旧生駒トンネル
最終列車http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Bass/1099/train1.htm
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/3836/ikoma/ikoma.htm
工事は大林組が請け負い、1911年(明治44年)に着工された。建設は地質の変化や湧水等に悩まされ、予想外の難工事となった。1913年(大正2年)1月26日に発生した落盤事故では152名が生き埋めとなり、20名の犠牲者が出た。
1946年(昭和21年)4月16日にトンネル内で発生した車両火災では23名が死亡し75名が負傷、翌1947年(昭和22年)に再び発生した火災では約40名が負傷した。さらに1948年(昭和23年)3月31日には急行列車がトンネル内を走行中に空気ブレーキ(直通ブレーキ)を破損し、大阪平野に向かう下り勾配を暴走して河内花園駅で先行の普通列車に追突。49名が死亡、282名が負傷する大惨事が発生した(近鉄奈良線列車暴走追突事故。これらの事故のため、関西地区では心霊スポットとして知られている。
旧トンネルは使用停止後も新生駒トンネルやけいはんな線生駒トンネルとの交通があり、高電圧の通る電力設備が設置されている。このためトンネル内への侵入は禁止され、大阪側坑口は近鉄により厳重に管理されている。
新生駒トンネル
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