起立性調節障害の説明をする際に、自律神経についての話をするんです。
「手足は、自分で動かせるよね。でも、高血圧の人が『血圧下がれ!』って思っても血圧は下がらない。『今日は食べ過ぎたなぁ』ってときに『消化管よ、いつもよりしっかり働け!』って思っても消化が良くならない。自律神経っていうのは、こっちの思っていることに関係なく、一定のルールで動いてる神経のことなんだよ」
って話をします。
そして、このあいだ、自律神経について面白い表現をみた。
【自律神経はお母さん】
家で、お母さんは頼まれなくても、朝になったら起こしてくれる。
朝に起きたらご飯ができている。
晩御飯の時間になったら晩御飯ができている。
家の掃除をしてくれている。
洗濯をして干して取り込んで畳んでくれる。
そんなお母さんに、いちいち「料理ありがとう」「掃除ありがとう」「洗濯ありがとう」って感謝しないけど、頑張ってくれる。
でも、そんなお母さんも疲れることはある。風邪をひいたり体調を崩したら、その間は炊事,洗濯,掃除ができない。
自律神経も同じで、「心臓はちゃんと動いてくれてありがとう」「運動時には早く、睡眠時にはゆっくりと動いてくれてありがとう」「食べて呑み込んだ後は、任せてしまうけどありがとう」「おしっこに行きたくなるようにしてくれたり、疲れたら眠くなるようにしてくれて助かってる」って感謝されないけど、無言で頑張ってる。頑張ってるけど、やっぱり疲れるときはある。毎日、無言で頑張ってる自律神経だって、疲れたらうまく働かなくなる時がある。それを【自律神経失調症】っていうし、その症状の表れ方のひとつが『起立性調節障害』なんだ。
でもさ、この説明って、すごく昭和な価値観で、フェミに叩かれそうで、更に言うと患者家庭によっては地雷を踏みぬく!
ローソンの「お母さん食堂」をぶっ潰したキチフェミならば、「なんで家庭の自律神経がお母さんなんですか!お父さんでも良いじゃないですか。女性差別です、家庭の男女の役割を性差別的偏見で振り分けようとしています!」ってヒスに言い出しそう。
そして、患者(患児)のご家庭によっては、お母さんが機能していないことが原因だったりとか、お母さんと子供の確執が原因だったりとか、いろいろある。お父さんが不倫していて、お母さんがブチ切れて母親と言う役割を放棄して、そのメンタルストレスで子供がぶっ壊れるとかっていうのはよくある話。
「自律神経は家庭のお母さん」な比喩表現って、かなり地雷だよなぁという話でした。
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