平らな深み、緩やかな時間

396.『デ・キリコ展』東京都美術館、『大地に耳をすます・・・』、『内藤礼 生まれておいで・・・』

猛暑が続く毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか。
地震も台風も心配ですが、展覧会に行く機会がある方は、ぜひ足を運んでみましょう
今回は美術館や博物館の紹介です。後半は、本当にちょっとした紹介だけになりますが、ご了承ください。

それでは、まず高名な画家の展覧会です。
8月29日(木)まで、東京都美術館で『デ・キリコ展』が開催されています。
https://dechirico.exhibit.jp/outline.html

ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico, 1888 - 1978)さんは、イタリアの画家、彫刻家です。何よりも、「形而上(けいじじょう)絵画」の画家として知られている人です。おそらく彼の作品の中で最も有名だと思われる『通りの神秘と憂愁』が描かれたのが、1914年のことです。(今回の展覧会では出品されていません。)
https://www.artpedia.asia/melancholy-and-mystery-of-a-street/

デ・キリコさんの「形而上絵画」に影響を受けた有名な現代美術の運動として、「シュルレアリスム」運動があります。
その運動の発端となったのが、フランスの詩人、アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896 - 1966)さんの「シュルレアリスム第一宣言」でした。彼がこの宣言を発表したのが1924年のことでしたから、今からちょうど100年前です。そのさらに10年ほど前から活躍していたのが、デ・キリコさんですから、美術史上のはるか昔の画家、という印象を受けます。
そのデ・キリコさんですが、晩年まで意欲的に制作を続けました。考えてみると、彼は、私が高校生の頃まで現役の画家だったことになります。それも意外なことですが、さらにちょっと驚くのは、1970年代の亡くなる直前まで、デ・キリコさんが「形而上絵画」を描き続けたことです。
私は中学生のときに、かなり大規模なデ・キリコさんの回顧展を見た記憶があるのですが、そのときには、もう歴史上の人物という気分で作品を見ていました。まだ生きている人だということはわかっていましたが、その頃にデ・キリコさんはせっせと「形而上絵画」を描いていたのかもしれない、なんて思いもしませんでした。でも、そんなことを想像すると、何だか不思議な気持ちになります。
このように、デ・キリコさんは生涯を通じて「形而上絵画」の画家として認識されているのですが、実はシュルレアリスム運動が始まる頃には、古典的な絵画にその興味を移していました。デ・キリコさんはイタリアの画家ですから、古典への愛着があるのもわかります。しかし、デ・キリコさんの場合は、それと並行して「形而上絵画」のリメイクの作品を描いたりしていて、芸術家の経歴としてうまく割り切れないものがあるのです。
その辺りのことについて考えてみたいのですが、今回の展覧会の公式サイトから、そのことに関連する説明を拾ってみましょう。
まずはデ・キリコさんを紹介している文章から取り上げましょう。

1910年頃から、簡潔明瞭な構成で広場や室内を描きながらも、歪んだ遠近法や脈絡のないモティーフの配置、幻想的な雰囲気によって、日常の奥に潜む非日常を表した絵画を描き始めます。後に自ら「形而上絵画」と名付けた作品群は、詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールの目に留まり、彼を介してシュルレアリストをはじめとした前衛画家たちに知られるようになり、大きな影響を与えていきます。
1919年以降は伝統的な絵画へ興味を抱くようになり、古典的な主題や技法を用いた作品を手がけるようになります。そうして、1920年代半ば以降はシュルレアリストたちと険悪な関係になり、他の前衛的な芸術家や批評家に対しても厳しい態度をとるようになります。
一方で、過去に描いた「形而上絵画」の再制作や、「新形而上絵画」と呼ばれる新たな作品も生み出していきます。こうした過去作の再制作や引用は、ときに「贋作」として非難されましたが、ポップアートの旗手アンディ・ウォーホルは、複製や反復という概念を創作に取り入れたデ・キリコをポップアートの先駆けと見なして高く評価しました。
https://dechirico.exhibit.jp/about.html

この後半の部分は、なかなか微妙な内容ではないでしょうか?
なぜ、デ・キリコさんの「過去に描いた『形而上絵画』の再制作や、『新形而上絵画』と呼ばれる新たな作品」が、「ときに『贋作』として非難」されたのでしょうか?
もしもデ・キリコさんが晩年に描いた作品を、若い頃に描いた作品だと偽って不当な値段で売ろうとしたのなら、それは「贋作」と言って良いと思います。実際にデ・キリコさんがそんなことをしたのかどうかはわかりませんが、少なくともこの文章の意味としては、「『新形而上絵画』と呼ばれる新たな作品」についても、非難の対象になっていたように読めてしまいます。
どうやら私たちは、デ・キリコさんのように「形而上絵画」を描いた前衛的な画家が、過去の作品をリメイクしたり、過去のスタイルを踏襲したりすることに抵抗感があるようです。それは、私自身がデ・キリコさんの経歴に関して、「不思議な気持ち」になったこととも関連していると思います。
この「不思議な気持ち」は、いったい何を意味しているのでしょうか?

このことについて、基本的なことから考えてみましょう。
19世紀から20世紀にかけて、世界は大きく変わりました。ヨーロッパから発したモダニズムの価値観が世界的に広がっていったのです。そのモダニズムの思想を支えたのが、科学的な発展、発達であったことは言うまでもありません。世界はどんどん便利になり、スピード感が増し、大量に人や物を破壊することもできるようになりました。ですから、モダニズムに乗り遅れることは、場合によっては命に関わることでもあり、許されなくなってしまったのです。
このモダニズムの価値観が芸術の世界にもたらしたものは、「前衛」という意識です。芸術の世界を発展させるためには、次々と新しい様式を生まなければならない、つまり真摯な芸術家にはつねに「前衛」的であることが求められるようになったのです。
ところで、この「前衛」という言葉はどういう意味でしょうか?辞書で調べてみましょう。

前衛(ぜんえい)
元来はフランスにおける軍事用語avant-gardeで,本隊に先行し,これを導く精鋭部隊を指した。現代においては,とくに労働者階級や人民を指導し方向づける少数の政党を指すことが多い。また芸術や文化運動において時代に先行した理念に基づくグループを前衛(アバンギャルド)ということもある。
https://kotobank.jp/word/%E5%89%8D%E8%A1%9B-88008#:~:text=%E5%89%8D%E8%A1%9B%20(%E3%81%9C%E3%82%93%E3%81%88%E3%81%84),%E3%82%A2%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%89%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

私は無知なので、「avant-garde」が軍事用語だとは知りませんでした。でも、知ってしまうと、「うわ、アヴァンギャルド!」などと気軽に使えなくなりますね。
それはともかく、「芸術や文化運動において時代に先行した理念に基づくグループを前衛(アバンギャルド)ということもある」というところが肝心です。つまり、「前衛」的であるということは、つねに「時代に先行」することが求められているのです。
そして「モダニズムの美術」=「現代美術」に真摯に取り組む芸術家は、「前衛」であることが必要不可欠だ、と考える人も多いことでしょう。そういう人からすれば、「現代美術」に携わる者はつねに新しい表現を追求すべきであって、デ・キリコさんのように晩年になって過去の焼き直しのような作品を制作する人は論外です。だからデ・キリコさんは、「ときに『贋作』として非難」されたのだと思います。

さて、以上のようなことを分かった上で、今回の展覧会を見てみましょう。
そうすると、「形而上絵画」のスタイルの絵は多いものの、デ・キリコさんが最も切迫感を持って「形而上絵画」を描いた1910年代の作品が、意外と少ないことに気がつきます。このblogを読んでくださっている方ならご存知のように、私はモダニズム芸術がつねに新しさを求めることに違和を感じ、その世界観に異議を唱える者です。しかし、その私であっても、やはりデ・キリコさんの「形而上絵画」を見るのなら、1910年代の代表作品をごそっと見てみたいなあ、と思ってしまいます。
この展覧会の公式サイトでは、デ・キリコさんの晩年に描いた「新形而上絵画」について、次のような解説が書かれています。

1978年に亡くなるまでの10年余りの時期に、デ・キリコは、あらためて形而上絵画に取り組みます。それらは「新形而上絵画」と呼ばれ、若い頃に描いた広場やマヌカン、そして挿絵の仕事で描いた太陽と月といった要素を画面上で総合し、過去の作品を再解釈した新しい境地に到達しています。
https://dechirico.exhibit.jp/gallery.html

うーん、晩年の「新形而上絵画」を「新しい境地」と言って良いのかどうか、迷うところです。確かにそこには古典絵画を探求した名残りがありますが、それを彼の画業の成果と言って良いのかどうか、私にはよくわかりません。その古典絵画については、次のような説明があります。

デ・キリコは1920年ごろから、ティツィアーノやラファエロ、デューラーといったルネサンス期の作品に、次いで1940年代にルーベンスやヴァトーなどバロック期の作品に傾倒し、西洋絵画の伝統へと回帰していきます。過去の偉大な巨匠たちの傑作から、その表現や主題、技法を研究し、その成果に基づいた作品を描くようになります。
https://dechirico.exhibit.jp/gallery.html

こちらもちょっと、この解説を文字通りに受け止めるにはためらいがあります。もともとデ・キリコさんは、器用な画家でも、特別に上手な画家でもなかったようです。彼の古典的な絵画にどれほどの価値を見出すのかは、人によっていろいろだと思います。
それに、そもそもティツィアーノ(Tiziano Vecellio、1490頃 - 1576)さん、デューラー( Albrecht Dürer, 1471 - 1528)さん、ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577 - 1640)さん、ヴァトー(Antoine Watteau , 1684 - 1721)さんでは、それぞれ作風がかなり違いますし、デューラーさんとヴァトーさんでは活躍した時代も場所も違います。そして驚いたことに、デ・キリコさんは後期印象派のルノワール(Pierre-Auguste Renoir 、1841 - 1919)さんの作風も、古典絵画と同様に真似ています。「西洋絵画の伝統へと回帰し」と展覧会の解説では書かれていますが、結局のところ、好きな絵なら何でも良かったのかなあ、と思ってしまいます。
私はむしろ、これらの問題点があったとしても、デ・キリコさんが自分の表現をぬけぬけと押し出していた点に魅力を感じます。贋作と言われようが、自己模倣だと言われようが、まったく気にしないし、いま自分が「形而上絵画」を描くこと、あるいは古典的な絵画を描くことにどんな意味があるのか、なんて深刻なことも考えません。ただ、やりたいようにやるだけだ、というふうに見えるところがとても興味深いです。
先ほどの「新形而上絵画」の解説にあった「ポップアートの旗手アンディ・ウォーホルは、複製や反復という概念を創作に取り入れたデ・キリコをポップアートの先駆けと見なして高く評価しました」という文章が、なかなか愉快です。さすがにウォーホル(Andy Warhol、1928 - 1987)さんも底が抜けていますね。性根が座っているところは、デ・キリコさんとウォーホルさんは共通しているのかも知れません。

さて、いろいろと書いてしまいましたが、百聞は一見に如かず、と言いますから、ぜひ展覧会を見てください。デ・キリコさんは小器用な画家ではありませんが、油絵の具の使い方などはさすがに迫力があります。図版では見えない息遣いを感じてみるのも良いと思います。


今回は、あと二つ、展覧会をご紹介します。
『デ・キリコ展』と同じ東京都美術館で『大地に耳をすます 気配と手ざわり
The Whispering Land: Artists in Correspondence with Nature』という展覧会が10月9日(水)まで開催されています。『デ・キリコ展』の半券があると少し割引をしてくれました。一緒にご覧になる場合は、券売所で聞いてみてください。
https://www.tobikan.jp/daichinimimi/index.html

この展覧会は、榎本裕一、川村喜一、倉科光子、ふるさかはるか、ミロコマチコという5人の作家によるものですが、どの作家も力のある人たちです。
展覧会の資料をお読みください。

本展では自然に深く関わり制作をつづける現代作家5人をご紹介します。野生動物、山の人々の生業、移りゆく景色や植生、生命の輝きや自然の驚異を捉えた作品は、自然とともに生きるつくり手の瑞々しい歓喜に溢れています。同時に、ときに暴力的に牙をむき、したたかな生存戦略をめぐらせる自然の諸相を鮮烈に思い起こさせ、都市生活では希薄になりがちな、人の力の及ばない自然への畏怖と敬意が感じられます。未開の大自然ではなく自然と人の暮らしが重なる場から生まれた彼らの作品は、自然と人の関係性を問い直すものでもあります。
古来人間は、自然の営みに目を凝らし、耳をすまし、長い年月をかけて共生する術を育んできました。自然に分け入り心動かされ、風土に接し生み出された作品は、人間中心の生活のなかでは聞こえにくくなっている大地の息づかいを伝えてくれます。かすかな気配も捉える作家の鋭敏な感覚をとおして触れる自然と人のあり様は、私たちの「生きる感覚」をも呼び覚ましてくれるでしょう。
https://www.tobikan.jp/daichinimimi/outline.html

それぞれ作品も技法も異なる人たちなので、見比べることはできませんが、個人的には倉科さんの作品の何点かに心惹かれました。砂のような小石の一つ一つの色が違っていて、こういう細部が画面全体を息づかせるのだな、と見ていて勉強になりました。
ただ、美術館のこの会場が、個々の作品を見るにはちょっと落ち着かないかな、という気がしました。私も「現代アーチストセンター」展でこの会場に関わったことがありますが、展示がとても難しいのです。東京都美術館は全体に公募展の大きな作品を効率よく設置するように作ってある感じがして、正直に言って、美術館としての魅力をあまり感じません。
でも、こういう企画展を見ると、学芸員の方の頑張りを感じます。ぜひ、こういうコンセプトのある展覧会を引き続き企画してください。


もう一つは、東京国立博物館の『内藤礼 生まれておいで 生きておいで』という展覧会で、9月23日(祝・月)まで開催されています。
こちらも展覧会のサイトから概要をお読みください。

本展は、当館の収蔵品、その建築空間と美術家・内藤礼との出会いから始まりました。内藤が縄文時代の土製品に見出した、自らの創造と重なる人間のこころ。それは、自然・命への畏れと祈りから生まれたものであり、作家はそこに「生の内と外を貫く慈悲」を感じたといいます。会期中、自然光に照らし出される展示室では、かつて太陽とともにあった生と死を、人と動植物、人と自然のあわいに起こる親密な協和を、そっと浮かび上がらせます。本展を通じて、原始この地上で生きた人々と、現代を生きる私たちに通ずる精神世界、創造の力を感じていただけたら幸いです。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2637

さらに作品の片鱗を見たい方は、次のプレスリリースをご覧ください。
https://www.tnm.jp/uploads/r_press/295.pdf

こちらは展示場そのものが分かりにくい中、頑張って見てきました。
作品は、博物館所蔵の石や土偶と内藤さんの収集物や作品とを一緒に展示したものです。作品を収めたり、のせたりする箱状のアクリル・ケースが広い会場に点々と置いてあったり、極小の鏡が壁に貼り付けてあったり、ということで、すべての展示物を見つけるのに骨が折れました。鏡の作品を見つけられなかった方もいたかも知れません。
展覧会の評価は、ちょっと難しいですね。
博物館が所蔵する、時間の蓄積のある展示物と、自分の見つけた小石や小枝などを並べて、そこに通底する何かを見出したい、というコンセプトはよく分かります。博物館という場所を、通常とは違ったスペースとして使ってみたい、という意図にも共感します。
しかし、いざ実施するとなると、これほどものものしく、手のかかる形にならざるを得ないのでしょうか?いろいろとご苦労があったのでしょうか、落語の「目黒のさんま」を見るような感じがしました。
http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/meguronosanma.html

しかし、とくにふだん、東京博物館に行くことのない方は、これを機会に行ってみたらいかがでしょうか?ちょっとした探検気分も味わえます。

それでは、心配事が尽きない夏休みですが、何とか無事に、そして楽しく生きていきましょう。
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