わんわんらっぱー

DIYやオーディオから社会問題までいろいろ書きます。

ゼーガペインADP(劇場版)のレンタルが2017年2月24日から開始!

2017-02-25 20:21:46 | アニメ
ゼーガペインADP [Blu-ray]
バンダイビジュアル

 2016年に2週間だけ上映されたゼーガペインADP(劇場版)レンタルが本日2017年2月24日から開始になった。ゼーガペインADPはまだ観ていないが、TV版の総集編ではなくて、オリジナルの内容のようである。
 ゼーガペイン最大の功績は「高度なSF設定内容のアニメファン層を広く開拓した」という点にあるだろう。学園物として現実世界との設定を濃厚に残している点は、数多のハードSFとは違い保守的に見えるが、現実と見せかけた非現実=仮想的世界を守護すべく、登場人物達が苦闘するという設定を、ある程度違和感なく表現したという点は最大限評価されてしかるべきだ。
 後続のアニメーションへの影響も大きいと推測される。シリーズ脚本を務めた関島眞頼氏は、新房監督の「コゼッタの肖像」の脚本も担当している。一時期は新房監督と二人三脚だったようだ。
 2011年にヒットした「魔法少女まどか☆マギカ」において、新房監督は直接には「コゼッタの肖像」を下敷きにしたと表明している。ダーク・ファンタジーものとしてのカテゴリーとすれば、確かにそうのなのかもしれないが、タイムループ物としては、関島脚本のゼーガペインの影響があると考えてしかるべきだろう。
 まどか☆マギカのシリーズ脚本を手掛けた虚淵玄氏は「魔法少女リリカルなのは」(
新房監督・2004年)の存在を述べているが、私は「未来日記」(2006-2011)の影響もあると推測する。
 古くは「時をかける少女」という存在があるとは言え、タイムループ物として確固たる地位を築いたゼーガペインが切り開いた新天地あっての「まどか☆マギカ」だと考えられる。「Re:ゼロから始める異世界生活」(2016年)・「僕だけがいない街」(2016年)なども同じカテゴリーに入る。

以下、2007年に私が書いた、TV版ゼーガペインに関するとても恥ずかしい感想文。超ネタばれ。

○1998年当時はカウボーイビバップに埋もれてしまったけれども、キラリと光るコミカルSFアニメ星方武侠アウトロースター

サンライズは1998年に似たようなSFアニメを発表します。一つはカウボーイビバップ、もう一つは星方武侠アウトロースター。2作品とも中国文化圏が標準になっており、賞金稼ぎが宇宙船で星から星へと旅をして、個性の強い仲間達とあれこれ騒動を起こすという共通点があります。

 カウボーイビバップはシリアスな作風でキャラクターのかっこよさや気の強さを演出して、アウトロースターは陽気で豪胆なジーン・スターウインドと人工生命体で存在の希薄なメルフィナとを主軸に話しが進みます。

 カウボーイビバップは知名度も高く、DVDも売れましたが、アウトロースターはアニメマニアなら知る人ぞ知るという浸透具合でした。本郷みつる監督自ら手がけたパースのかかった宇宙船の戦闘シーンは独特な作風で印象深いものでした。一方、SF設定がかなりマニアックで、XGP-15A2・アウトロースター号を制御するのは人工生命体のメルフィナと補助の人工知能のギリアムⅡ、操縦に当たるジーン・スターウインド、コンピューターサポートのジム・ホーキングといった具合です。人工知能のギリアムⅡは最速グラップラーシップとしての自尊心はありますが自らの存在に対する悩みもないのですが、メルフィナは最後まで自分の存在を問いつづけます。

○ゼーガペインを育んだアウトロースター

 アウトロースターは終盤にマクドゥーガル兄弟の生体バックアップのようなものが出てきます。生命体のコピー設定は古くは宇宙海賊キャプテンハーロックに出てくる女王ラフレシアが演じています。ラフレシアは単純コピーですが、アウトロースターの場合は意識を移し変える器としての生体バックアップです。映画「マトリクス」のようなものでしょう。

 ゼーガペインは更に設定を進めて、量子コンピューター内部に生体データを含めた都市まるごとバックアップを実現しています。生命体を量子コンピューターに量子テレポーションし、データ状態にしたと言えます。

 量子コンピューターとは粒子「A」のスピンを「B」へ転送するという動作原理を用いたものです。量子テレポーテーションでは「相関のある状態の組」を測定して送信側から受信側に先んじて転送を行い、受信側がその情報に基づいて量子力学的操作をすることで初めて送られた状態が再現します。

「相関のある状態の組」を量子もつれ(りょうしもつれ、Quantum entanglement)と言います。

ゼーガペイン作中ではオケアノス(戦艦)やゼーガ(モビルスーツのようなもの)へのダウンロードする際に搭乗員は「エンタングル!」と叫ぶわけですが、これはクオンタム・エンタングルメントから来ているようです。

 アウトロースターでは量子力学的な説明はなく、物語の設定上「マクドゥーガル兄弟の生体バックアップ」が出てくるだけですが、この設定を極大化して再構築したものがゼーガペインと言えます。両作品共に原案者は伊東岳彦であり、赤毛ツンツンで前向きで奔放な性格主人公を据え、ヒロインは共に人工生命体で声優は川澄綾子を起用、そして新居昭乃の歌うオープニングやエンディングなどと共通点は2作品に数多く見られます。

○複雑なSF設定を盛り込んだゼーガペインが語るものとは?

 ゼーガペインは学校と戦場を相互に行き来するというスーパーロボットアニメ時代から営々と続く黄金律パターンを用いておりまして、SF設定について深く考えることなく見ることができます。学校をベースに物語を立てて行くのは、視聴者にSF設定の違和感を無くして見てもらうための標準スタイルです。

『ゼーガペイン』の非公式ファンサイト

http://mania.sakura.ne.jp/zegapain/index.php?TopPage

↑を読んでみると、SF考証的には御都合主義なところもありますが、説明がされていなかったりする部分は解釈の余地があるので、侃々諤々の議論を呼んでいるようです。一つ一つを考証して製作者込めた意図をさぐっていくのも楽しいかもしれません。

 ゼーガペインとは「偉大なる痛み」を意味します。タイトルの通り、この作品は見ている者に痛みを強いるかもしれません。それは登場人物が作中で苦しむ様を見て、自分の辛い学校経験や失恋などのフィードバック作用をもたらし、更には胸元に鋭く自己存在について問われるからです。

 ゼーガペインの量子サーバーは5カ月ごとにループしますが、我々有機生命体は一期一会の限られた時と空間で、人と人がエンタングルしていることを痛切に感じさせるのです。

 私は若い人達にぜひともゼーガペインを見てもらって痛みを感じ、自己の存在を問うて欲しいと思います。人は究極には「我思う、ゆえに我あり」なのであって、痛みを感じることによって自分の存在を認識します。そして、「他者」と「私」、「意識」と「体」、全て一方だけでは成り立たちません。自分が存在することを確かめる、そして存在し続けるには、「他者」が必要なのです。ゼーガペイン作中にでてくる「色即是空空即是色」は、「物質は絶えず変化し実体がないのだから五感に拘わるな」という意味でありまして、量子力学でいう「粒子と波動の二重性」と同じ体を表すそうです。仏教では物質は空間を占め、意識は時間を占めるという思想でありまして、固定観念・先入観を排除し、「空の思想」によってさまざまな縁によって生かされ生きているという自己の存在に気づけということのようです。つまり、ゼーガペインは一見すると、ジュブナイルアニメーションでありながら、人の存在と認識を問いかける哲学映像作品でもあるのです。

 余談ですが、ゼーガペインの量子サーバーは千葉県の舞浜をシミュレートしていますが、奇しくも最終回放送日に東京駅の配電盤で故障が発生して舞浜の電車が止まりました。作品を注視していた人達は何か因縁めいたものを感じたようです。
ゼーガペイン 10th ANNIVERSARY BOX [Blu-ray]
バンダイビジュアル

アニメ『純潔のマリア』が語る神からの自由-相反する戦争動員と幸福追求-

2017-02-23 18:20:45 | アニメ
純潔のマリア ・ MARIA THE VIRGIN WITCH: THE COMPLETE SERIES
Funimation

『もやしもん』の石川雅之原作の『純潔のマリア』がアニメ化された。
シリーズ構成は『今、そこにいる僕』の倉田英之氏。
監督は『ガサラキ』『無限のリヴァイアス』『コードギアス 反逆のルルーシュ』の谷口悟朗氏。
谷口監督は『ガサラキ』では助監督となっているが、実質的には監督だったとされる(要検証)。
現実社会を描写しながら米国批判を展開したアニメは主として『ガサラキ』1998年(高橋良輔監督・谷口悟朗助監督)、『FLAG』2006年(高橋良輔監督)、ブラック・ジャック (OVA)カルテIII 「マリア達の勲章」(出崎統監督)とされている。
『無限のリヴァイアス』1999年、トマス・ホッブズ1651年のリヴァイアサンを土台にした小説「蝿の王」を宇宙へ舞台を移した内容である。秩序が失われていくなかで狂気が蔓延していく少年少女の心理を赤裸々に描写した話題作である。
『コードギアス』2006/2008年はピカレスク・ロマン作品であるが、ファンタジー色に包みながらも軍事占領下された日本の屈辱的惨状を描くことを通じて、現代日本社会の隠喩とした。
仮にアニメ思想史なるものがあるとすれば、谷口監督は極めて枢要な人物である。その谷口氏が挑んだ新作が『純潔のマリア』(2015年)である。

1.どこが『純潔のマリア』の凄いところなのか。
 『無限のリヴァイアス』は秩序の崩壊や個人の深い心理描写を、アニメ上で行った。基本的にアニメはマスマーケットを狙って製作され、基本的には子供向けである。ゆえに表現への抑制という事が常に働くわけだが、その殻を打ち破り、作家性を強く前面に押し出した。これは黒田洋介氏や倉田英之氏が所属しているスタジオオルフェが大きな役割を担った。
 『純潔のマリア』の凄みは、『コードギアス』が持っていたような大衆受けする要素で装飾しながら、キリスト教が内在する欠点を改めて提示したところにある。アニメ作品としても、早い物語展開、実力派声優陣、表情多彩なキャラクター、丁寧な動画描写、中世舞台戦闘のリアリティ、重厚な風景美術・建物描写など、傑出して素晴らしい。
 『コードギアス』は学園生活を基盤において話が進むが、『純潔のマリア』は「使い魔」や他の魔女とセクシャルジョーク交わしながら話が進む。基本的には魔女マリアと領主の侍従ジョゼフのラブロマンスである。一方では「教会支配を受ける村民」「天の教会」「地上の教会」「戦争に明け暮れる領主」「その傭兵団」とは、戦争に魔術を用いて強制的に介入して戦闘終結をさせるマリアと相容れない点がある。
 天の教会は地上の戦乱には介入しないどころか、戦争を平定しようと魔力介入するマリアを懲罰する。
天使ミカエルが言う所の『システムは維持されなければならない。秩序は保たれなければならない。どんな犠牲を払ってでも。そしてルールは絶対であり、すべての者はそれに頭を垂れよ』という事である。同様に当時の封建的カースト制度は神によって定められ、基本的に『その身分に生まれたのならば、それに従いなさい』という秩序維持を基盤とした。当時の人々は”Great Chain of Being”というものを信じていので、傭兵ガルファの上昇志向自体が咎め立てされる時代背景があった。
地上の教会は戦争動員を行う。村民は強制動員され、王の歓心を買いたい領主は戦争へ深く介入する。カネで雇われた傭兵団は利益最大化を狙う。
 村民は重税と兵役を担い、傭兵団に略奪される対象となる。国王命令で平民からの徴兵が行われ始めた時期でもあり、戦争へ狩り出されて落命する危険もある。マリアは村民を救うためにも東奔西走するが、地上の教会は村民とマリアの絆を断つために計略を行う。
本作は当時の風俗や戦闘を丹念に描写し尽くしている。そして、暗い歴史を水に流す事無く、宗教に対しても手加減をしない。確固として宗教が人に対していかに酷くなれるのかを描ききった。但し、天の教会の意志を体現するミカエルがその地位を揺るがせにされることは無かったし、終盤で自らが笑顔を見せることにより自由意志が内在している事も示した。作品総体として神の概念に対する根底からの否定を行う事はなく、絶対的な神の存在を否定したベルナールは塩にされてしまった。ただ、キリスト教に対して無関心な層に対して、宗教的なる思想の押し付けに対して疑義を抱かせるには充分な内容であり、程よい落とし所を狙った物語構成であったと言える。
魔術(witchcraft)の大半は単なる伝統的な療法や土着の多神教に伝わる儀式である。作中には北欧神話のヴァルキリー、ケルト神話のタラニス、ケルヌンノスが登場する。その存在が希薄化しつつあるケルヌンノスが魔女達の行く末を象徴している。ケルヌンノスは魔女や魔術は人々から忘れられれば消えてしまう未来を予見している。本作は近代の宗教と古代の神話の重複と変遷を描いたのである。

2.ベルナールの神学論争
 なにしろ、『純潔のマリア』のオープニング曲は「Philosophy of Dear World」である。宗教が内在する問題点を描写しつつ、人が自発的意志で判断を行い、人間の実存を中心におく実存主義への脱皮が、司祭ベルナールによって模索される。
 作中において魔女の間でジャンヌ・ダルクの死が語られる。時系列で見ると、本作の時代設定はジャンヌの死(1431年)から100年戦争の終結(1453年)の間となる。
トマス・アクィナス(1274年没)よりは後であり、グーテンベルグ聖書の出版(1455年)や宗教改革(1517年)よりは前となる。
この頃、最も著名なプロテスタントのマルティン・ルター(1483-1546年)は生まれていない。
14世紀のイギリスオクスフォード大学教授のウィクリフ、15世紀のプラハ大学教授のフス、15世紀末フィレンツェで改革を行ったサヴォナローラなど宗教改革の前段階でも教会改革者はいたが、カトリック教会により異端の烙印を押され、火刑にされてしまっている。
ヴィッテンベルク大学の神学教授だったマルティン=ルターは贖宥状販売を批判し、ローマ教皇から破門される。後に「キリスト者の自由」、「ドイツ国民のキリスト教貴族に与う」、「教会のバビロン捕囚」の三冊を著し支持者を集める。そして、ルターはラテン語で記されていた聖書をドイツ語に翻訳し、活版印刷技術により、広く人々が聖書を読む機会を与えた。
ルター派はプロテスタント(抗議者)と言われるようになった。1555年にアウグスブルクの宗教和議が結ばれ、諸侯にルター派かカトリック派かの選択をする権利が与えられた。後にカトリック以外の宗派をプロテスタントと呼ぶようになる。
つまり、『純潔のマリア』の時代の中央もしくは西ヨーロッパのキリスト教信者であるなら、ローマカトリック信者であるという事になる。

 マリアは自らの信ずるところにより、魔術を行使して戦闘を停止させ、薬の知識を活かして疫病を抑止して村民を救った。しかし、マリアはベルナール司祭の謀略により、村民との絆をズタズタにされ、収監されてしまう。それでもなお、「人が酷い事にあって死ぬ事を神の摂理として受容しない。どこにでもいるのに言葉しかくれない神なんて、居ないのと同じだわ」と述べた。信念を揺るがせにしないマリアに対して、ベルナールは自発的意志の存在を認め、神の存在証明を推論する。
ベルナールは最初に世界に神がいないと仮定した。トマス・アクィナス(Thomas Aquinas, 1225年頃 - 1274年3月7日)の証明を用いた。しかし、宇宙を創造したとする神がいないと仮定すると、宇宙も存在せず、規則性も保たれず、善悪の比較でもできない。
 次に後期スコラ学を代表する神学者ウィリアム・オッカム(1285- 1347年)の理論を思い出す。人間の理論は厳密に原因と結果が要求されるが神は原因と結果によって束縛されない。よって『人間の理性は神の存在を証明出来ない』。
 ベルナールは「神を疑い、疑い尽くした後で残った物が真の信仰になる。」と述べ、普遍を無いものとし、
"Esse est Deus"『私の認識こそが(神の)存在』と結論づける。
 認識と存在は自身によって、自由意志によって自分を救う。繁栄を幸福、魂の安寧を求め、神は我々の認識によって存在する。そうなれば、世界は神から人へ、信仰の調和が保たれる。ここでベルナールはデカルトの実存主義へと到達する。
 マリアは「まずは一人で立ち上がること。」と返答している。
ベルナールの討議の落としどころは理神論者的立場で、神は人間の自由意志をコントロールしないと規定し、我々が人間に対して責任を負わねばならないと結論づけた。


3.世は宗教戦争真っ盛り
(参考)「米同時テロとイスラム:米は聖地犯す「新十字軍」」
http://www.james1985.org/topics/september_11/usuki02.html
『何よりもビンラーディンにとって許し難かったことは、米軍やイスラエル軍の空爆によってイラク、ボスニア、パレスチナ、レバノンなどの無実のムスリムが無差別に殺されても、国際社会は一部を除いて米軍の殺戮行為を黙認していたことにあった。ムスリムは米軍から見れば虫けら同然だという怒りを「アメリカへのジハード」の中で記している。ビンラーディンにとって今回のニューヨークの無差別殺戮はその復讐ということになる。 』
転載終わり

 本作を通じて考えてもらいたいのは、宗教を通じた戦争動員である。中東では数百万の難民が発生している。この原因は平たく言えば、ユダヤ・キリスト・イスラムの宗教戦争である。歴史的経緯を辿れば英米の国家的策謀で中東の戦乱が巻き起こされているが、実際に人民を戦争へ動員するためは宗教が使われている。ジョージ・ブッシュ大統領はイラク戦争を「新十字軍」と表現した。
 日本でも神道連盟をバックボーンした日本会議と日本会議に連なる国会議員によって戦争遂行のための法整備がなされている。
 彼らは単に戦争を権力や富の源泉として利用しているだけである。人民を意図的に経済的苦境に追い込んで自発的兵役へと追い込み、憲法を破壊して、かつての王権のように絶対的権力を掌握しようとしている。
 我々は近代から中世へ逆戻りさせようとする勢力と対峙しなくてはならない。本作は誰にでも分かりやすく、古き時代の暴虐性を知る機会を与える素晴らしい作品である。多くの人達に見てもらい、我々が今なにをするべきか、考慮し実践する契機となれば幸いである。
純潔のマリア I <特装限定版> [Blu-ray]
バンダイビジュアル

「ユーリ!!! on ICE」軽やかに展開する現代版スポ根ものアニメ

2017-02-23 17:41:02 | アニメ
【Amazon.co.jp限定】ユーリ!!! on ICE 3 (全巻購入特典:「久保ミツロウ描き下ろしマンガ(メーカー特典)」+「アニメ描き下ろしアクリルスタンド6セット」引換シリアルコード付) [Blu-ray]
エイベックス・ピクチャーズ

 ネタをどんどんぶち込まないと、閲覧者が増えないので、アニメの感想も行っていきたい。2016年秋アニメからどんどん行こう!

「ユーリ!!! on ICE」が話題になっている。一巻目の円盤売上が7万枚を超えたという。
製作スタジオは「坂道のアポロン」「この世界の片隅に」「残響のテロル」などの作品を産み出してきたMAPPA。
MAPPAは丸山正雄氏がマッドハウスから独立して設立したスタジオである。現在丸山正雄氏は会長職。

 「ユーリ!!! on ICE」は基本的にはスポーツ根性アニメだが、ど根性を前面に出した昔の作品とは違い、今風の軽い物語展開となっている。日本のトップスケーター勝生勇利が日本中の期待を背負って挑んだグランプリファイナルで惨敗し、故郷に帰り、実家の温泉で今後の進退を考えているところに、世界王者ヴィクトル・ニキフォロフがコーチとしてやってくる・・・というあり得ないぶっ飛んだ設定で始まる。
 日本アニメ界でトップセールスを叩き出した本作は、BoysLove要素にお姉さま方が食いついたというのもあるのだろうが、映像美や緻密な動画表現など、本来のアニメーションが持っている総合芸術としての高い表現力が評価された結果と言える。
 フィギュアスケートという動いて動いて動きまくる動画を手書きで書くという狂気の産物が、「ユーリ!!! on ICE」である。アニメーターが殉職しているのではないかと心配するほどに丁寧に動画が作りこんである。かと言って今どき流行りの3Dモデリングではない。顔の表情を見ていると分かるが、すべて手書きである。恐らく日本アニメ独特の「ため」表現などを使って、等速動画とは違う力強さを演出していると思われる。
 
 スケートの様にストーリー展開も速く、15歳のユーリ・プリセツキーが練習中に4回転ジャンプをこなすと、コーチが「体の成長がー」とたしなめる。この間、おおよそ10秒程度のエピソードだが、昔のスポ根アニメなら、その一件だけで1話使うだろう。
 個性的なライバルの性格は背景も短時間でできるだけ詳細に描き出そうとしている。1クールなのに、1回の個人的競技と4回の大会が争われる。氏主役級と脇役ではスケーティングの描写の緻密さにおいて、強弱はあるものの、総じて圧倒的な動画密度で、最後まで駆け抜ける。私はただ単に見ているの人間だが、それでも度肝を抜かれた。アニメ業界関係者は更にぶったまげたに違いない。

 私個人はスケートは殆どできない。ヨロヨロ滑るのが関の山である。であるので、4回転ジャンプとかこなすのを見ていると、宇宙人の所業としか思えない。それ以前にフィギュアスケート自体にあまり興味が無かった。どういう仕組なのか、そもそもなんであんなに手や足を振っているのかとか意味不明だったが、要は氷上回転式ダンスなのである。回転を競う部分が強いのだが、基礎にあるのはダンスである。だから、手や足を使った演出に凝りまくっているのである。アニメならでは脚色や説明、プロ解説者によるナレーションなどによって、誰でもフィギュアスケートを楽しんで見れるようにした、ということが本作の最大の成果なのかもしれない。
ユーリ!!! on ICE 1(スペシャルイベント優先販売申込券付き) [DVD]
エイベックス・ピクチャーズ

新海誠監督「日本のアニメは韓国の作画スタジオと切り離せなく、韓国のスタジオがなければ一本のアニメを作ることが困難で大きな部分を韓国に担ってもらっている」と語った。

2017-02-14 08:14:27 | アニメ
劇場アニメーション『星を追う子ども』 [Blu-ray]
監督新海誠 主演金元寿子
メディアファクトリー


 新海監督が2月9日SBSの番組に出演した際の
「僕たちは本当に近くに住んでいて、隣の国に住んでいて、いろんな価値観を共有していると思うんですね。韓国の皆さんがおいしいと思うもの、美しいと思うものって、同じように美しいもの。同じように、僕たちが楽しいと思う映画は、韓国の人にとっても楽しんでもらえるという自信を今回とてもいただきました」
という発言に注目が集まっている。

加えて
「10年前から僕のスタジオにはメインスタッフのひとりとして、韓国人の女の子がいてくれています。あと、日本のアニメーションそのものが韓国の作画のスタジオとは切り離せないというか、韓国のスタジオがなければ一本のアニメーションを作ることが困難です。大きな部分を韓国に担っていただいています」
とも発言し、日本のアニメーションが韓国の制作現場との共労関係にあることを示した。

私は「君の名は。」はまだ観ていない。
個人的には新海作品では宮崎駿的演出全開で金元寿子さんの魅力ある声に彩られた「星を追う子ども」(Children who Chase Lost Voices from Deep Below)がお気に入りである。
明日菜の母 声 - 折笠富美子
森崎 リサ 声 - 島本須美
と脇役を実力派で固めているのも、声優オタクとしては嬉しいポイントだ。

 1960年代から日本のアニメーターが育成のために韓国に渡り指導を行ってきたとされる。
1995年に私がソウルに行ったときには、日本アニメは公的には禁止されていたが、露天商達は宮崎アニメのパッケージを並べて販売していた。宮崎アニメのムック本も並んでいた。大手書店では「ウィンダリア」だけが置いてあった。物語の内容は南北対立を隠喩している訳ではないのだが、韓国側としては「販売しても良い」と考えたのだろう。

 ジャパニメーション自体が日中韓三国同盟で成立している側面があり、文化を通じた交流によって、より良き関係を築くことが出来れば良いと思う。


参考
http://blog.esuteru.com/archives/20009345.html


新海 誠Walker ウォーカームック
KADOKAWA/角川マガジンズ


新海誠監督「私たちは本当に近い隣国で住んでいるし、さまざまな価値観を共有している。韓国人が美味しいと思うもの、美しいと思うものは、私たち(日本人)にとっても同じように美味しいし、美しい。」

2017-02-11 19:08:33 | アニメ
劇場アニメーション 『言の葉の庭』 (サウンドトラックCD付) [Blu-ray]
監督新海誠
東宝



参考:新海誠監督、「日韓はいろんな価値観を共有」
http://woman.infoseek.co.jp/news/k-pop/sports_seoul_21760
記事によると、
新海誠監督が、韓国の地上波番組に出演し
・韓国で好調な「君の名は。」の興行成績について「こんなに多くの方が劇場に足を運んでくださるなんて今でも信じられない」と感想を伝え、
「私たちは本当に近い隣国で住んでいるし、さまざまな価値観を共有している。韓国人が美味しいと思うもの、美しいと思うものは、私たち(日本人)にとっても同じように美味しいし、美しい。同じく、私たちが面白いと思って作った映画が、韓国の方々にも楽しく見てもらえるという自信を持つようになった」と語った。

「君の名は。」は韓国で観客動員数350万人を突破した。

アニメーションなどを通じた文化交流はジョセフ・ナイの言うところの「ソフトパワー」の一種である。新海誠監督の狙いは国境を超えた共感であり、文化を通じた連帯である。ゆえに本当の意味で、より良い関係構築を願う「ソフトなパワー」である。