完全フィクション

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「標準医療」「標準治療」の評価を低くみるひとたち

2025-02-13 10:20:31 | 日記
※めちゃ誤解を招く表現で書き綴ってます。



「標準医療」「標準治療」っていうのを、「そんなの自分に相応しくない」「俺をバカにしてるのか」「そんなもの受けられるか」みたいな反応で受け止めるひとがいる。
『標準(standard)ってものがあるなら、「上級」「最上級」ってものもあるだろう』な勘違いでもしているのかなと思っていたのだけど、ちょっと違うっぽぃ。
標準医療ではー標準医療に限らず、医療では「できること」「できないこと」がある。それを、「自分の要求が通らないなんておかしい」「バカにしやがって!」みたいな感情で受け止める人たちが存在する。
そして、「なんでもできます」「できます」「うちならできます」ってところに流れていくのだろう。



※※ここから注文住宅を標準医療の比喩に用いるという文章になります。不愉快に感じるひとや、表現を誤解するひともいると思います。また、注文住宅に関しても、数年前の感覚で書いています。



注文住宅を建てようとすると、各HMで「できること」「できないこと」がでてくる。なけなしのカネで注文住宅を建てようとする庶民は、自分たちのなかで出来ることを求めて、各HM巡りをする。
実際に建てる段階になって「できるって言ってたのにできないと言い出した」みたいな場面は、注文住宅blog記事ではよくある。
うちは一条工務店で建てたのだけど、一条工務店を選ばなかったひとのblog記事でみるのは「注文住宅と言いながら制約が多い」「自由度が低い」「できないことが多い」というものだ。「一条ルール」と揶揄されている。
これって、「標準医療」に似ているなぁと。

「ツライから抗がん剤を減らして」「1クール短くして」「思ったより効果が出てない?だったら抗がん剤を増やして」「放射線照射をもう1クールやりたい」
「もっと鎮痛薬をだして、効かない、ネットでみたけどオピオイドっていうのが効くんでしょ。モルヒネとか使ってくれないの?」
『できない?ーバカにしてんの?』
『ネットではできるってみたのにできないなんて、もう信用できない』

注文住宅blog記事を知らないとわかりにくいけど、一条ルールも「セゾンのルール」「i-cubeのルール」が違う。それを「ネットでみたら出来てる家があった」とかね。一条ルールも、年代で変わっていて、新しくできるようになったこともあれば、以前はできたのにできなくなったこともある。

標準医療ってやつも、刷新されていくしプロトコールも変わる。新しい治療薬がでれば、治療方法も変わる。

そして、注文住宅は商品なので「多少の無理はカネで解決できる」。「できないって言ったけど、カネだせば出来るんだろ」ー「もちろんです」な世界のひとたちがいる。そんなひとたちは、医療でも「カネだせばできるんだろ?」って思っちゃうのかなぁ?
そして、「カネだせばできることを、自分たちにはできないと言った。バカしやがって!」な人種もいるんだろう。




学のない、育ちの悪い、ちょっとヤンキー入ってるような人種の価値観ー「バカにされたかどうか」ーは、本当に困る。罪日価値観の「それは差別かどうか」で物事をみるのと同様に厄介だ。

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