とりたてて何もない日々のらくがきノート

からだに関することや昭和の懐古、たまに俳句など

謹賀新年

2025-01-03 17:12:09 | 日記


去年、雑用でちょっとだけあれこれ動いたらバテてしまったのか
年が明けてから何も出来なくてほぼ寝込んでいる始末(笑)。
昨日の朝早く初詣に行ったのがやっとで、体力のなさを痛感して
しまった。
たしか数年前はこんな事はなかったと思うと情けない。夏痩せの
影響がまだ残っていてよけいに体にきたのかもと、体重を計って
みたら57kg台で夏前よりまだ2kg少なかった(笑)



それで昨日だったか元日の夜だったか、直径70cmくらいのバウム
クーヘンみたいな形の金貨をふたつ運んでいるなんていう夢を見て、
それが自分の物かそうでないのかはわからないが、金貨にしては
色が薄いオレンジ色で、しかし自分ではそれを金貨と認識している
ようだった。

私はこれまで買ったことはないが今年は宝くじが当たってしまう
チャンスがあるのかもしれない(笑)。あと目が覚めた時に頭に
浮かんだのは皆さんご存知「はじめ人間ギャートルズ」(古!)
の石のお金だった(笑)

私の持っている歳時記で新年の季語が載った1冊の付録に、「全国
お雑煮アンケート」というのがあって、40数人の俳人がそれぞれの
お雑煮について細かく書いており、地方地方によって色々特徴がある
けれど、ちょっと珍しいなと思ったレシピを2人だけ紹介してみる。

青森の八戸市の藤木倶子さんのお雑煮は、出汁と味付は昆布と醤油
で、具は大根・人参・焼豆腐・芹など、餅は四角で焼く、芹を最後
に入れてすぐ火を止め、椀によそったらそれに摺ってとろりとした
胡桃をかけるそうである。(摺った胡桃を・・一回食べてみたい)

福島の会津の人の坂内佳禰さんのお雑煮は、出汁と味付は鰹節と
醤油、具は牛蒡だけ、餅は四角で焼く、そして会津では雑煮と言わず
「つゆもち」と呼び、坂内さんの実家では元日の昼に蕎麦を打って
食べ、餅は2日の朝につく、そうである。
(元日にはお雑煮はないってこと?・・餅をつくのは年が明けてから
というのも初めて知った・・)


(今年もどうぞよろしくお願いいたします)

女性上位な江戸時代・「歳晩」などの句

2024-12-27 22:04:09 | 日記


11月26日に土佐の純信さんとお馬さんの話を書いて、江戸時代
の恋愛や結婚というのはどうだったのかと思い、ちらっとネット
で見てみたら、なんとその頃は庶民の間では、完全に女性上位で
デートの誘いや結婚のプロポーズも女性からするのが普通であった
らしい。

そして離婚や再婚も非常に多く、結婚前に男性側からあらかじめ
離縁状をもらっておいて、それから結婚するというドライな考え方
の女性もいたそうである。これは詳しく調べた事ではないので
江戸市中周辺だけの話で、地方の藩などではまた事情が違ったの
かもしれないが、とても意外に思った。

そう言えばここに引っ張り出すのは見当違いかもしれないが、学生
の時に読んだ司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でも、千葉道場の娘の
さな子の方から竜馬に「お嫁にして下さいませぬか」などと言って
結婚を申し込む場面があったように覚えている。

つまり江戸時代は(庶民の場合)男性はもっぱら誘いや申し込みを
待つばかりの存在だったらしく、想像していたのとではまるっきり
違って少なからずビックリしてしまった。
土佐の話でも後々まで未練たらたらだったのは男性の方で、女性は
早々にキッパリと区切りを付けてしまっている。

思えば平和な時代が260年余りも続いたわけだから、女性の立場が
強くなっていても不思議はないのかもしれない。この文化が爛熟した
江戸時代の終わりごろは興味深い事がもっとあるかもしれず、これ
からもボチボチ調べていこうかと考えている。


という事で、今回3句しか出来なかったが、最近作った俳句をば。

歳晩や耳に久しき知己のこと

内観も中々成らず暦果つ

月冴ゆる未明の街を癒やしつつ



(拙いブログを読みに来て下さった方々に
 感謝いたします。皆様良いお年をお迎え下さい)

年末の風

2024-12-22 22:33:35 | 日記

(新居浜市 マイントピア別子)

昨日、今日と曇天で風が少し強い。そういえば今頃は
毎年そんな感じのような気がする。夏がひどく暑かった
事と関係なく冬は冬らしく本格的に寒くなってきた。
なにやら色々はやり病の話も聞くしこんな時期に体調を
崩すとエライ事になると、今朝細かい雨にちょっとだけ
打たれながら思った。

最近どうやら自転車に乗るにも酒酔いだとダメになった
らしい。お酒好きには災難だと思うが、ご時勢とは言え
何かとやりにくい世の中になっていくようだ。

私の父方の祖父は大層な酒好きだったらしく、造り酒屋
での仕事(桶職人)の後など飲み過ぎて家までの途次に
道端で寝てしまう事が度々だったそうである。祖父は
父親が幼児の頃にすでに亡くなってしまったが年長の
伯父達が、どこそこの道端でまた寝とるで、とのご注進
があるや、それっとばかりリヤカーで駆け付けて祖父を
回収していたらしい。

どうしてそこまで飲まねばならないのか理解に苦しむが、
おかげで伯父達は(父親も)その苦労のせいで酒をめった
に口にしないようになってしまった。いつか書いたと思う
が父親と一緒に酒を酌み交わすなんて事は正月だけしか
なかったという事に繋がっているわけである。

そのうち自転車でなくても、歩きでも酒酔いだとダメ!
なんて事になってしまわないかと、心配になってくるのは
考え過ぎだろうか(笑)

あと、ほんのちょっと前に話題になった、「パーカージジィ」
について遠慮がちに言わせてもらえば、脚本家だかコラムニスト
だかの女性がSNSに投稿したその言葉遣いが、やや粗雑で粗野
ではという感じがした。私はそうした短文のSNSの投稿の経験
はないが、インパクトがあるようにするにはそうした言葉遣い
になるのだろうか?

私もジジィには違いないが、そうあけすけに正面切って
「ジジィ」などと書かれてそれを読んでしまうと、気分が悪い
し幾分か攻撃性を感じる(笑)。まあホリエモン氏が反応した
せいで大きな話題になったのだろうが、文章を仕事にしている人
の言葉としては、ちょっと、と思ってしまった。

今年は年頭から大変な事もあったが、もうそろそろ平穏無事な
方向へ舵が切られていくのを願うばかりである。

やっぱりよく効くツボ押し

2024-12-18 20:18:18 | 日記


歳を取るとトイレが近いとか下腹部のあたりの問題が
出て来る人が多いと思うが、私の場合左の下脇腹に
軽い鈍痛が出たり、下腹部の中心周辺に少し違和感を
感じたりする事がある。

2ヶ月ほど前からそんな感じだったので、薬でもと思い
以前効き目のあった漢方薬のメーカーの名前がうろ覚え
だったので、スマホで検索したら最初に「60秒の体質
自己診断」というページが表示された。自分に当て
はまる身体の状況をチェックしていくだけで6タイプ
のどれなのかがわかる仕掛けで、それによると私は
どうやら「血虚」というタイプなのだそうだ。

血虚とは血が不足している状態で全身に栄養が行き渡らず
循環がよくない体質、という事でレバー・黒ゴマ・ホウレン
ソウなどを食べるのが良いらしい。貧血はあまり自覚した
事がないがレバーやホウレンソウはほとんど食べないので
そうなのかもと思った。このところ疲れやすいと感じるのは
貧血気味だったのか、と半信半疑ながら思い当たる節も
あった次第。

症状が出て来ると漢方の八味地黄丸を服用するけれど2、3日
飲んでいると、あっと気付く事がいつもある。それはすっかり
忘れていた足の三里の「ツボ押し」である。なぜきれい
サッパリ頭の中から消えるのか定かでないが、たぶん理由は
これが結構ひどく痛いからなのではないか。誰でも痛い事は
避けたい。でも症状を良くするにはやるしかない。でも痛い。
そうした愚図愚図を1週間ほど続けてやっとツボに指を当てる、
というのを繰り返しているようだ。

ようやく朝と晩に左右の足の三里を1回3秒で5回ずつ押すのを
2週間ほど続けるとこれがウソのようにだんだん下腹部が
スッキリしてくる。そして4週間ぐらい続けると、今度は
不思議な事に押しても痛みをほとんど感じなくなってくる。
その頃には症状も改善されているから、ツボ押しもやめて
しまい、八味地黄丸も飲まなくなる。
それでまた次に症状が出たときはツボの事はどこへやら、と
いうのが私のパターンらしい(笑)

ツボ押しについては、もう5、6年も前になろうか『8つのツボ
で30の病気を治す本』(髙橋 徳著)で知った。この本に
よれば色々な慢性的な症状(肩こり、頭痛、めまい、耳鳴り、
腰痛、膝痛、胃痛、高血圧、糖尿病、アトピー、頻尿、
自律神経失調症等々)は、ツボ刺激によって改善されるとある。

病院の処方薬には副作用が必ずあるが、ツボを刺激するだけ
ならそのような事は皆無だし、自分で押して刺激するのだから
治療費もいらない。私が今までに試した事があるツボは、
合谷(ごうこく)、風池(ふうち)、足の三里で

合谷の効用は、肩こり・頭痛・目や鼻の症状など
風池の効用は、めまい・耳鳴り・目の疲れ・かすみ目など
足の三里の効用は、胃腸疾患・アトピー・頻尿・前立腺肥大症など
となっている。

今日の記事を書くに当たって少し本を読み返してみたが、改めて
ツボ刺激の効果が広範囲であることに気づき、もう歳なんだから
これからの予防という事も考えて、痛いのはある程度我慢の上で
これからツボをどんどこ押していかねばなるまい(笑)とつくづく
思ったわけである。

*補足 8つのツボ:足の三里、合谷、肩井(けんせい)、風池、
          腎愈(じんゆ)、三陰交、陰陵泉、内関 

中高時代の風景

2024-12-07 23:22:27 | 日記


もう50年ほど昔の事になってしまうが、どうしてあの
中学、高校の頃(中学は市立、高校は県立)の服装とか
髪の長さとかの規則があれほど厳しかったのだろうか。
「風紀」が乱れる、というのが理由らしいが男子は
中学から高1の終わりまで4年間坊主頭にしていなければ
ならなかったし高2からは髪が伸ばせたが、びんの長さは
耳の穴の位置まで、なんていう今考えると信じられない
規定まであった。

靴下の色も黒か紺の他はダメで、中学の時それしかな
かったからだと思うが、薄い水色の靴下を履いていたら
数学の教師に目ざとく見つけられて
「オイ、○○、なんだ、その靴下は!」
と怒られ、その後授業でもその教師にイヤミな態度を
取られたりしていた。

高校では少しでも規則より髪が伸びていると注意されたし
制服は詰め襟で、当然窮屈なので時々首のホックを外し
がちになるけれど、ある日の美術の授業で教師が教室に
入ってくるなり、
「はい、今、ホック外しとる男子、一人ずつ前に出て来い」
と言って、木槌(けっこう大きめの)で頭を1回ゴンされ
たりしていた(ずい分痛かった)。推測するにたぶんこの
教師は、朝ご飯の時に奥さんと何か口論にでもなって、その
八つ当たりで生徒にそんな事をやっていたのかもしれない。

まあつまりは生徒達に関して、一切個性を封印して学校の
指示通りに従わせる、といった方針だったわけであるが、
しかしちょっとした逸脱も許さず、あまりに細かい事まで
イチイチ規則で縛るのはどうなんだろうと思ってしまう。
大げさにいうとまるで軍隊の兵士のようで、命令通りに動く
同一規格のロボットが扱いやすいごとく、結局は立場が上
の者の管理が容易で楽なようにするための規則だと思わざる
を得ない。

上官の命令一下、敵陣に向かって一団で突撃していく兵士や
戦後の廃墟から国を復興させるための企業戦士には、個性が
あってもらっては迷惑千万だったのだろうが、すでにそういう
時代ではないし、今の若い人一人一人が自由に個性を伸ばし
表現して、どんどん世の中が愉快に進化してゆけばと思うの
は私だけだろうか。