完全フィクション

実在する人物・団体とは一切かかわりがありません。

IDECOの改悪

2025-02-13 13:18:18 | 日記
IDECOの改悪は、「財務省が思いついたらなんでもありか?」っていうインパクトが強いんじゃないか?
「老後のためにやれ」と言いながら、今度は「やったひととやってないひとの差が大きい」「やったひとが優遇されすぎている」って理由に改悪っていうのがね。

世の中に、後から「え?話が違うじゃん」みたいなのはたくさんある。
「ここは低層住宅地ですから高層建築物は建ちません」って言ってたのに、高層マンションが建つ
「ここは複合商業施設が計画されています」って言ってたのに、パチンコ屋が建つ
「ここは医療機関もしくは教育関係機関の予定地ですから安心です」って言ってたのに住宅地になる
後から住んだ住民が、火葬場を追い出したり、焼却施設を追い出したり、挙句の果てに幼稚園や保育園を追い出したりする

後からのゴリ押しで、なし崩しにされるっていうのが、世の中にありふれてる。だからこそ、IDECOで財務省もやりやがったな感覚になる。
実際に、今回の改悪で本当に影響のあるひとっていうのは多くないんじゃないか?
けれど、ここで黙ってると「優遇されすぎ」というあやふやな理由で、こっちの財布に手を突っ込んでカネを盗られることになるから騒ぐんだろう。

「標準医療」「標準治療」の評価を低くみるひとたち

2025-02-13 10:20:31 | 日記
※めちゃ誤解を招く表現で書き綴ってます。



「標準医療」「標準治療」っていうのを、「そんなの自分に相応しくない」「俺をバカにしてるのか」「そんなもの受けられるか」みたいな反応で受け止めるひとがいる。
『標準(standard)ってものがあるなら、「上級」「最上級」ってものもあるだろう』な勘違いでもしているのかなと思っていたのだけど、ちょっと違うっぽぃ。
標準医療ではー標準医療に限らず、医療では「できること」「できないこと」がある。それを、「自分の要求が通らないなんておかしい」「バカにしやがって!」みたいな感情で受け止める人たちが存在する。
そして、「なんでもできます」「できます」「うちならできます」ってところに流れていくのだろう。



※※ここから注文住宅を標準医療の比喩に用いるという文章になります。不愉快に感じるひとや、表現を誤解するひともいると思います。また、注文住宅に関しても、数年前の感覚で書いています。



注文住宅を建てようとすると、各HMで「できること」「できないこと」がでてくる。なけなしのカネで注文住宅を建てようとする庶民は、自分たちのなかで出来ることを求めて、各HM巡りをする。
実際に建てる段階になって「できるって言ってたのにできないと言い出した」みたいな場面は、注文住宅blog記事ではよくある。
うちは一条工務店で建てたのだけど、一条工務店を選ばなかったひとのblog記事でみるのは「注文住宅と言いながら制約が多い」「自由度が低い」「できないことが多い」というものだ。「一条ルール」と揶揄されている。
これって、「標準医療」に似ているなぁと。

「ツライから抗がん剤を減らして」「1クール短くして」「思ったより効果が出てない?だったら抗がん剤を増やして」「放射線照射をもう1クールやりたい」
「もっと鎮痛薬をだして、効かない、ネットでみたけどオピオイドっていうのが効くんでしょ。モルヒネとか使ってくれないの?」
『できない?ーバカにしてんの?』
『ネットではできるってみたのにできないなんて、もう信用できない』

注文住宅blog記事を知らないとわかりにくいけど、一条ルールも「セゾンのルール」「i-cubeのルール」が違う。それを「ネットでみたら出来てる家があった」とかね。一条ルールも、年代で変わっていて、新しくできるようになったこともあれば、以前はできたのにできなくなったこともある。

標準医療ってやつも、刷新されていくしプロトコールも変わる。新しい治療薬がでれば、治療方法も変わる。

そして、注文住宅は商品なので「多少の無理はカネで解決できる」。「できないって言ったけど、カネだせば出来るんだろ」ー「もちろんです」な世界のひとたちがいる。そんなひとたちは、医療でも「カネだせばできるんだろ?」って思っちゃうのかなぁ?
そして、「カネだせばできることを、自分たちにはできないと言った。バカしやがって!」な人種もいるんだろう。




学のない、育ちの悪い、ちょっとヤンキー入ってるような人種の価値観ー「バカにされたかどうか」ーは、本当に困る。罪日価値観の「それは差別かどうか」で物事をみるのと同様に厄介だ。

グーグルの口コミ

2025-02-13 10:06:11 | 日記
医療機関の口コミって、自分のはみたことが無いし、これからも見ることはないと思う。
けれど、周囲から聞くと「患者の一方的な勘違い」みたいなのがあって、開業医はストレスになっている。
なんていうか、患者の口コミって訂正されないよね。患者の勘違いだとか誤解だとかでも、「誤解でした、訂正します」みたいなのってない。
Aクリニックで「できないって一方的に言われた!」「納得できない」みたいなのが、Bクリニックで「なぜできないのか説明してもらえて良かった」「納得できた」ってなると、Bクリニックの評価はあがる。けど、Aクリニックでもちゃんと説明をしていても、そのときには聞く態勢じゃなかったってこともある。

「できるもの」と思い込んで最初に向かった先で「それはできません」って言われると、「拒否された,拒絶された≒バカにされた」みたいな反応をする人種がいるんだよ。そして、説明も聞かない。
ちょっと頭が冷えて、2軒目では説明を聞けるから、「納得した」とかって常識人っぽく振る舞える。

患者の一方的な感情のはけ口になっているのに、そんなことを気にしなくちゃいけないなんて、開業医は悲惨だよね。

ADHDとかASDとか

2025-02-13 09:43:29 | 日記
目の見えないひと(盲人,メクラ)に、「根性で見ろ」って言わない。
耳の不自由なひと(ツンボ,聾)に「気合でどうにかしろ」って言わない。
足の不自由なひと(いざり,かたわ)に、「気持ちの問題だ」って言わない。
でも、発達障害には「気持ちの問題だ」「根性がないからだ」「気合が足りない」って言う。
※『食物アレルギーのひとに「気持ちの問題だ、喰ってみろ」って言わない』と書こうと思ったけど、世の中にはそういうのが少なくないのでやめておいた…。

で、そういった生きづらさみたいな、発達障害を抱えていてツライことみたいな、そういうのって理解しにくい。聴覚過敏や光過敏みたいなものもそうだけど、外側からわからないので伝わりにくい。
そして、発達障害も感覚過敏も、その日の状態によって「良い日」「悪い日」があるから、余計に気持ちの問題にみえてくる。
ある発達障害児の母親が子供に「〇〇ちゃんがすごく調子が良い日があるでしょ。それがみんなの普通の状態なの」って言ってたんだ。腑に落ちる言葉だけど、その言葉をお母さんが子供に言う(言える)ようになるまでには、ものすごい葛藤があったんだろう。

それらを踏まえたうえで、「発達障害って我儘じゃん」なことを感じる。
うちの子が「自閉気味の多動症」ってやつだけど、傍からみたら「わがまま」にしか見えず、その我儘は自分勝手とか他人を思いやれないのではなく、「幼稚性」という我儘で、まぁ周りは迷惑だろうなぁと。
幸いにも、いまの小学校では懐の広い子が多くて、そこまでの苦難には遭っていない。
「興味の方向が偏っていて、過集中する」って、言い換えれば「幼稚で我儘」なんだよ。

カサンドラ症候群って言葉を、大人の発達障害は気にして欲しいね。