一年前の今頃は..
こんなことを書いていました
自分を精いっぱい生きる
それに尽きる という意味で
時には 自己満足のようでもあり
時には 身勝手のようであっても
その時その時
自分の心に恥じない誠意を尽くした上でのことなら..
相手がどう解釈したとしても
自分だけは..赦して 認めたい
一期一会
Bloom where God has planted you.
その心持ちだけは いつでも 携えています
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少し話題が逸れますが..
現在
こちら👇のお題の結果発表中です
今回多くの方が
彼岸花⇒まんじゅしゃげ
と 置き換えた際に
曼殊沙華 としていて..
「殊」を「珠」に直せば「並選」「人選」
と 同様の指摘を受けています
『殊(シュ)』は、
木を切る様に人を殺すことを表す形声文字
彼岸花には 「死人花」「幽霊花」など、
ちょっと不気味な呼び名もあって
さらに、この殊の文字の意味が重なると
字面の印象が悪い..
一方
『珠(シュ)』は、
・真珠
・宝珠(ほうじゅ・ほうしゅ)
=仏教で火炎が燃え上がっている様子の珠(たま)のこと
・数珠(じゅず)
=仏具に用いる108個の珠(たま)を
・珠玉(しゅぎょく)
=美しいもの
などに使われている
という理由で
「まんじゅしゃげ」の漢字表記は
曼珠沙華 である方が字面が宜しい
ということだろう..と学びました
じつは 私も
入力して出て来た文字が
曼殊沙華 でしたので..
何の疑いも無く
そのまま使用してしまいました
こういう方があまりにも多く
また
「殊」を「珠」に直せば「並選」「人選」
という指摘で
はじめて 漢字の持つ正しい意味合いについて
深く学ぶ機会になりました
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あらためて
一年前に書いていた記事のことに戻りますが..
「ゆるす」という音にも幾通りかの表記がある
「許す」は、
何かをすることを認める、許可する
「赦す」は、
罪や過ちを赦す
「恕す」は、
思いやりの心で罪の過ちをゆるし、相手の思いを図ること
言い換えれば、
全てのことを受け容れて、進歩させ、
向上するために努力することです
私は、「赦す」という表記をしましたけれど
本来表現したかった気持ちは
「恕す」の方が適切だったなぁ..
と 一年後になって
気づきとなりました
※単純な誤変換もあったり..しますが
判読にて理解していただける程度のことならば
それこそ、「許される範囲」として頂けるでしょうが、
漢字そのものが本来示す深い意味合いを
無理解のまま使用するのは お恥ずかしい限り
勉学心が湧いてきました~
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