すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

ゆきゆきて神軍

2007年01月08日 | 映画・テレビ・動画


この映画をつまんないとゆー人は滅多にいないと思います

奥崎先生と原一男先生がガッツリとタッグを組んだのが勝因です

根本敬が撮った奥崎先生はしょぼ過ぎたし(それが狙いだとは思いますが)、原先生の「全身小説家」はいまいち地味過ぎてつまんなかったし
あくまでも奥崎VS原とゆー緊迫感でないと成立しなかったんでしょう



しかし奥崎先生は最初今村昌平が撮ってくれるもんだと思っていたらしく、今村先生が逃げて当時無名だった原一男が来て、かなり不服そーな舐めきった態度をとっていたそーです、今村先生もちょっとあの奥崎先生のキャラの立ち方にはめげたんでしょう、キャラ立ち過ぎですから

「影武者」の勝新太郎をクビにした黒沢明、それでも代役に仲代達也を持ってくりゃあなんとかなるんですが、奥崎先生の代役なんか世界中探しても誰にも出来ない・・・となると監督が降りるしかないって感じでしょうか、あくまでも憶測ですよ、すんません



「なんだこいつが撮るのか~」と舐めた態度が少しは見え隠れしますが、カメラが回れば奥崎先生持ち前のエンタテーメント心が噴出し色々やってくれます。ドキュメントとゆーより奥崎先生の芸ですね、そのまんまの素ではあんな感じではなかったと原先生もおっしゃっております

ま、一種のキチガイと思えばそれで話はつくんですが、あくまでも「戦争のケジメをつける」とゆー真面目な態度で根幹を成すことで面白みも倍増です、原さんもキチガイを取り扱う目線じゃないしね、公平に公平に冷静に切り取ってます

マイケル・ムーアがあんなに賛否両論なのは映画監督としての公平さに欠けていたからではないでしょうか?なんて真面目なこと考えてしまいます、バランス感覚ですね、ただそんな公平なバランス感覚を取っていても、この絶妙なバランスの悪さ、車酔い船酔い以上のバランスの悪さは奥崎先生のキャラが立ち過ぎていてバランスなんか木っ端微塵にしてくれているからですね、天然とゆーか芸とゆーか



そんな奥崎キャラや原一男の立ち位置んんか知らなくっても充分楽しませてくれます、あくまでも後付けの知識です、私もな~んも知らなくってたまたま偶然映画舘でかかっていたのを観て、かなり心底痺れましたね「こんなんありか?!!」って

冷静に普通に話してるのかなぁ~と思いきやいきなり大暴れしだすし、高まり方がねー実にイイ感じなんです、激昂?激高?今は滅多に聞かない言葉ですが、平成ギャグの「切れる」とゆーより「激昂」ですね、でも奥崎先生はプチンする前に必ずカメラにサインを送るそーなんです「そろそろやるぞ、撮り逃すなよ」って

ドキュメントてゆーのはこーゆーのをゆーんですね、誰でもカメラを向けるとノンフィクションではなくなるんです、カメラを向けられた時点でフィクションが出てきます、それが芸なんですね、そーゆーのもひっくるめてのドキュメントです。カメラを向けられてどれだけ引き出しがあるのか、器があるのか、奥崎先生どこに出しても恥ずかしくない(ほんまは恥ずかしくってたまらん)役者です

ビックリ仰天のオンパレードですな

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