ウクライナに限った話ではないけれど、ガイコクへの支援って「なんで、そんなに偉そうなの?」って感じることがしばしばある。
『支援してもらう』『助けてもらう』って立場っていうのは、日本人の感覚だと『支援する側に余力があれば、していただく』でみてしまう。それが、欧米圏だと「そんな支援じゃ困るよ!」「なにやってんだ、もっとちゃんと支援しろ!」「俺たち難民をバカにしてんのか!」な要求をしてくる。
「支援をしていただく」じゃなくて、「支援を要求する」という立場から、こちらをみてくる。
感覚のずれとして、欧米圏のなかでは「は?そんな要求されてもできませんけど?」って支援を断る~要求された支援に全て応える必要はないって感覚があるけれど、それが日本人とのずれじゃないか?
日本人は「できるだけ支援してあげなくちゃいけない」みたいな感覚を持っているし、「支援される側は、本当に必要なことを最低限でしか要求しない」みたいなところがある。それは日本人同士の相互支援であったり、まさに「困ったときはお互い様」というものだ。
クルド人を難民扱いで支援するとか、日本に旅行に来た人に親切にするなども、そういった日本人の感覚が根底にある。「お互い人間同士の敬意を持ち合って接しましょう」という日本人にとっては無意識にもって行動しているものだ。
それが、中国人を含めた大陸文化圏になると「持っているものをお互いに奪い合う」になっている。
こういった「日本人独自の感性や感覚」「日本人同士で成り立つ互助意識」みたいなものを、左翼系文化人,知識層,良識派と呼ばれる人たちは否定し、「日本人も国際化しよう」という。いわゆる「NOといえる日本人になろう」「要求できる日本人になろう」「ものを言う社会にしよう」という論説だ。
彼らは、自分たちが正しいことを妄信しており、決して顧みることはない。
これから日本人社会は崩壊の一途を辿ることになるのだろう。