平らな深み、緩やかな時間

239,映画『ハンナ・アーレント』について

ミニシアターの先駆けで半世紀以上の歴史を持つ東京・神保町の映画館「岩波ホール」が7月29日に閉館しました。

岩波ホール閉館の新聞記事です。

https://www.asahi.com/articles/ASQ7Y7GGKQ7XUCVL016.html

岩波ホールの公式ホームページです。

https://www.iwanami-hall.com/

私は高校生の頃に映画好きの人が集まる映画館があることを知って、その後何回か岩波ホールに映画を見にいきました。私は特に映画好きだったわけではありません。でも、なんとなく知的な雰囲気を感じ取って、興味本位で見に行ったのだと思います。

 

ここからは、あまり映画と関係のない大昔のおぼろげな記憶の話です。

高校生のときに私は午後の授業をサボって、一人で岩波ホールに映画を見に行きました。何を見たのか、肝心なことは憶えていないのですが、見終わった後で美大予備校に行く前の腹ごしらえに、お茶の水駅の近くの立食いそば屋に寄りました。すると、斜め前に高校の数学の先生がそばをすすっているではありませんか!あれ、何で?と思わず顔をそむけましたが、先生は何も気づかずにそばを食べ終わると出ていきました。先生は何であんなところにいたのだろう?という好奇心を抑えられず、翌日の授業の時に、「先生、なんでお茶の水でそば食ってたの?」と無邪気に聞いてしまいました。すると、先生はちょっときまり悪そうに、「お前、あの日のテストはできたのか?」と逆に聞いてきたのです。後で友だちにその話をすると、友だちは「お前、そんなことも知らなかったのか」と呆れた顔で、その先生がお茶の水にある名門予備校で教鞭をとっていることを教えてくれました。その日はその予備校のテストの日だったので、「先生はお前がお茶の水にいたのなら、予備校でテストを受けたと思ったんじゃないか、でも、お前がそんなところに行くわけないのになあ」と笑っていました。

私の不正確な記憶の話で申し訳ないのですが、昔の都立高校の先生は予備校でアルバイトをしていた人が、かなりいたのだと思います。それから、週に一日研修日という名目で学校に出勤しなくても良い日があったようです。

今でも教員の副職については、法律的に認められているものもあるようですし、教員が研修をすることも認められています。ただ、こういったものは運用のやり方によって、ほとんど禁止されているような状況になってしまいます。私が高校生の頃の先生方は、例えば何か自分自身の勉強や研究をやろうと思えば、相当の自由度をもってできたのではないか、と思います。それがこんなに窮屈で困難な職業になってしまうとは、時代の流れというのは恐ろしいものです。

 

話が思わず横道にそれました。

私は岩波ホールの閉館を惜しむほどに岩波で映画を見たのか、と言われればそうでもありません。ただ、岩波ホールで上映した映画が「岩波映画」というふうに呼ばれて地方の名画座(と言われた小ホール)で巡回していたということがありました。私は大学時代に名古屋で「岩波映画」をよく見ましたが、だいたい二本立てで上映されることが多くて、わざわざ東京の岩波ホールで見なくても・・、という気持ちになってしまっていたのです。

そして就職して神奈川県で暮らすようになって、やはり忙しさで岩波ホールどころか、映画館からも足が遠のくようになりました。だから私の見た映画はせいぜい1980年代までで、岩波ファンとも映画ファンとも言えないのが正直なところです。それでもルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, conte di Modorone, 1906 - 1976)やアンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda 、1926 - 2016)、それからアンドレイ・タルコフスキー(Andrei Arsenyevich Tarkovsky, 1932 - 1986)、イングマール・ベルイマン(Ernst Ingmar Bergman, 1918 - 2007)といった映画監督たちが日本でこれほど親しまれているのは、岩波ホールの影響が大きかったのではないかと思います。そういう意味では、例え映画館に足を運べなくても、そういう映画館が存在するというだけでも、何か心強いものがありました。

私のように日常生活を生きるのが手一杯の人間には、映画、演劇、音楽、文学など全ての芸術分野に首を突っ込むわけにはいかないのですが、各分野において目利きの人たちがそれらを紹介したり、日本語に翻訳したり、ということをやっていただいていると、人生のどこかでそれらと出会えるという希望を持てます。

そういう動きの一つが幕を閉じたというのは、やはり残念です。

 

それで、ふと思いついたのが、2013年に岩波ホールで上映されて評判となった映画『ハンナ・アーレント』をビデオで見てみようかな、ということです。

ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906 - 1975)にも興味がありましたし、何か機会があれば映画も見ておきたい、と思っていたのです。ということで、以下はあまり映画に詳しくない人間の、あまり役に立たない感想になってしまいますが、よかったら目を通してください。最後に、役に立つ感想も引用しています、お楽しみに。

 

さて、この映画『ハンナ・アーレント』は、ハンナ・アーレントの生涯を追った伝記映画ではありません。そうではなくて、彼女が1963年に書いた『エルサレムのアイヒマン』に関わるエピソードをまとめたものです。映画のオフィシャル・ページは次のとおりです。この中の予告編の動画をご覧ください。

 

http://www.cetera.co.jp/h_arendt/trailer.html

 

だいたい、内容がお分かりになりましたか?

私は多少ですが、アーレントについて、そしてアイヒマンの裁判について予備知識がありました。だから映画を見ていて、すんなりと筋を追えたのですが、まったく予備知識や問題意識がなくてこの映画をご覧になると、いったいどういうふうに感じられるのか、そもそもストーリーやその背景が正しく理解できるのか、と不安に思いました。もちろん、そんなことは織り込み済みで映画が制作されたのだと思いますが、ちょっとよけいなおせっかいをしてみます。映画の背景となる人間関係を中心に、かんたんなハンナ・アーレントの生涯を紹介をしておきます。

 

まず、ハンナ・アーレントですが、ドイツ系のユダヤ人の哲学者で、学生の頃から優秀で、かつたいへんに意志の強い人だったようです。

アーレントは1924年にマールブルク大学の学生だった頃に、哲学の巨人、マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger, 1889 - 1976)と出会い、その思想に魅了されるとともに不倫関係となります。すでにハイデッガーには子供がいましたので、これは大学教授と女子学生との許されない恋愛ということになるのでしょう。ハイデッガーは主著である『存在と時間』を1927年に出版していますが、アーレントと出会った頃にはすでに草稿ができていたそうです。20世紀最大の哲学書とも言われる本を書いた頃ですから、きっと魅力的な男に見えたのでしょうね。映画の中では、とてもそうは見えませんでしたが、その話はまた後ですることにします。このハイデッガーは、1930年頃からナチスに傾倒し、ナチス党員となってフライブルク大学総長に就任するなど、ナチスと深い関係になっていきます。そのことが映画中でも、アーレント周囲の人たちの会話の中で頻繁に出てきます。

またアーレントは、マールブルク大学で終生の友、ハンス・ヨナスと出会います。ハンスはユダヤ系のシオニスト(エルサレムにイスラエルを建国しようとする人たち)で、後にイスラエルの独立戦争に加わります。さらにその後にはアメリカに渡って、1955年にニューヨークの学校で教鞭を取ることになります。映画の中でも、アーレントを囲む議論にしばしば参加し、アーレントの夫のハインリッヒ・ブリュッヒャーと意見が対立します。そして映画の最後のところでは、アイヒマン裁判におけるアーレントの意図が汲み取れず、仲違いをしてしまうことになります。

もう一人、映画に出てくるシオニストとアーレントは学生時代に出会っています。アーレントはマールブルク大学で学んだ後、フライブルク大学のフッサールのもとで一時期を過ごし、さらにハイデルベルク大学でヤスパースの指導を受けます。そのころにクルト・ブルーメンフェルトと出会いますが、このクルトという人が、シオニズムの運動で指導的な役割を果たした、魅力的な人物なのです。映画の中でクルトは、アイヒマン裁判を聴きにエルサレムに来たアーレントを暖かく迎えますが、結局アーレントのその後の主張を理解できないままに亡くなってしまいます。

それから、映画の中では出てきませんが(たぶん)、アーレントは1929年にギュンター・シュテルンと結婚します。この頃は、まだハイデッガーへの思いが残っていたようですが、シュテルンが結婚を申しこみ、二人は貧しい中での結婚生活を始めます。

ちょうどその頃、ナチスがドイツで台頭してきます。そしてナチスが政権を獲得してユダヤ人迫害が起こる中、クルトに協力してアーレントは反ユダヤ主義の資料収集やドイツから他国へ亡命する人を援助する活動に従事します。そして一度は逮捕されますが、運よく出獄し、1933年にフランスに亡命します。

1937年ギュンターと別れ、1940年にドイツ共産党に参加した活動家ハインリッヒ・ブリュッヒャーと結婚します。ブリュッヒャーは幼くして父を亡くした苦労人で、共産党員として働きながら勉強を続けた、いわゆる叩き上げの人物です。アーレントは彼から政治的思考を学ぶこととなりますが、結婚した翌年にはフランスがドイツに降伏してしまったために、アメリカに渡ります。

そしてアーレントは渡米した10年後の1951年に、ハインリッヒは1952年にアメリカ国籍を取得します。彼らのアパートには友人が集い、映画の中ではアメリカの友人、メアリー・マッカーシーが公私ともにアーレントを支えています。特に後半のメアリーは大活躍です。

 

だいたい、こんなところで映画に出てくる主要な人物のアーレントとの関わりが紹介できたと思います。そんなアメリカでの生活の中で、アーレントはエルサレムでアイヒマンの裁判が行われることを知り、その取材に赴くことになるのです。

このアドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann、1906 - 1962)について、念のためにどんな人物なのか、おさらいをしておきましょう。アイヒマンはナチスの親衛隊隊員で最終階級は親衛隊中佐だったそうです。彼はユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所 へのユダヤ人大量移送の指揮的役割を担ったのでした。第二次世界大戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送っていましたが、1960年にイスラエルに捉えられて、連行されます。映画ではその捉えられた場面が描かれていました。それからエルサレムで裁判にかけられ、有罪となって死刑になったのです。

映画の中では、エルサレムまでの道のりが描写されています。荒野をバスで走り、壁の多いエルサレムの市街とユダヤ教の服装を着た人たちが描かれていましたが、ここがただの異郷の地ではなく、歴史的に特別な場所なのだということを、十分に語っていたと思います。そういう特殊な場所にいても、アーレントは常に真実を嗅ぎ分けようと神経を尖らせていて、やがて彼女の見出した真実を公言してしまったために、孤立してしまうのです。

それでは『エルサレムのアイヒマン』でアーレントはどんなことを語っていたのか、この本の出版社のホームページから本の紹介を引用してみましょう。

 

〈彼は愚かではなかった。まったく思考していないこと——これは愚かさとは決して同じではない——、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。このことが「陳腐」であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してみてもアイヒマンから悪魔的なまたは鬼神に憑かれたような底の知れなさを引き出すことは不可能だとしても、やはりこれは決してありふれたことではない。死に直面した人間が、しかも絞首台の下で、これまでいつも葬式のさいに聞いてきた言葉のほか何も考えられず、しかもその「高貴な言葉」に心を奪われて自分の死という現実をすっかり忘れてしまうなどというようなことは、何としてもそうざらにあることではない。このような現実離れや思考していないことは、人間のうちにおそらくは潜んでいる悪の本能のすべてを挙げてかかったよりも猛威を逞(たくま)しくすることがあるということ——これが事実エルサレムにおいて学び得た教訓であった。しかしこれは一つの教訓であって、この現象の解明でもそれに関する理論でもなかったのである〉

 

組織と個人、ホロコーストと法、正義、人類への罪… アイヒマン裁判から著者が見、考え、判断したことは。最新の研究成果にしたがい、より正確かつ読みやすくし、新たな解説も付した新版を刊行する。

(みすず書房ホームページ「エルサレムのアイヒマン」より)

 

うーん、読んでも分かりにくいでしょうか。

これは映画の中でのアーレントの講義を聞いた方が、理解が早いと思います。そこで私なりに思ったことを書いておくと、次のようになります。

ホロコーストのような悲惨な悪事を裁くときに、その悪事に見合うような悪者がいれば納得がしやすいものです。例えば、アイヒマンが冷酷な男で、その言葉の端々から非人間的な性格が読み取れれば、私たちは彼に対してそれ相応の怒りを覚えると同時に、安堵もするのではないでしょうか。しかし、彼が上からの命令を下に下ろすだけの役人のような平凡な人間であったならどうでしょうか。私たちは混乱し、ホロコーストで亡くなった多くの命に対してどのように語りかければ良いのか、わからなくなります。さらに、アイヒマンが自分の身の安全のために上からの命令に逆らえなかったように、ユダヤ系の人たちの中にもナチスの命令に従わざるを得なかった人たちがいたとしたら、そのことを私たちはどう考えたら良いのでしょうか。

アーレントはその事実を認めた上で、「全体主義」の真の恐ろしさを警告しました。「全体主義」の中にいれば、私たち一人ひとりがアイヒマンのように振る舞う可能性があります。現に被害者であったユダヤ人の中にも、そのように振る舞わざるを得なかった人たちがいたのです。

それでは「全体主義」に対して、私たちはどのように振る舞えば良いのでしょうか?

どんなに不都合な事実であっても目をそらさずに、しっかりと「真実」を見きわめること、そしてその「真実」について「考えること」が大切なのだ、とアーレントは言います。いかなる立場の人たちの見方であっても、それが「思考停止」へと陥るものであるならば、退けなくてはなりません。例えばそれが被害者であるユダヤ人の目線であっても、「アイヒマンは極悪人に違いない」という偏見を強いるものであるならば、その偏見を退けなくてはなりません。

 

アーレントも生身の人間ですから、彼女に対するアメリカの人たちの、あるいはユダヤの人たちの攻撃に傷つきます。特にクライマックスとなったのは、クルトとの死別です。映画では、クルトの死に際にベッドの脇に座り、クルトに拒絶されながらも自分の考えを告げる場面がありました。しかし矢野久美子さんが書かれた中公新書の『ハンナ・アーレント』によれば、アーレントはイスラエルに赴いたが親しい人たちとは会話ができず、クルトとは会うこともできなかった、と書かれています。映画よりも現実は過酷だった、ということでしょうか。

しかしこの映画は、センチメンタルな映画でもないし、きれいごとを語った映画でもありません。最後に、アーレントが学生たちを前にして自分の考えを講義で伝える場面があります。おそらく映画を見たすべての人が、そのアーレントの言葉に感動を覚えたのではないでしょうか。それで幕を閉じれば、その感動を映画作者の意図として私たちは受け止めることができたでしょう。しかし、現実でのアーレントの困難がそれで収まったわけではないので、映画でもそのことを予感させて終わります。

アーレントの講義の後で、長年の友であったハンスが聴講に来てくれていたことがわかります。アーレントはその友情を感じてハンスのもとへ駆け上がりますが、ハンスはそこで決別を宣言します。実際には、ハンスの配合者の取りなしで、アーレントとハンスは友人関係を続けたそうですが、あえてハンスに聴講させて、そこで別れを告げさせることで、アーレントの直面した現実を映画監督は私たちに知らしめたのではないでしょうか。

 

この映画を撮ったのはマルガレーテ・フォン・トロッタという監督です。脚本も彼女が書いたようです。この方は、『ブリキの太鼓』を監督したフォルカー・シュレンドルフと結婚されているのですね。女優をやっていた時に知り合ったのだそうです。

マルガレーテさんは『ハンナ・アーレント』というタイトルで映画を制作されたのですが、その内容はここまでみてきたように『エルサレムのアイヒマン』の周辺のエピソードです。

実は、先ほど紹介した矢野久美子さんの『ハンナ・アーレント』も、アーレントの伝記的な本なのですが、その出だしのところでは『エルサレムのアイヒマン』に関することが書かれています。やはりアイヒマンに関することが、アーレントという思想家の重要な部分を象徴しているということなのでしょう。その部分を、少し引用しておきます。

 

一九六三年五月、元ナチ官僚アイヒマンをめぐる裁判の報告『イェルサレムのアイヒマン』が刊行された。雑誌『ニューヨーカー』に同書の連載第一回が発表された直後から数年間にわたって、著者は激しい非難にさらされる。著者の名前はハンナ・アーレント──。二〇世紀を代表する政治哲学者である。彼女は、一九〇六年にドイツのユダヤ人家庭に生まれ、七五年ニューヨークで生涯を終えた。少女時代から文学や哲学に親しみ、大学では哲学を専攻し、マルティン・ハイデガーとカール・ヤスパースの下で学んだ。一九三三年、ナチ支配下のドイツからパリへと亡命し、そこでユダヤ人の青少年やドイツ占領地域からの避難民の救出にたずさわった。第二次世界大戦勃発後には数ヵ月間フランスの収容所に送られたが脱出し、アメリカ合衆国へと渡る。以後、時事問題や政治的・哲学的問題について書きつづけ、一九五一年には大著『全体主義の起原』を刊行。その後も『人間の条件』(一九五八年)、『革命について』(一九六三年)など、二〇世紀の古典ともいうべき数多くの著作を発表した。  アーレントは、「事実を語ること」の大切さを強調した。人びとが出来事を共有し、語り継ぐ言葉がなければ、世代を超えて持続すべき人間の世界は地盤を失ってしまう。現代世界ではこの「事実を語ること」そのものが、危機にさらされている。アーレントはそれを、二〇世紀の歴史に翻弄された彼女自身の人生において痛感していた。事実はさまざまな角度からの物の見方によって成り立っている。私たちの現実は、そうした複数の観点によって保証されなければならない。しかし、イデオロギーや結論ありきのロジックによって、現実そのものが蔑ろにされ、打ち消される事態を、歴史は経験してきた。しかも、彼女が目の当たりにした二〇世紀の破局的事態は、伝統的な語り方が通用しない、それまでの思考法では理解できない、先例のない出来事だった。

(『ハンナ・アーレント』「まえがき」 矢野久美子)

 

私のウダウダと締まりのない文章に比べると、なんだか密度が違いますね。

それともうひとつ、この『ハンナ・アーレント』という映画について、作家の多和田葉子さんが『言葉と歩く日記』という本で、素晴らしい感想を書いています。それは2012年(たぶん)の2月24日の日記です。多和田さんはドイツ在住の作家なので、ドイツでのこの映画の封切りが日本よりも1年早い2012年だったのではないか、と思います。

 

雪が曇った空からどんどん落ちてくる。ゆうべは友達と近所の映画館で『ハンナ・アーレント』を観た。小さな映画館で、横に6席、奥行きは十列しかない。大変居心地がいい。家から歩いて行ける五つの映画館のうち、これがわたしのベスト2だ。

一昔前のニューヨーク。パーティ客が集まった広場で、談話がはずんでいる。ハンナ・アーレントが英語をまちがえて、なおされる場面がある。そのうち話が白熱してくるとみんなドイツ語を話し始め、英語しか分からない人は部屋の隅に退く。ドイツから亡命してきてアメリカで暮らしているユダヤ人のインテリたちなのだろう。大学で哲学を講義するだけの英語力があっても、日常生活の中でほんの小さな言葉のまちがいを犯すことがある。おかげで、たった一つの言語で作られた、たった一つのイデオロギーの中に完全に吸いこまれてしまう危険を免れる。「ナチス幹部は全員、悪魔のように残忍な人間である」と信じ込んで疑わない大多数のアメリカ人やイスラエル人と異なり、ハンナ・アーレントは実際の裁判の場でアイヒマンを観察し、彼が悪魔的カリスマなど持ちようのない凡人であることに気づいてしまう。そのことをアメリカの雑誌に書き、大勢のアメリカ人から批判攻撃を受ける。それに対して学生たちを前に英語で弁明する一場面は、あまりにもすばらしくて鳥肌がたった。英語のネイティヴではないことが分かるしゃべり方で、言葉に流されるのではなく、自分の言いたいことを一つ一つ積み木のように積み上げていく。たった一人になってしまっても思考することをやめない人間の勇気と孤独を感じた。

ハンナ・アーレントによれば、ナチスの一員として多くのユダヤ人を死に至らせたアイヒマンは、悪魔的で残酷な人間ではなく、ただの凡人である。上からの命令に従わなければいけないと信じている真面目で融通のきかないよくいるドイツ人である。個人的にはユダヤ人を憎んでさえいなかったが、上の命令に従い、自分の義務を果たさなければいけないと信じ、ユダヤ人を殺せと命令されれば殺してしまう。凡人が自分の頭でものを考えるのをやめた時、その人は人間であることをやめる。どんな凡人でも、ものを考える能力はある。考えることさえやめなければ、レジスタンスなどとても不可能そうに見える状態に追いつめられても、殺人機械と化した権力に加担しないですむ道が必ず見えてくるはずだ。言葉を使ってものを考えることができるということ、それが絶望の淵にあってもわたしたちを救う。そう語るハンナ・アーレントの英語はまさにものを考えながらしゃべる人間の息遣いに貫かれ、聞いているうちに涙が出てきた。

一方、かつての彼女の恋人だったことのあるハイデッガーは、この映画の中では、母語であるドイツ語をいじりまわして、スピードを操作したり、意外なところで区切ったり、独自のアクセントをつけたりして、意味ありげに語る滑稽でケチな野郎として描かれていた。

(『言葉と歩く日記』「2月24日」多和田葉子)

 

素晴らしいですね!言葉に関する日記の体裁ですが、映画の感動をさりげなく、そしてわかりやすく伝えています。

そして先ほど書いたハイデッガーの描写ですが、私は言葉のアクセントなど全然わかりませんが、彼女の書いている通り、薄っぺらな男として描かれていたのです。なんでハンナ・アーレントはあんな男を好きになったの?というくらいの感じです。

 

今回は岩波ホールの話から『ハンナ・アーレント』まで飛んでみました。今、この映画を映画館で観られるところはないみたいですので、よかったらビデオで見てみましょう。

自分の頭で思考するって、本当に大切なことだとわかります。自分は頭が悪いから、頭のいい人の言うことを聞いておこう、というのは最悪です。

ところが、学校教育の中で、そのことを教えるのは意外と骨が折れるし、時間もかかります。効率重視、成績重視だけでは、絶対にできないと思います。政治家の皆さんだって、自分の頭で考えれば、それくらいすぐにわかると思うのですが・・・。

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