察官、以下同) 「はい」(A子さん、以下同) ――不倫関係? 「はい。(距離が近づいたのは、2012年に)主人がなくなって(ヤマモト被告が)『弁護士を紹介したい』と言って、そこからです。主人が亡くなって1年は何もしていませんでしたが、被告人の会社で働くようになりました。付き合うようになって平日は仕事で関係していて休日は旅行に行ったり家に行ったりしました。別宅(※ 前記事 で登場した“別邸”のこと)以外では和歌山の別荘に行きました。 (B子ちゃんへの)わいせつ(行為)を知ったのは、2年前の8月上旬、旅行の前日に私の部屋に手紙が貼られていました。見つけたのは夜の21時ごろです。メモの内容は『お母さん、ごめんなさい。黙っていたことがあります。わいせつなことをされて……家庭が壊れるから言えなかった、ごめんなさい』でした」 被害児童の特定を避けるため被告を匿名で報じます。
A子さんは思わず、嗚咽を漏らした。A子さんが証言している間、被告人席のヤマモト被告は微動だにせず、ただじっと前を見つめていた。A子さんが証言を続ける。 「メモを見て言葉にならなかったです。娘を部屋に呼びました。ジェルを塗られて……お風呂の時に指を入れられたと言っていました」 ――指を入れられたときのことについて。 「『お股痛いって言ったやん。あの時、指いれられてん』と聞きました。娘がお風呂から出て『お股痛い』といって、何も言っていないのに被告人が急に『濡れ衣や』と言いました。大阪の別宅で、(B子ちゃんが)小学校高学年のころです」  続いて、検察側は、午前中にB子ちゃんが証言した、繰り返された「強制わいせつ」について、A子さんに聞いた。A子さんは記憶を振り絞って当時の状況を答えた。  沖縄のリゾートホテルでの性被害についてはこう証言した。 「隣の部屋がキャンセルになったので、被告人が『隣の部屋を子供の部屋にしよう』と言いました。元の部屋を大人の部屋(ヤマモト被告とA子さん)、キャンセルになった部屋を子供の部屋(B子ちゃんと弟)にしました。  1泊目の夜に被告人が『子供たちの様子を見に行く』と言って出て行きました。すぐには戻りませんでした。出て行ったのは23時とかで戻ったのは24時とか……」 

B子ちゃんが和歌山にあるヤマモト被告の別荘にあるジャグジー風呂の脱衣所で性被害を受けたと証言したことについては、次のように述べた。 「(後日、B子ちゃんに)『お母さん、(その時は)何してた?』と聞くと、『寝ていた』と言われて、思い当たることがありました。被告人にお金を立て替えてほしいと言われ、そのことに悩んで寝ていたことがありました。 (ヤマモト被告は和歌山に2軒の別荘を所有しているが)1軒目の別荘代、1000万円を(ヤマモト被告に対して)立て替えていて、さらに『2軒目の別荘代1400万を』と(ヤマモト被告から)頼まれました。2軒目について悩んだのは、主人の命のお金(保険金)だからです。主人が亡くなった時のお金で払うことになるからです。1軒目のお金はまだ返してもらっていませんでした。 (A子さんが和歌山の別荘で)寝ていた日は、被告人から来ていた『お金立て替えてくれへんかなぁ』というメールや銀行の振込書で特定できました。メールが来た時はお金のことをメールで言うことじゃないと思って何も返事をしませんでした。仕事が一緒なので、その時被告人は不機嫌でした。夜に電話で『メールしたけどなんで無視すんねん』みたいなことを言われました。結局、立て替えたのは、しつこく『いいやろ、いいやろ』と言われたからです」 ――ヤマモト被告と金銭トラブルになっていたのか。 「ないです。(お金のトラブルは? という質問に)ないです」 ――別荘の返済プランは? 「なかなか返してくれんかったので、『夫の命のお金だ』と伝えました。令和元(2019)年8月には返してもらいつつありました。残金は950万円くらいです」 

――被告人は(B子ちゃんにとって)どういう存在? 「お父さんを知っている、お父さん代わりの人です。しつけは厳しいなと思いました。叩いたり……。ごはんを食べないと言って叩いていました」 ――B子ちゃんが被告を嫌がることは? 「大きくなってからはありました。別宅とかについては『えー』と言っていました」 ――被告人と性行為をしましたか? 「はい、最後は2年前の沖縄です。付き合い当初は毎日することもありました。事務所ですることもありました」 ――被告に対してどう思いますか? 「罪を認めないのは、自分のプライドとか立場を守るためだと思う。反省していない。なんでこんな苦しんだのに。今も苦しんでいるのに。  裁判長、娘が言うんです。『私、女の子に産まれたんが悪かったんかなぁ、男の子に産まれたらよかったのかなぁ』『もし私が言わなかったら、今ごろ自殺して死んでたよ』って言うんです。
「裁判長、お願いです。娘の痛みを法で裁いてください」
 主人と(B子ちゃんを妊娠した時に)女の子やって分かった時、すごく喜んだんです。嬉しくて絶対守ると思ったのに。主人が死んで寂しい思いをさせたくなくて頑張ったのに。亡くなった主人にも申し訳ない。娘、死んだらどうしようと思います。今でも、明日死んでいたらどうしようって……。この間も文春の人が来ました。被害のことを知っていました(※取材班は5月26日にA子さんに話を聞くべく接触を試みたが、A子さんは取材を拒否した)。  お願いです。裁判長、裁判官、お願いです。娘の痛みを法で裁いてください。お願いします」  悲痛な叫びが法廷に響き渡り、A子さんへの検察側の質問は終了。この日は閉廷となった。この日、B子ちゃんやA子さんが証言をしている間、ヤマモト被告は前を見つめ、時折、天を仰いでいた。

(2021.6.「文春オンライン」)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田中 理恵 | トップ | 座間 手順 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会」カテゴリの最新記事