すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

ナジャ・ブカイとシリアの拷問

2021年11月08日 | アート・絵画
体をよじって叫ぶ血まみれの人。毛布にくるまれた遺体を運ぶ半裸の男たち。フランスで暮らすシリア人画家ナジャ・ブカイ(51)が、母国の治安機関の施設で目撃した情景を刻んだ作品は150点近くになる。




 アサド政権下の拘束施設で日々、目にした拷問や収容者の様子などを描いたという。
 「こんな絵を世に出したくはなかった。『恐れずに記録すべきだ』という友人の励ましがなければ」
 2010年末、北アフリカのチュニジアで始まった民主化運動「アラブの春」はリビア、エジプトでも独裁政権を倒し、11年3月にはシリアに波及した。
 「シリアでも自由な選挙を実施するんだ」。首都ダマスカスの大学で美術教師だったナジャも熱狂してデモに加わり、アサド政権の権威主義支配に抗議の声を上げた。
 しかし、シリアの「春」は暗転した。武力弾圧を強めるアサド政権と、武装を始めた反政権勢力の争いはエスカレートし、12年6月には国連幹部が「内戦状態にある」と認定するまでに。ナジャがダマスカス近郊の政権軍の検問所で拘束されたのはそのころだった。
 連行された施設の地下にある雑居房は5メートル×3メートルほどの広さで、下着姿の男性約70人が押し込められていた。窓はなく、高さ約2メートルの天井部にいくつかの穴があいていた。そこからは、光とともに液体が顔にしたたり落ちてきた。「なんだろう」と確かめると、上の階で倒れた人から流れる血だった。
 ダマスカスの夏の平均気温は30度を超える。血とうみの臭いが立ちこめる房で、収容者の多くは疥癬(かいせん)や下痢を患っていた。
 房を出てトイレに行けるのは1日に2回のみ。その時に歩いた廊下では、収容者たちが壁沿いに両手を上に縛られてつるされたり、電気ショックの拷問を受けたりしていた。

消える市民、秘密施設で死者数万人か アサド政権の拷問、指摘相次ぐ

内戦下のシリアで、多くの市民が行方不明になっているとの指摘が相次いでいる。なかでもアサド政権の治安機関によって拘束されたケースが多いとされる。国連の最新報告書は、混乱が始まった2011年以降、政権の秘密施設に収容された市民が拷問や性暴力にさらされ、死者数は数万人規模にのぼるとの見方を示している。

10年末に始まった中東の民主化運動「アラブの春」はチュニジア、エジプトの独裁政権を倒し、11年3月にはシリアに波及した。政治改革を求めて全国に広がったデモをアサド政権は徹底的に弾圧。反体制派や過激派組織が入り乱れる内戦に突入した後も、政権は治安機関をフル活用して、幅広い市民を対象に拘束を続けたとされる。  この問題に関して国連のシリア独立調査委員会は今年3月に報告書をまとめた。11年以降、アサド政権の収容施設での死者数は「控えめに見積もって数万人」とし、逮捕された人たちのうち数万人の居場所がわからないとしている。施設では少なくとも20種類の拷問が確認され、レイプを含めた性暴力も多数確認されているという。 

米財務省で経済制裁を管轄する外国資産管理室(OFAC)も今年7月、シリアのアサド政権による八つの拘束施設を制裁対象リストに加えた。同省の発表によれば、内戦下でアサド政権が収監した市民のうち少なくとも1万4千人が拷問の末に死亡した。消息不明になったり、拘束されたりしたと伝えられる市民は13万人以上。その圧倒的多数はすでに死亡したか、家族との連絡が取れないまま拘束中と推定されるとしている。  国連調査委などは、アサド政権側が関与したと判断された拷問などについて、人道に対する罪、戦争犯罪にあたると警告を発してきた。  これに対し、アサド政権は「シリアに拷問を担当する部隊や政策はない」と全面的に疑惑を否定してきた。しかし、拷問の現場とされる収容施設は、外部の目が全く届かない状態にある。人権侵害の疑惑の全容は権威主義国家の壁に阻まれ、秘密に包まれている。 

(朝日新聞 2021.11.2)


シリアの「秘密刑務所」で続く拷問、レイプ、そして死

シリアの治安当局者はムハンナド・ガバッシュ(31)を何時間も手首からつり下げ、血が出るほど殴りつけ、電気ショックを加え、口に銃を突っ込んだ。
アレッポ出身で法律学を学ぶガバッシュは、平和的な反政府抗議行動を組織したことを繰り返し自白した。だが、爆撃を計画したという架空の告白書を書くまで、拷問は12日間続いた。
それはほんの始まりに過ぎなかったと彼は言う。
彼は、シリアの首都ダマスカスのMezze空軍基地にあるぎゅうぎゅう詰めの監獄に送られた。彼が言うには、そこで寒い夜に何日も他の収容者とともに、警備員に裸にさせられてフェンスからつり下げられ、水をかけられた。夕食時、仲間を楽しませる余興と称して、自らヒトラーと呼ぶ当局者がガバッシュら生き延びた収容者たちにイヌやロバ、ネコなどのまねをさせ、正しくほえたり鳴いたりできない者を殴打した。
軍の病院で、ガバッシュは、鎮痛剤がほしいと乞う手や足の切断手術を受けた患者の顔を看護師が殴るのを目撃したと語った。他の監獄では、彼が数えたところ、病気や拷問、放置などで1カ月に19人の収容者が死亡した。
「私はラッキーな一人だった」とガバッシュは言う。ある裁判官が賄賂を受け取って彼を解放するまでの19カ月間、拘禁生活を生き抜いたのだ。

シリア大統領のバッシャール・アサドは8年間におよぶ反政府勢力との戦いに勝利を収めつつあるが、それには恣意(しい)的な身柄拘束や拷問監獄という秘密の大掛かりなシステムが重要な役割を果たしてきた。ロシアやイランの後ろ盾を得たシリア軍は、領土の支配を争って反政府武装勢力と戦闘を展開、政府は市民を相手に無慈悲な戦いを繰り広げ、何十万もの人びとを不潔な牢獄に送り込んだ。そこでは多くの人が拷問され、殺害された。
最も厳格な集計記録を保持している独立した監視組織「シリア人権ネットワーク(SNHR)」によると、12万8千人近くが監獄から未帰還だが、すでに殺されたか現在も収監されているとみられる。1万4千人近くは「拷問で殺害」された。多くの囚人が非常に凄惨(せいさん)な状況下で死亡しており、国連の調査はそれを「extermination(駆除)」と表現している。

現在、戦争は下火になり、世界の注目は薄れ、シリアとの関係を正常化する国々が出始めているが、新たな身柄の拘束、拷問、処刑のペースは加速している。身柄を拘束されている人たちは最近、処刑場があるSaydnaya刑務所に何百人もが送り込まれているとの情報をこっそり外部に伝えてきた。また、新たに解放された拘束者たちの報告によると、そこでの殺害が加速しているという。
シリア政府は組織的な虐待を否定してきた。しかし、新たに見つかった政府のメモは、大統領のアサドに直接報告する立場にあるシリア当局者が大量拘束を命じ、残虐行為を承知していることを示している。
非営利団体「Commission for International Justice and Accountability(CIJA)=国際正義説明責任委員会」とともに活動する戦争犯罪捜査担当者たちは、厳重な取り締まりを命令し、拘束者の死亡について討議する政府メモを見つけた。このメモには、アサドに直接結びついている組織「中央危機管理委員会(CCMC)」のメンバーを含む治安当局の最高幹部たちの署名があった。
ある軍事情報のメモは、拷問や不潔な状態による死亡を承認している。別のメモには拘束者の死亡についての報告があり、その何人かは、後日、軍警察の離反者がこっそり持ち出した死体の写真で確認された。二つのメモは、特定の拘束者に対する「過酷な」扱いを正当として了承しているのだ。軍の情報部長ラフィク・シェハデからのメモは、治安担当者の「司法免責」を確保する措置をとるよう将校に命じている。
アサドは2016年のインタビューで、生存者や行方不明者の家族の(主張の)真実性に疑問を投げかけていた。何らかの虐待があったとしても、それは戦争では避けることができないごくたまに起こる間違いだとアサドは語っていた。

ニューヨーク・タイムズは過去7年間にわたり、生存者や死者・行方不明者の関係者たちを何十人もインタビューし、政府の書類や何百ページにもおよぶ証人の証言を取材してきた。生存者たちの話は同じ監獄に収容されていた人たちの話と一致しており、政府のメモやシリアの監獄から内々に持ち出された写真などで裏付けられている。 

近いうち、シリアの高官たちに説明責任を負わせることはほとんど期待薄だ。しかし、欧州の裁判所を通して正義を求める動きが進んでいる。フランスとドイツの検察官は、自国の市民や住民が獄中で拷問されたり殺害されたりしたとして、3人の元治安当局者を逮捕し、シリアの国家安全保障長官アリ・マムローク、空軍情報部長ジャミル・ハッサンらを国際手配した。
しかしながら、アサドや彼の補佐官たちは依然として権力の座にあり、身柄拘束を免れ、軍事力を持ち国連安保理での拒否権を握るロシアに守られている。アラブ諸国はシリアとの関係を回復しつつあり、欧州の国々もそれに続くことを検討している。

それは2011年3月のことだった。大統領アサドに批判的な落書きをしたことで10代の若者たちが拘束され拷問を受けた。これを契機に、シリアの人々もアラブの国々に広がっていた反乱に加わっていく。若者たちが受けた扱いに対する抗議デモは彼らの故郷Daraaから拡散し、さらに多くが逮捕され、それがまた抗議行動を駆り立てた。
シリア各地で拘束された多くの人たちはSaydnaya刑務所で反体制派と合流した。新たに拘束された人たちには「ゴミの収集人や農民、エンジニア、医師ら、あらゆる階層のシリア人たち」がいたとリアド・アブラは言う。彼はトルコ市民だが、19歳の学生だった1996年、刑務所での虐殺についてシリア人にインタビューしたことで逮捕され、20年間投獄されていた。
拷問が増えたと彼は言う。(監獄の)新参者は性的暴行を受け、性器を殴打され、お互いの殴り合いや殺害を強制された。

何人のシリア人がこのシステムを通り抜けたのか、誰にも分からない。複数の人権団体は数十万人から100万人と推計している。SNHRはこの制度下での現在の拘束者数を12万7916人とみているが、たぶん実際の数よりも少ない。この数字は、拘束者の家族や他の証人たちによって報告されたものだが、これにはその後に解放されたり死亡が確認されたりしたケースは含まれていない。
政府が秘密にしているため、拘禁中に何人が死亡したかは誰にも分からないが、数千人の死者についてはメモや写真の形で記録がある。元軍警察幹部のCaesar(安全のため、本名は明かしていない)は少なくとも6700人の遺体の写真をシリアから持ち出した。骨がやせ細り、殴打の痕が残る遺体の写真が2014年に明るみに出て世界に衝撃を与えた。
拷問ツアー
アレッポ出身で、抗議行動を組織したガバッシュは少なくとも12の施設で拷問を受けながらも生き抜いたから、このシステムの「ツアーガイド」になれたと彼は言う。彼の長旅は2011年に始まった。当時22歳だった。
ガバッシュは、一連の軍事施設や一般情報施設でつり下げられ、殴られ、ムチで打たれたと言う。2012年3月には、ダマスカスの富裕層が暮らす近隣地区名にちなんだMezze空軍基地に移送された。
彼やその他多くの生存者の話によると、当時すでに監獄間には大掛かりな輸送システムができていた。拘束者たちは移送の度に拷問を受けた。通常は動物の肉を運ぶトラックに乗せられ、肉をつるすフックに鎖でつながれて何時間も移動させられた体験を振り返る人もいた。ガバッシュが新たに収容されたのは典型的な獄房だった。12フィート(約3.65メートル)、9フィート(約2.74メートル)の獄房で、いつもぎゅうぎゅう詰めだから、そこでは交代で眠るしかなかった。
獄房の外の廊下で、ある男性が目隠しをされ、手錠をかけられていた。その人物は、人権弁護士のダーウィッシュだった。彼は、公正な裁判を保証するよう判事たちを相手に講義する選び抜かれた弁護士だった。
彼は後日、自分が受けた罰を苦々しく数え上げた。「裸、水なし、睡眠なし、自分の尿を飲まされた」と。

監獄の外で反政府勢力が前進するにつれ、監獄での拷問はますます残虐になり、ゆがんでいき、政府の軍用機は反抗的な地域を爆撃した。生き延びた人たちは、レイプ、即決の処刑、傷や病気の手当てをしないまま拘束者たちを死に追いやる残酷な扱いについて証言した。
数週間後、あるいは数カ月後、多くの拘束者は弁護士もつけられず、ほんの数分間だけの名ばかりの裁判を受けた。ガバッシュの場合がその典型だった。彼は2012年に「軍法会議」で、判事が彼の罪状について「公共財産を破壊したテロ」とすらすら述べるのを聞いた。判決は死刑だった。
「裁判は開始から終了まで1分半だった」と彼は言う。
彼は、当時すでに大量処刑の中心地になっていたSaydnaya刑務所に移送されると思っていた。国際人権NGO「アムネスティ・インターナショナル」の報告書によると、そこでは即決裁判で数千人が絞首刑にされていた。
「分かった、もう終わりだ」。ガバッシュは、当時の思いをそう振り返った。だが、実際は違った。彼はもう1年、殴打に耐える毎日を送ることになる。
刑期の最後は、ダマスカス近郊の地下深くにある間に合わせの監獄で過ごした。そこはアサドの弟マーヘルが支配下に置く地区で、精鋭の第4師団の軍用貯蔵庫がある。
「ただ拷問のための拷問だった」とダーウィッシュは言う。ガバッシュと同じ監獄に移送されていた彼は、こう続けた。「復讐(ふくしゅう)のため、殺害するため、人びとを壊すために」
「私たちを忘れないでほしい」
シリアの内戦は政治的な解決ができていない。和平協議が行き詰まったことで、ロシアは西側諸国に対し、改革は先延ばしのままでもとにかく復興に向けての正常化と資金提供を求めている。行方不明になっている拘束者たちの何百万人もの親族は、社会的にも心理的にも中途半端な状態に置かれている。夫の死亡証明書がなければ、再婚することもできない。子どもたちは財産を相続することもできない。
シリア、レバノン、トルコ、ヨルダン、ドイツ、フランス、スウェーデン、さらにその先へと、家族や生存者たちは移動している。ガバッシュも2013年に解放された後、トルコのガジアンテップに行った。そこで彼は、シリアで反政府勢力が支配下に置く最後に残った領域から逃れてきた女性難民たちの人権擁護と援助のプログラムを運営している。
一方、ダーウィッシュは不眠症と閉所恐怖症に苦しみながらも、シリア当局者に説明責任を果たさせるための仕事を続けている。彼は最近、フランスの法廷での審問に立ち、Mezzeの監獄でシリア系フランス人の父親と息子が死亡したケースについて証言した。その証言は、フランスの検察官が、シリアの治安当局の最高幹部マムロークや空軍情報部長のハッサン、Mezze刑務所の所長の逮捕状をとるのに役立った。マムロークは欧州に行けば逮捕される。
刑事訴追の脅しこそが、拘束者の救出に残された唯一の手段だとダーウィッシュは言う。
「それは活力を与えてくれる。だが、責任も重い」とダーウィッシュ。彼はこう続けた。「これで命を救える。何人かは私の友人だ。私が監獄から解放される時、彼らは私に『自分たちのことを忘れないでほしい』と言っていた」

( The New York Times  2019.6)

「人間屠畜場だ」シリアのサイドナヤ軍事刑務所、1万3000人を処刑か レイプによる拷問も

国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は2月7日、シリアの首都ダマスカス近郊にあるサイドナヤ軍事刑務所で2011〜15年にかけて毎週絞首刑が執行され、推計で5000〜1万3000人が拷問の上、処刑されたとする報告書を発表した。
アムネスティ・インターナショナルは、2月7日に発表した報告書で、シリアの「人間屠畜場」とも呼ばれるサイドナヤ軍事刑務所では、「収容者を皆殺しにする方針で、意図的に殺害していた」という。

報告書は、は2015年12月から2016年12月までに実施された調査に基づいている。
アムネスティ・インターナショナルは、サイドナヤの元警備隊員や役人、元収容者、裁判官、弁護士、国内外のシリア拘留問題の専門家を含む84人から証言を聴取した。
サイドナヤでは、以下のような残虐行為が行われていた。

2011年から2015年の間に少なくとも5000人、多くて1万3000人が殺害された。
報告書によると、最も多いときで50人が一度に監獄から連行され、絞首刑に処されたこともあったという。絞首刑は一週間に少なくとも1度、時には2度執行された。
収容者たちは目隠しされたままサイドナヤ軍事刑務所内の別の建物に移され、絞首刑に処された。彼らには首に縄が巻かれるその時まで、いつどのように死ぬのか知る由もなかったとみられる。
「10分から15分間、彼らは絞首台に吊るされていました。体重が軽くて死ななかった人もいました」
「若い人たちは、自分の体重では死ねません。軍人の側近たちが彼らを引き下ろし、首の骨を折るのです」と、絞首刑を目撃した元裁判官は語った。

特別なことがなければ、月曜日と水曜日に看守が収容者たちを真夜中に監房から連れて行った。
「床に耳をつけると、うがいをしているみたいな音が聞こえてきました。これが10分ほど続きました。私たちは、人間が首を絞められて死んでいく音を聞きながら寝ていました」
「これがあの頃の日常でした」と、2011年に拘束された元軍当局者のハミッド氏(仮名)は語った。

監房の床は、収容者の傷口から流れる「血と膿」の世界だった。看守は毎朝9時頃、死んでいる収容者の死体を集めに来た。
サイドナヤに収容されていたネイダ―さん(仮名)は、「私がいた棟では1日に2、3人が死んでいました。看守が、部屋に何人いたのかと聞いてきたのを覚えています」と語った。
「看守は、『監房1号室、何人だ?監房2号室、何人だ?』という具合に続けていきました。看守が監房を回って、私たちの頭、胸、首を殴っていったことがありました」
「その日は、私たちの棟で13人が死にました」

私には人間は見えませんでした - 虫けらが見えました、もう訳が分かりませんでした。両足で立つにも十分なスペースがありませんでした。 

報告書の執筆者ニコレッテ・ウォールドマン氏は、「サイドナヤで集団絞首刑された犠牲者たちのほとんどが民間人です。収容者で多かったのは人権活動家、反対派の政治家、ジャーナリスト、学生、デモ参加者です。彼らはいかなる犯罪もしていません。シリア政府に敵対していると受け取られただけなんです」と語った。 

サイドナヤ軍事刑務所で絞首刑を宣告された収容者は、公正な裁判を誰一人受けていなかったという。絞首刑を受ける前、彼らは「軍事野外裁判所」と呼ばれる場所で形式的に1、2分の手続きを受ける。
シリアの軍事裁判所で元裁判官だった男性はアムネスティ・インターナショナルに「"裁判"は、シリアの法制度外で行われる」と語った。
「裁判官が収容者の名前と罪状を尋ねます。その答えがイエスかノーに関係なく、彼は有罪判決を受けます。この法廷は法の原則とは無関係なんです。これは裁判ではありません」
この「法廷」と称される場所で有罪判決が下される根拠として、収容者から拷問により得られる虚偽の供述がある。
収容者には、弁護士との面会や自己弁論の機会は認められていない。死刑判決を受けた者が判決を知るのは、絞首刑実行直前だ。

レイプが拷問の一手段として使われた。収容者仲間へのレイプを強要された人もいたという。 

アムネスティ・インターナショナルは、「シリアの戦争犯罪と非人道的犯罪は、政府首脳レベルで承認されている」と述べた。
アムネスティ・インターナショナルベイルート支部のリン・マーロフ調査次長は、「この報告書に記されているおぞましい実態は、シリア政府の首脳レベルで承認された、隠蔽された恐ろしい組織的犯罪であり、シリアの反体制派の鎮圧を目的としている」と語った。
「私たちは、サイドナヤ軍事刑務所とシリア全土にある他の軍事刑務所で、シリア当局が速やかに法廷外の処刑、拷問、非人道的な扱いを停止することを要求します。ロシアやイランなど、シリア政府に近い同盟国は、こうした残忍な拘束を終わらせるよう圧力をかけるべきです」
「次回ジュネーブで行われるシリア和平交渉では、こうした調査結果を無視できません。シリアの軍事刑務所で行われている残虐行為の停止を議題にしなければいけません」
「国連は、早急にサイドナヤで行われている犯罪の独自調査をすべきです。そして全ての軍事刑務所に対し、独立した監視団の派遣を要求します」
ハフィントンポストUK版

(2017年02月07日 Kathryn SnowdonThe Huffington Post UK 
ハフィントンポストUK版)

(シリア・アラブきょうわこく、アラビア語: الجمهوريّة العربيّة السّوريّة‎)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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