【臓器移植の社会的合意を促進させるのって正しいの?】
読売新聞がしばしば「日本も海外と同水準の臓器移植を目指そう」な記事をあげる。めちゃあからさまにではないけれど、「お気軽に臓器移植のできる社会」を目指していることは伝わる。表現を丁寧にするならば
『臓器移植の社会的合意を促進させるキャンペーン』
ってやつだ。
乱暴に言えば「まぁ、とりあえず移植同意カードを作って同意にチェックしてこうよ」みたいな感じで、「どうせあなたは死んじゃってるんだし大丈夫。遺族だってあなたが同意カードを持っていれば悩まなくて済むし面倒が減るよ」なことを手を変え品を変え言葉を尽くして迫ってくる。
それって正しいのか?
「臓器移植は正しい行為だから、それを促進するのは善意だ」と思い込んでいないだろうか?
LGBTを持て囃すひとたちが、思春期の少年少女に外科手術を伴う性転換を勧めることがある。
未成年の女児に乳房切除を勧め、未成年の男児に陰茎切除を勧める。そして、それら外科手術を行った少年少女を意識の高く勇敢な行為を行った人間として讃美するのだー善意をもって。さて、臓器移植カードへの記入を勧め、臓器提供への同意をしたひとを讃美する行為は、これらの行為に似ていないだろうか?
思春期の少年少女には「自分ではない誰か」への憧れや変身願望がある。幼いころに戦隊ヒーローやプリキュアに憧れていたように、仮面ライダーに変身したかったりセーラームーンになりたかったように、憧れに成り代わりたい。イチロー,カズ,ヒデ,大谷になりたかったように、アイドル歌手になりたかったように、自分ではない誰かになりたい。
いまの自分ではない誰かになって振る舞いたいー男装女子に、女装男子になるように、現実の自分ではない誰かになりたい。そんな女装男子に「あなたはLGBTです」と、男装女子に「あなたはLGBTです」と囁き、外科的な手術を促すことを善意と捉えることができるだろうか。
「とりあえず移植同意カードに記入してみよう」と唆すのは、同様の行為ではないか?
「海外の水準に近づけることが正しい」のならば、性転換手術も大麻も海外の水準に近づけることが正しいというのだろうか。
臓器移植を推進する集団は、まだ意思決定のできない中学生を対象に道徳の時間などを利用して、意思決定を促す企みがあるというーまるでカルト宗教じゃないか。
理論武装し、情に訴え、彼らの倫理観を未成年に刷り込もうとする…臓器移植カルトに恐ろしいものを感じる。
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