私は今年の夏の「小田原ビエンナーレ」展に参加する予定です。
そして、そのパンフレットに1970年代から1980年代、それ以降の美術史に触れ、これからの美術の展望を書くことになっています。大きなテーマですが、私なりに若い人たちが読んで元気になるような文章を書こうと思っています。
ただし、私は美術史家でも研究者でもありません。当然、私の体感したことを中心に書くことになります。そんな私にとって、美術に関する印象深い体験は1980年代に現代美術が大きく震撼したことでした。その当時、私は美術大学の学生で、街の画廊を廻ったり、美術雑誌に目を通すようになって、だいぶ美術の世界が見えるようになっていました。
誰にとっても、学生時代の多感な体験は印象深いものだとは思いますが、やはりあの頃は特別な時代だったと思います。この時代のことが、文章の中心になると思います。
それで、少し昔の資料を調べてみなくては・・・と思い、手元にあった1983年12月号の『美術手帖』をめくってみました。
この12月号には、同じ年の6月から12月までアメリカ・ニューヨークのホイットニー美術館で開催された『ミニマリズムから表現主義へ/Minimalism to Expressionism in Whitney Museum of American Art』という企画展の特集記事が掲載されていたのです。
その展覧会が開催された美術館ですが、私のように海外の事情に疎い方、とくにアメリカの美術館に行ったことのない方には、ホイットニー美術館といわれてもどんなところかわかりませんよね。次のリンクをご覧いただくと、美術館が出来た経緯や建物の写真など、ちょっとイメージが湧くと思います。。
ホイットニー美術館(Whitney Museum of American Art)
アメリカのニューヨーク市にある、20世紀以降のアメリカ美術を対象とする美術館。1931年開館。鉄道で財をなしたコーネリアス・バンダービルトの娘ガートルード・バンダービルト・ホイットニーGertrude Vanderbilt Whitney(1875―1942)が開設した。
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また、スタジオ・クラブの活動を引き継ぎ、1932年以降、「ホイットニー・バイエニアル」とよばれる特別展を開催している。この特別展は、創設当初はアメリカ人アーティストの絵画展と彫刻展を毎年交互に、1973年からは絵画と彫刻をあわせて隔年で行っている。また、アメリカにおけるニュー・ペインティングの大規模な展覧会「ミニマリズムから新表現主義へ」展(1983)など、テーマ展も積極的に開催。
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(日本大百科全書/ニッポニカ)
https://japanknowledge.com/contents/nipponica/sample_koumoku.html?entryid=2284
ホイットニー美術館(Whitney Museum of American Art)
テラスからの眺めも最高!2015年にミートパッキングディストリクトに移転したホイットニー美術館でアメリカンアートを楽しむ。
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(Mother’s Industry)
https://mothers-ind.com/topics/92-whitney-museum-of-american-art/
ホイットニー美術館はホイットニーさんというお金持ちが始めたギャラリーが原型のようです。それが美術館となり、エドワード・ホッパー(Edward Hopper、1882 -1967)さんのようなアメリカの新しいアーチストを発掘する役割を果たしてきたのです。そういう美術館だから、「ミニマリズムから新表現主義へ」というテーマの企画展をタイムリーに開催したのでしょうね。
この展覧会については、さすがにインターネットで検索しても紹介記事が見つかりませんでした。もう40年以上が経ってますから無理もありません。ただし、この展覧会の直前に開催されていたと思われる「ホイットニー・ビエンナーレ」という展覧会のリンクを見つけました。よかったらご覧ください。
Whitney Biennial 1983 Mar 15–May 29, 1983
https://whitney.org/exhibitions/biennial-1983
さて、そこで今回はこの美術手帖の特集記事を手がかりに、この展覧会がどのようなもので、当時どのように評価されていたのかを探ってみましょう。
まずは特集記事の扉のページの短い紹介文を引用しておきます。
本特集は、1965年から83年までのアメリカン・アート・シーンを54作家58作品によって展望した展覧会(ホイットニー美術館6月2日-12月4日)に拠るものである。
かつてミニマルが時代と社会の意識を先鋭化したものとして現われ、日常の風景になり、ポスト・ミニマルからニュー・イメージ・ペインティングへ至る過程を象徴的にみることができよう。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」扉の記載)
ちなみに、この扉のページから次の藤枝 晃雄(ふじえだ てるお、1936 - 2018)さんの記事までの間には、カール・アンドレ、ジョセフ・コスース、ソル・ルウィット、ドナルド・ジャッド、ロバート・マンゴールド、フランク・ステラ、ブライス・マーデン、ダン・フレイヴィンらの作品写真が掲載されています。これらは「ミニマリズム」に相当する作家たちだと思われます。
この特集には藤枝晃雄さん、篠田達美さん、マーシャ・タッカー(Marcia Tucker、1940 - 2006)さんの三人の記事が掲載されています。それぞれ意見が異なるので、少しずつその内容を見てみましょう。
まず、藤枝さんの「アメリカ現代美術変貌の内実」という記事を読んでみましょう。この記事は『アメリカ現代美術の変貌 「ミニマリズムから表現主義へ」展をめぐって』というタイトルで『現代芸術の彼岸』という藤枝さんの著書の112ページから121ページに掲載されています。興味のある方は、原文に当たってください。
その書き出しは、次のような辛辣なものです。
横尾忠則と大沢昌助の作品図版を見る。それらは引用とか借用という流行語をもってしても解し難い絵である。横尾のゆくべき最適の場所は予備校のデッサン室であり、大沢は画家を止めるほかないだろう。私は図版を見て述べているのだから、この非難はその限界のなかにある。しかし、作品の存在をまるでそれが存在しないかのように扱ってきたわが国の批評においては、私の判断も許されるはずである。芸術を芸術として扱うことのできない人々が群れをなして慰め合っている状態が存続する限りにおいて。横尾や大沢を称揚する人々に問いたいのは、いったい彼らの作品はどのようにして成り立ってなぜ称揚に値するのかということである。その色彩はどうなのか、その形はどうなのか。問題はこのような絵画を生じせしめ、それが評価されるということである。
同様のことは、スケールこそ違え他国でも変わらない。ソーホー、とくに土曜日のソーホーでは、人々は芸術的に着飾っていて虚ろな馬鹿の街になっている。だれもが芸術家になれるということは、だれもが芸術家にはなれないということである。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」「アメリカ現代美術変貌の内実」藤枝晃雄)
藤枝さんらしい痛快な文章ですが、横尾さんや大沢さんのファンの方なら怒ってしまいそうです。それにこの二人は、とりあえず「ミニマリズムから新表現主義へ」という企画展とは関係ないのですが、藤枝さんの美術作品と向き合う姿勢として「いったい彼らの作品はどのようにして成り立ってなぜ称揚に値するのか」、「その色彩はどうなのか、その形はどうなのか」、「問題はこのような絵画を生じせしめ、それが評価されるということ」という作品本位の厳しい態度で臨むことが宣言されており、いわば二人の作品が引き合いに出されたのです。
まさか横尾忠則さんを知らない方はいないと思いますが、グラフィック・デザイナーとして優れた仕事をされたのち、画家宣言をして制作活動をされている横尾さんの概要がわかるサイトのリンクを貼っておきます。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/24337
一方、大沢昌助(おおさわ しょうすけ、1903 - 1997)さんはだいぶ前に亡くなられたので、若い方にとってはなじみのない画家なのかもしれません。練馬区立美術館の回顧展のリンクを貼っておきます。
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202302021675300347
そして、なぜここで大沢さんが取り上げられているのかといえば、このサイトの下の方の、一見ミニマル・アートのように見える作品のせいでしょう。1980年頃に、日本のミニマルな画家として、大沢さんは結構話題になっていたのです。日本の美術ジャーナリズムが、作品の文脈とか画家の資質などとは関わりなく、表面的にミニマル・アートのように見えればミニマリストとして持ち上げてしまう節操のなさを含めて、藤枝さんは批判しているのだと思います。
さて、こんなふうに丁寧に記事を読んでいくとキリがありません。なるべく、ざっと読んでいきましょう。
この二人を藤枝さんが取り上げたのは、横尾さんに「表現主義」を、大沢さんに「ミニマリズム」を代用させて、いずれの側についても厳しく批判していく、ということを示しているのだと思います。藤枝さんは「フォーマリズム/formalism」=「形式主義、形式論」の批評家として知られていますので、「表現主義」と「ミニマリズム」が並置されれば、当然、後者に加担するのだと思われますが、そんな単純な話ではなくて、「フォーマリズム」というのは、作品の内容を重視する批評なのだ、と言いたいのでしょう。
例えば、次の文章を読んでみてください。
ミニマル・アートが芸術としての芸術と見なされ、反復、そしてこれと関連する分割が芸術制作の方法のために採用されたときに、ミニマル・アートはミニマリズムとなり、あるいはまたインスタレーションとなる。
<中略>
とりわけマン・ゴールドの作品は算術的トリックの表示と質の低い色彩からなっているものである。あるいは、ジェニファー・バートレットのシステムも概念としての、芸術としての意味をもたない。彼女の最近の個展はその大きさを除けばますます絵画に、しかもエコール・ド・パリ風の絵画に向かっているが、描く能力の欠如が顕現する。そしてこのときそのシステム分割はアクセントとなって、能力の欠如を隠ぺいするためのものとなっている。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」「アメリカ現代美術変貌の内実」藤枝晃雄)
とりあえず、批判されている二人の作品が見られるMOMA(NEW YORK,The Museum of Modern Art)のリンクを貼っておきます。
ロバート・マンゴールド(Robert Mangold、 1937 - )
https://www.moma.org/artists/3723-robert-mangold
ジェニファー・バートレット(Jennifer Bartlett、1941–2022)
https://www.moma.org/artists/357-jennifer-bartlett
バートレットさんに関して言えば、絵があまり上手でないのは藤枝さんの書いている通りなのですが、この展覧会の「ミニマリズム」と「表現主義」の架け橋のような存在であることは確かで、このあとの篠田達美さんの文章では1970年代から80年代へとつながる作家の一人として名前が上がっています。
それでは、「表現主義」の傾向の作品について、藤枝さんがどのように言っているのか、読んでみましょう。
俗にいうニュー・ペインティング、ホイットニー美術館が命名したエクスプレショニズム、そして最近もっと流布しているネオ・エクスプレショニズム-ドイツの批評家からはこの用語に対する批判がなされている-は、ミニマリズムやコンセプチュアリズムの無表情への反発から出現したといわれている。なるほど、それら低俗な芸術はコスースのようなコンセプチュアル・アートとは相容れないものである。それらはポップアートにおいてオルデンバーグやシーガル、クリストが受け入れられたごとく、アヴァンギャルドのほぼ完全な通俗化に合致する。しかるに、このシュナーベルたちの傾向は、たとえコンセプチュアリズムから直接的な影響を受けないと仮定しても(ドイツの表現主義的動向の絵画における文字の記入は、コンセプチュアリズムの影響を示している)、その主観性を受け継いでいるのである。そして、絵画、ないしは絵画形式がとられるのは主観性を表出するのにかなった形式だからであって、絵画がとりわけ希求されているのではないだろう。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」「アメリカ現代美術変貌の内実」藤枝晃雄)
藤枝さんは「絵画がとりわけ希求されているのではないだろう」と書いていますが、ここで名前の出ているシュナーベルさんは、その後、映画監督としても活躍されています。図らずも彼の絵画以外での才能を予言したようでもあります。
ただし、シュナーベルさんの絵画に関しては、「本展に出品されている『希望』という絵画は、彼が絵の描けない作家であることを露呈している」とか、「この作品にはヴェルヴェットという物体が使用されているが、線を引き、色彩を施すとき、その処理に対する作家の不能力を示している」と酷評しています。シュナーベルさんの絵画は、いまではあまり話題になりませんが、よかったら次のリンクで確認してください。
ジュリアン・シュナーベル(Julian Schnabel 、1951 - )
https://www.royalacademy.org.uk/art-artists/name/julian-schnabel-hon-ra
この展覧会全体について、あるいはこの当時の美術の動向について、藤枝さんはこの記事の最後に次のようにまとめています。
(この展覧会を組織したパターソン・)シムスは、「ミニマリズムから表現主義へ」展の解説文のなかで、「1960年代の中ごろより、アメリカ美術の主流にラディカルな変化が起こった」と記している。しかしながら、変化が起こったのは主流においてではないだろう。その主義がもたらし、イズムと称されている現象においてであって、もしここに多様性があるといっても、それは十人十色という程度にすぎない。横尾やシュナーベルへの賛美は悲喜劇である。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」「アメリカ現代美術変貌の内実」藤枝晃雄)
藤枝さんは「変化が起こったのは主流においてではないだろう」と書いていますが、藤枝さんのイメージする「主流」とは、いったいどこにあったのでしょうか?藤枝さんの文章を読むと、このような浮き足立った現代美術の商業的な動向に対し、どこかで地に足をつけたアーチストたちがしっかりとした流れを作っているような印象を受けますが、少なくともそのような動向を「主流」として感じたことは、私にはありませんでした。
考えてみると、この時代の美術は現在の混沌としたアメリカの状況、あるいは世界の状況を予知していたのではないでしょうか?世の中の主流に位置するのは良識でもなく、常識でもなく、真実でもなく、お金が何よりも優先される商業主義だということを、藤枝さんの批評が図らずも物語っているように思います。この時期にしろ、現在にしろ、素晴らしい作品は世界中のいたるところに存在するはずですが、それらが主流となって私たちの前に現れることはありませんでした。
次に篠田達美さんの「窓についての窓」を読んでみましょう。
篠田さんは、藤枝さんとは違って、この時代の流れを受け入れようとしています。彼はニューヨークのモダンな建築の冷たい「窓」に「ミニマリズム」の無機質な表面を重ねて見ています。そして、出品されていたナムジュン・パイク(NAM JUNE PAIK、1932 - 2006)さんのテレビ作品の画面に、「表現主義」の絵に繋がるようなイメージの「窓」を見出しています。そして、そのテレビのイメージを見た世代が、「表現主義」の作品にそのイメージを描いているというのです。つまり「表現主義」の画家の描くイメージは「窓」にあらわれたイメージを描いているのであって、それは「窓についての窓」だというわけです。
わかりにくいのですが、篠田さんは「窓」をキーワードにして世代間のつながりを見ようとしているのです。それと同時に、「表現主義」の描くイメージは「窓の窓」ですから、彼らの絵の主題に囚われる必要はない、と言いたいのです。
次の文章を読んでみてください。
彼らの絵のイコノグラフィーに必要以上の、あるいは古典的意味解釈をほどこすことは、ともすれば本質を見誤ることになるだろう。「(私の)スタイルの意味は無差別の性交に等しく似ている。同時に感覚はフィルターか、もしくは網の役割を果たす」、というサーレの言葉がそれを物語っていよう。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」「窓についての窓」篠田達美)
この篠田さんの記述は、その次の記事がマーシャ・タッカーさんの「ニューペインティングのイコノグラフィー」であることを考えると興味深いです。篠田さんの冷静さが感じられるとともに、藤枝さんとは違った意味で批評の価値を感じます。
ちなみに、文中のサーレさんの作品とパイクさんの作品のリンクを貼っておきます。
デヴィッド・サーレ(David Salle、1952 - )
https://www.moma.org/artists/5124-david-salle
ナムジュン・パイク(Nam June Paik)
https://www.guggenheim.org/artwork/artist/nam-june-paik
そして篠田さんは、この展示会場をめぐりながら、「ミニマリズム」から「表現主義」へと時代がどのようにつながっていったのかを読み取ろうとします。篠田さんは会場の構成について、次のようにていねいに説明しています。
会場は60年代半ばから現在に至るまでの流れを「ミニマリズム」、「ポスト・ミニマリズム」、「ニュー・イメージ・アート」、「新表現主義」の四つに分類した主催者側の意図に従って、それぞれの代表的な作家と流れの変容を順を追って展覧できるようになっている。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」「窓についての窓」篠田達美)
そして見終わった後では、篠田さんは次のような感慨を抱くのです。
この最後の部屋の出口は、入口のジャッド、ソル・ルウィットの展示空間に回帰する。およそ20年近くの流れを経て入口の作品を再び目にすると、その隔たりは遥かなもののように感じられるが、その都度の形式のゆるやかな展開と関心対象の発展の仕方が、一つの絶えることのない流れとなって繋がっていることが理解されてくる。今日、急激に台頭してきたかに見えるペインタリーな絵画が、過去の折衷という非難の矢を浴びながらも確固たる地位を築きつつあるという事実は、折衷と見える表面が、実は過去十数年の流れを汲んだ到達点としての、今日的な答えの一つであるからにほかならない。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」「窓についての窓」篠田達美)
うーん、実際に展覧会を見ていないので何とも言えませんが、これはちょっと肯定的に受け止め過ぎているような気がします。しかし篠田さんは、ただ表面的に作品を見ているのではなく、「窓」という比喩を用いながら、そこに無機質な表面からテレビ映像のイメージを見出し、さらにその映像を見て育った世代へと思いをはせて、時代のつながりを解釈しているのです。言うまでもなく、このような解釈は「その色彩はどうなのか、その形はどうなのか」と問い詰める藤枝さんとは相容れないものです。
今の美術雑誌で、このように意見の対立する記事を同時に読むことはあまりありませんが、若い方はこの違いをどう受け止めるのでしょうか?聞いてみたい気がします。
そして最後の記事、マーシャ・タッカーさんの「ニューペインティングのイコノグラフィー」は、この展覧会の前年の夏に発行された雑誌『ARTFORUM』の記事の翻訳だそうです。タッカーさんは、なかなか個性的な人物だったようで美術手帖の記事の「註」には次のように書いてあります。
マーシャ・タッカー=「ザ・ニュー・ミュージアム」の館長として活躍中。1977年、ホイットニー美術館でのキュレーター時代に「バッド・ペインティング」展を企画して、現在のニュー・ペインティング・ブームの先駆をなしたが、同展の賛否論争のためホイットニー美術館を辞めた。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」「ニューペインティングのイコノグラフィー」註)
企画した展覧会が物議を醸して美術館を辞める、というのは、日本ではちょっと聞かないですね。そうなる前に、そんな展覧会なら企画してもらえないのが実情ではないでしょうか?
そのタッカーさんの文章は、現在のメディア社会を予見したと言われる批評家、マーシャル・マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan, 1911-1980)さんの言葉の引用から始まります。「私たちの時代の方法論は、解釈のためにただひとつのモデルを使うのではなく、いくつかの複合したモデルを使うことだ」という言葉です。つまり、一つに意見をまとめるのではなく、いろんなことを言っていいんだ、ということなのでしょう。なるほど、物議を醸した人らしいですね。
その後に書かれた冒頭部分で、タッカーさんがこの記事で言おうとしたことがだいたい要約されているので、引用してみます。
この、ノート風に綴った図像研究は、はじめてからもう数年になるけれど、まず何よりも、70年代から現在にいたるまでの、アメリカの具象絵画を対象にしている。とくに焦点をあてたのは、この研究の最初のきっかけをつくってくれた作品たちであり、そしてまた、何人かの例外はあるものの、かなりの年数にわたって具象的な絵画を手がけてきた作家たちである。
1970年代の「多元論」は、いわば芸術上の手榴弾が、その前の時代の「統合された表面」、ゲシュタルト的なイメージ、そして単一な批評方式のなかに投げこまれた結果であったように思われる。そこで、80年代初頭を席捲してきた具象絵画は、その手榴弾の炸裂した跡にちらばる破片から、何らかの意味を築きあげようとする。このような意味の模索は、基本的にヒューマニスティックな関心をあらわすものであり、それが前の時代の、もっとフォーマリスティックな問題以上に大きな位置を占めるようになってきたのである。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」「ニューペインティングのイコノグラフィー」マーシャ・タッカー 高島平吾訳)
この記事には、藤枝さんと篠田さんから、それぞれの反論がありそうです。
まずは「基本的にヒューマニスティックな関心をあらわすものであり、それが前の時代の、もっとフォーマリスティックな問題以上に大きな位置を占めるようになってきた」と書かれたところですが、これに対して藤枝さんなら、「それがどのように描かれたのかが問題だ」、と言うことでしょう。
さらに「80年代初頭を席捲してきた具象絵画は、その手榴弾の炸裂した跡にちらばる破片から、何らかの意味を築きあげようとする」と書かれたところに対しては、篠田さんなら「そこに過剰な意味を読み取ることは危険ですよ」と、そっと助言するのではないでしょうか。
そして記事の内容を見ると、新しい表現主義の画家たちが暴力やセックスを作品の主な主題にしていることから、タッカーさんの文章もそのような話題がずっと続いていきます。「ありとあらゆるかたちで存在する暴力は、近年の絵画において最も裾野のひろいテーマとしてあげられるであろう」と彼女は書いていますが、正直に言って、ちょっとうんざりします。
そして記事は次のように結ばれています。
ここ数年来、画家たちは、象牙の塔からサウス・ブロンクス、14丁目、タイムズ・スクウェアなどの街頭に飛びだしている。過去十年間の具象絵画の多くは、美術界だけではなく、もっと広い層の一般の人ともわかちあえるような視覚言語を、ふたたびとりもどしたいという欲求に根ざしている。作品の形態上の問題よりも、むしろ存在論的な問題を語りかけること、世界全般の関心事とかかわるような内容を生みだすこと、ゆがんでしまった世界をいまいちどつくりかえるような視覚のフィクションを生み出すことーそういう必要があるというわけである。
(1983年12月号『美術手帖』特集「[ミニマリズム]から[表現主義]へ」「ニューペインティングのイコノグラフィー」マーシャ・タッカー 高島平吾訳)
つまり、モダニズムによって現代美術が難解になり、一般の人たちと分かち合えないものとなってしまったために、この10年間の具象絵画は身近で切実な問題をわかりやすく視覚的なイメージで訴えてきた、というのでしょう。タッカーさんは、そのことによって「ゆがんでしまった世界をいまいちどつくりかえる」必要があるのだ、と言うのですが、どうでしょうか?その必要は認めるものの、その手段として暴力的な内容の絵画を描くことが適切なのでしょうか?
これはまるで、現在のアメリカの分断の状況を見るようではありませんか?知的なエリート社会から排除されたと感じた人たちに、わかりやすい言葉で声をかけたのが現在の大統領で、彼はさらに社会の分断を煽っています。タッカーさんの言う「存在論的な問題」を語りかけるのに、表現主義の絵画のモチーフは本当にふさわしいものでしょうか?
もう40年も前の文章ですが、いまだに問いかけたいことがたくさんありますね。
さて、美術手帖としてはこれらの三つの記事を掲載することで、バランスの取れた問題提起をしていると思うのですが、時代の流れはすでに「表現主義」の動向へとシフトしていました。
それを象徴するように、この12月号の巻頭には表現主義の旗手、J.M.バスキアさんの展覧会の記事があり、そのあとには伊東順二さんが書いたメアリー・ブーンさんの来日記事がありました。メアリー・ブーンさんは、表現主義の画家たちを取り上げた画廊を経営していて、脚光をあびていたのです。そのブーンさんは、いまどうなっているのでしょう?そういえば、こんな記事がありました。
「アートシーンの女王」メアリー・ブーンに実刑判決。約3億円以上の脱税で2年半の懲役へ
https://bijutsutecho.com/magazine/news/market/19347
ブーンさんの話はともかくとして、「表現主義」の画家たちは今では巨匠となりましたが、彼らがこれからの美術を先導していくとは思えません。世界の美術は80年代の状況以上に混沌としていて、私たち自身がしっかりとした価値観を持つことを要求しています。そして何よりも気がかりなのは、真摯に美術に取り組む若い人たちにとって、希望を抱きにくい世の中になっているということです。冒頭に書いたように、それを何とかしなくちゃ、という思いでビエンナーレの文章を書きたいと思っています。
ビエンナーレ展、それについての私の文章など、新たにお知らせできることがあればご連絡します。
ご期待ください。