2012年春 海と桜と夫様との笑顔
去る5月15日夫様の急変に慌てながら、急いで夫様と飛び乗った救急車に私は夫様を我が家に連れて帰るつもりで、救急隊の方に車椅子も乗せてもらいました。
それからは何時間もの間検査検査で、感染はしているのですが、何が原因がわからずそのうち合併症がおきてしまい・・・
まさかと思い、夫様の吐く声が聞こえて祈るように手を合わせながら待合室にいました。
「すぐに来てください!」と言われ、夫様のところへかけつけると、救命の医師が「血圧も下がりこのままでは死んでしまうので、人工呼吸をつけて救命処置させて頂きます。」と言われ、ただただ驚いてうろたえる私でした。
「夫とは延命は希望しないと人工呼吸はつけないと約束しているですが・・・」と救命の医師に伝えると、「お年寄りの方ならこのままで何もしないのですが、旦那様はまだお若いので回復するかもしれないので・・・」と言われました。
「人工呼吸はとれるのですか?」と聞くと「 回復すればとれますが、やってみないとその先のことはわからないので、かけてみたいと・・・」と救命の医師は答えてくださいました。
私ひとりでは判断できず救命の医師に任せるしかないと思い、また良くなることを祈りながら人工呼吸をつけて落ち着いた夫様を見て希望をたくしました。
その後原因がわかり、糞便性イレウスによる大腸菌が血液にまわり、肺血症ショックと脱水症と誤嚥性肺炎の合併症がおきてしまい危ない状態であることを告げられました。
夫様がICUに入り、すぐに子供達の学校に連絡して娘と息子はかけつけてくれました。
しかし、ICUに入って集中治療に入った夫様の姿を見て、私は一瞬言葉を失ってしまいました。
まるでたくさんの管に囲まれながらまるで植物状態かのようにも思えました。
夫様の意識はもどらないまま、私と子供達の声にも反応せずただただ延命との戦いがはじまりました。
次の日に病院へ行くと夫様は自ら人工呼吸の管を噛み手で抜こうとしていました。
そのため拘束もやむ終えず、数値さえよければ人工呼吸の抜管ができると救命の医師から告げられました。
しかし、毎日夫様に会いにいくたび人工呼吸の抜管できる希望を持ちながら、行くと数値がクリアできず人工呼吸が抜管できず意識があったりなかったりの繰り返しでした。
人工呼吸をようやく抜管できる前日、しっかりとした意識が回復していて笑顔の夫様に私は真っ先に「本当にこれでよかったの?人工呼吸つけてよかったの?」と尋ねると、笑顔で顔を下にしてうなずいてくれました。
娘のささやきにも笑いかけてくれていました。
なぜか夫様は娘がいると意識が回復してくれました。
確か私の父が脳腫瘍の手術するときも母の名前を呼ばす私の名前を呼んでいたそうです。
救命の医師と看護師にも夫様にむかって「はやく口から食べれるようになれるといいですね~それまでが楽しみですね~」なんて笑いかけていました。
私はその時に小さな希望の光が差し込んだようにも思えました。
確実に夫様は回復できると信じていました。
今までも何度もの死に目にあってここまで生きぬいてきたから、夫様ならまたもとのように元気になってくれると信じて次の日の人工呼吸の抜管を楽しみに待つことにしました。
人工呼吸の抜管の当日の朝、病院から電話が入り先生からお話があるとのことで、急いで病院へ向かいました。
何か胸騒ぎがして、ICUに入ると夫様の口からようやく人工呼吸ははずれたもの意識がもうろうとしていて、指先足先胸中に血色が帯びていました。
救命の医師と看護師からは、人工呼吸をはずすときも夫様の意識ははっきりとしていたそうです。
ICUでの6日間集中治療もすべて終わり、回復もできて肺も良くなり人工呼吸を抜管できたものの、抜管後またもや危ない状況に、まるで夫様は力つきたような姿でした。
救命の医師からも夫様が元気なうちにお子様達にも会わせてあげたほうがよいとのことで、再び子供達に夫様の危篤状態を連絡いたしました。
その日にはなぜか娘の大学のゼミの黒板に使っているマグネットが落ちて壊れてしまったり、息子のテニスラケットが折れたりと不吉な出来事が起こっておりました・・・
去る5月15日夫様の急変に慌てながら、急いで夫様と飛び乗った救急車に私は夫様を我が家に連れて帰るつもりで、救急隊の方に車椅子も乗せてもらいました。
それからは何時間もの間検査検査で、感染はしているのですが、何が原因がわからずそのうち合併症がおきてしまい・・・
まさかと思い、夫様の吐く声が聞こえて祈るように手を合わせながら待合室にいました。
「すぐに来てください!」と言われ、夫様のところへかけつけると、救命の医師が「血圧も下がりこのままでは死んでしまうので、人工呼吸をつけて救命処置させて頂きます。」と言われ、ただただ驚いてうろたえる私でした。
「夫とは延命は希望しないと人工呼吸はつけないと約束しているですが・・・」と救命の医師に伝えると、「お年寄りの方ならこのままで何もしないのですが、旦那様はまだお若いので回復するかもしれないので・・・」と言われました。
「人工呼吸はとれるのですか?」と聞くと「 回復すればとれますが、やってみないとその先のことはわからないので、かけてみたいと・・・」と救命の医師は答えてくださいました。
私ひとりでは判断できず救命の医師に任せるしかないと思い、また良くなることを祈りながら人工呼吸をつけて落ち着いた夫様を見て希望をたくしました。
その後原因がわかり、糞便性イレウスによる大腸菌が血液にまわり、肺血症ショックと脱水症と誤嚥性肺炎の合併症がおきてしまい危ない状態であることを告げられました。
夫様がICUに入り、すぐに子供達の学校に連絡して娘と息子はかけつけてくれました。
しかし、ICUに入って集中治療に入った夫様の姿を見て、私は一瞬言葉を失ってしまいました。
まるでたくさんの管に囲まれながらまるで植物状態かのようにも思えました。
夫様の意識はもどらないまま、私と子供達の声にも反応せずただただ延命との戦いがはじまりました。
次の日に病院へ行くと夫様は自ら人工呼吸の管を噛み手で抜こうとしていました。
そのため拘束もやむ終えず、数値さえよければ人工呼吸の抜管ができると救命の医師から告げられました。
しかし、毎日夫様に会いにいくたび人工呼吸の抜管できる希望を持ちながら、行くと数値がクリアできず人工呼吸が抜管できず意識があったりなかったりの繰り返しでした。
人工呼吸をようやく抜管できる前日、しっかりとした意識が回復していて笑顔の夫様に私は真っ先に「本当にこれでよかったの?人工呼吸つけてよかったの?」と尋ねると、笑顔で顔を下にしてうなずいてくれました。
娘のささやきにも笑いかけてくれていました。
なぜか夫様は娘がいると意識が回復してくれました。
確か私の父が脳腫瘍の手術するときも母の名前を呼ばす私の名前を呼んでいたそうです。
救命の医師と看護師にも夫様にむかって「はやく口から食べれるようになれるといいですね~それまでが楽しみですね~」なんて笑いかけていました。
私はその時に小さな希望の光が差し込んだようにも思えました。
確実に夫様は回復できると信じていました。
今までも何度もの死に目にあってここまで生きぬいてきたから、夫様ならまたもとのように元気になってくれると信じて次の日の人工呼吸の抜管を楽しみに待つことにしました。
人工呼吸の抜管の当日の朝、病院から電話が入り先生からお話があるとのことで、急いで病院へ向かいました。
何か胸騒ぎがして、ICUに入ると夫様の口からようやく人工呼吸ははずれたもの意識がもうろうとしていて、指先足先胸中に血色が帯びていました。
救命の医師と看護師からは、人工呼吸をはずすときも夫様の意識ははっきりとしていたそうです。
ICUでの6日間集中治療もすべて終わり、回復もできて肺も良くなり人工呼吸を抜管できたものの、抜管後またもや危ない状況に、まるで夫様は力つきたような姿でした。
救命の医師からも夫様が元気なうちにお子様達にも会わせてあげたほうがよいとのことで、再び子供達に夫様の危篤状態を連絡いたしました。
その日にはなぜか娘の大学のゼミの黒板に使っているマグネットが落ちて壊れてしまったり、息子のテニスラケットが折れたりと不吉な出来事が起こっておりました・・・