2012年12月26日
の、ブログを読んで頂いた方にはお解りかと思いますが・・・
そして今、そのような状況にある人が俺の周りにいる事もあり、敢えて書こうかと・・・
長文ですが、お付き合いください
それは・・・
その男の幼少期は、ちょっと裕福な家庭だった。
昭和30年代にはテレビもあり、自家用車もあった。
「三丁目の夕日」ではないが、その男の家にはたくさんの人たちがテレビを見に来ていた。
相撲・プロレスが大人気だった頃だ。
が・・・
そんな裕福な日々は長くは続かなかった。
その男が小学校3年生の時、両親が離婚した。(昭和41年)
その男と弟は母親の実家に引っ越す事となる。
絵に描いたような貧乏生活が始まる。
母親は土方をして生計を立てていた。
丸山明宏の「ヨイトマケの唄」そのままだった。
月日は流れる・・・。
その男の母親は、平成12年3月18日・・・この世を去った。
享年67歳。
幸薄く、苦労続きで、何の楽しみもなかった働き通しの67年間のささやかな人生だった。
晩年は、ボケていたため鉄格子のある病院で余生を送った。
面会に行った帰りは、鉄格子越しに無邪気な顔で俺に手を振る母親の姿が不憫で不憫で・・・
「苦労させたんだなぁ・・・ゴメンよ」 と、涙で車の運転がしばらく出来なかった・・・。
口癖 「人には迷惑をかけるな」
月日は流れる・・・。
その男も半世紀を過ぎて、人生の機微というのも少しは解ってきた。
親の離婚の真相は未だ不明だが・・・
母親と子供2人を捨てた、憎んでも憎んでも許す事が出来ない親父だ
母親は親父に殺されたんだ!と言っても、おそらく神は許してくれるだろう・・・。
だが・・・
それだけ憎んだ親父だが、まだ訃報がその男の元に届いてない。
そこで、昨年の12月26日のブログの事になるのだが・・・
そのブログの中の「A」は、後々言っていた・・・
「無理してでも生きてるうちに会いに行くんだった」 と・・・
そんな事があり、その男は決心したのだ。
親父の弟さんとは連絡がつく。
聞けば居所は解るハズだ。
よっし
来年(2013年)の夏には帰省して、半世紀近く会ってない親父に会いに行こう。
だが、果たして解るだろうか?
怖かったイメージがあるが、どんなになってるんだろう?
記憶では80歳のハズだが・・・
ボケてはいないか?
あれだけ憎んだ親父なのに、むしろ楽しみで待ち通しくなっていた・・・。
そして、2013年夏がやってきた。
とりあえずその男は自分の弟に連絡をする。
すると、弟も少ししか時間がないが合わせて帰省するという事になった。
そして弟に親父の事を聞く事となるのだが・・・
話しは一瞬にして終わった。
弟 「親父は5月に亡くなったらしい・・・」
俺 「5月?!」
5月と言えば、ほんの3ヶ月前だ
男は言葉を失った・・・・・
なんて事だ・・・・・
って言うか、どうして知らせないんだよ・・・
死んでからじゃダメなんだよ・・・
会いに帰ってきたのに・・・
声を聞きに聞かせに帰ってきたのに・・・
顔を見せに見に帰ってきたのに・・・
話しをしに帰ってきたのに・・・
・・・・・・・・・・。。。
その男の田舎の朝日は抜群に美しい。
チラホラ見えるサーファー達をシルエットに、水平線から昇ってくる。
5:53 こんな切ない気持ちで田舎の朝日を見るのは初めてだった。
涙が溢れる・・・
朝日が海と涙をキラキラと照らす・・・(涙は淀んでるかも)
そして・・・昇ってくる朝日に亡き母親を投影し
そして・・・問う・・・
「どうしてる?・・・会ってるか? 会わないよなぁ? ・・・でも、もし・・・もし親父を許せるなら・・・会ってもいいよ!!」
長文・・・最後までお付き合い下さり、ありがとうございました
みなさんも、心残りのないように・・・
心に思った事とか・・・
あの人に会いたいとか・・・
あそこに行きたいとか・・・
やるとかやらないとか・・・
好きとか嫌いとか・・・
など等・・・・・
少し古いギャグになりますがマジです・・・本当です
一度の人生後悔のないように
やるのは・・・『今でしょ』
無常の風は時を選ばず
ほいたら
※親父・・・・・ゴメン。