SMILEY SMILE

たましいを、
下げないように…

自信のなさ (改)

2005-03-19 17:48:44 | 
昭和15年の太宰のエッセイ「自信の無さ」

同じ朝日新聞の文芸時評で現代の新人について、しかも太宰の作品を例
に挙げて、
「今の新人はその基本作因に自信がなく、ぐらついている」
と指摘されたことの反論として掲載されたようです。
反論といってもこの頃の太宰さんはもう30になり少し大人になってな
す。かつて川端康成に「刺す」と言った無頼さ加減は影を潜めています。

「けれども私たちは、自信を持つことが出来ません。どうしたのでしょ
う。私たちは、決して怠けてなど居りません。無頼の生活もして居りま
せん。ひそかに読書もしている筈であります。けれども、努力と共に、
いよいよ自信が無くなります。」

実際、太宰は再婚をし、つつましい「小市民生活」をし、この年「走れ
メロス」「駈込み訴え」「春の盗賊」などの中期の傑作を生み出してま
す。そんな太宰はこう、この文を結びます。

「今は大過渡期だと思います。私たちは、当分、自信の無さから、のが
れる事は出来ません。・・・私たちはこの「自信の無さ」を大事にした
いと思います。卑屈の克服で無しに、卑屈の素直な肯定の中から、前
例のない見事な花の咲くことを、私は祈念しています。」

文化という言葉にハニカミとルビを振る太宰のこの感覚を私は受け継ぎ
たいと思う。

克服でなしに、肯定から。
これが大事なんじゃないか。
弱いところは直さなきゃ、と思うのが普通。
でも、それは、それでいいじゃん、と言ってしまう。
そして、前例のない花を咲かせようとする理想を抱く。
甘い、と言えばそれまで、でも、この態度で臨むのが自分にとって、
「真っ当」だと思う。


イスパハン頌

2005-03-19 13:56:46 | 
ピンク色の海で泳ぐ

どこかでトロンボーンの音が聞こえる

イソギンチャクが眠る

蕩ける紫に呑み込まれ

笑う

聖諦の二文字に惑わされ

僕は待っている

上昇、下降

思うがまま

身ごもった桃を

温めるか

捻り潰すか

指先が決めること

雑音、雑音

放っておいてくれ!

構ってくれよぉ!

ピンクが僕を犯す

されるがまま

弄ばれ

知らない顔して、風に吹かれている

裸眼では何も見えないくせに

薔薇の花束を振りかざす

知らん顔で、おしゃべりする

意味のない、お喋りする

水槽では綺麗な包み紙のキャラメルが

フランボワーズマカロンを餌に

ライチとワルツを踊る

わかった、わかった

いいんだよ

いいんだよ








いいんだよってば!









エヴァンスの弾き方

2005-03-19 05:15:04 | ビルエヴァンス
祈るようにピアノを弾くエヴァンスの姿。

ここまでピアノという楽器と向き合っている姿というのも珍しいので

はないだろうか。

ピアニストは自分の楽器を持ち歩くことが出来ない。

その場その場で、毎回のように違うピアノと付き合わなければいけな

い。だからこそ、ピアニストは異常なほどピアノの状態に気を使うの

だろう。

エヴァンスは、ピアノに入りこむように弾く。

出来る限り近くで、今鳴っている音を聴き取ろうとしているようにも

見える。

ピアノとエヴァンスが一体化している。

この状態になるのはスローな曲になればなるほど顕著だ。

そこには、ピアノと一対一で対話をしている姿がある。

我々聴衆の入る隙は、ない。

これを、自己的、利己的だとか閉鎖的ナルシシズムだという人がいる。

確かにそうかもしれない。彼自身、かなりの個人主義者だったようだ。

しかし、それだからこそ、彼にしか出し得ない音があり、

マイルスをして、

「ビルは、ピアノはこう弾くものなんだ、というように弾くんだ」

と言わしめたのだろう。

私は、勿論、彼のライヴを聴きに行ったことはないが、残された映像

を見る限りでは、違和感を禁じえない。

エヴァンスはひとりで聴くもの、という固定観念、先入観がある。

エヴァンスを聴く。

これは、前の記事にもあったけれど、彼が部屋に籠もって弾いている姿

を、ドアの隙間から盗み聴きしているようなそんな、密かな愉しみでも

あるような気がする。




ノスタルジー?

2005-03-18 15:07:20 | 
懐かしさ、郷愁という感覚は、

今の自分のこの「生」、だけじゃないと思う。

積み重ねられてきた、人間の人類の「生」

思い出

記憶



言ってみれば何十億年もの前、生物が生まれたときからの記憶に遡る

のかもしれない。




でなければ、

この切なさは、いったいどう説明がつけられるというのだろう。

悲しいときに聴く曲

2005-03-18 04:57:24 | ビルエヴァンス
すぐに思い浮かんだのが、

エヴァンスの

「WHAT KIND OF FOOL AM I?」

(『The Solo Sessions, Vol. 1・2』または、

 『The Complete Riverside Recordings 』 DISC-10・11 所収)

63年1月録音だったのか・・・。62年1月くらいだと思ってた。

62年には『アンダーカレント』や『ムーンビームス』、『ハウ・マイ・

ハート・シングス』を録っている。

この年の春頃にようやく、ラファロの事故死から立ち直りつつあるよう

に感じられる。

リバーサイドに残した最後の作品は結局、お蔵入りのまま、彼の死後

まで陽の目を見なかった。あまりに生々しいので作品として発表する

のがはばかれたのでは?とも思う。


ここには、素のエヴァンスがいる。

赤裸々なひとりの芸術家の魂が露わになっている。

部屋に籠って一心不乱に弾いている彼の姿が、思い浮かぶ。


私が20代前半のとき、殊更よく聴いていた。

酒を飲みながら、「ダメな僕」のやりきれなさに浸るために・・・。

特に、「WHAT KIND OF FOOL AM I?」

エヴァンスは僕の為に弾いてくれているんだ、なんて甘ったれたこと

を考えていたのかもしれない。





定期

2005-03-16 18:31:10 | 
定期券、2月の24日で切れたまま、新しい路線で更新しないいまま

にしておいた。

そして先日新しく更新した。

スイカのカードはここ数年同じだった区間が急に変更されたので、困惑

気味だった、印刷面がぼやけている。



今までの定期が切れたとき、少し泣いた。

終わったのだ、と実感が沸いた。



そして、新しく定期も更新。

さらりと新しくなった。

少しは前に、進めるかしら。


自己との対話

2005-03-16 15:23:22 | 
のほほん顔してても、幾つもの仮面を被ってるのかな?

アルコールで麻痺させて、一枚ずつ剥ぎとってゆく

ホントの自分なんてのはありもしないことを知りながら

自分から逃れる

自分になる

いづこへ?

さよならして、すぐまた出会う

解放して

介抱してもらう

解法なのかは知らない

快方には向う

開放して空気を入れても

海宝は奥深く

快報は未だ・・・




コニャックの琥珀と

ブライアン・ウィルソンの魔法に融けて

桃源郷の夢を見る

天皇を倫理の儀表に置く、アナキズム風の・・・




かるみ


ふらふらと歩みは

ぬかるみへ、また、

アフリカへ旅立つ、フィナーレへ

鋭い銃声に恋をするような


そんな気にもなるのかなんて


wonderful!!


softly


クモヲツカム

雲を蜘蛛を、掴む

ベランダに出ると、真白な富士が

蜘蛛がするりと逃げ出す

泣く泣く、雲を千切り、食べ散らかす



答えのない問い



大地を掴む

タンバリンの音

王冠は誰の手に?


化学反応
実験結果


あなたは眠っているの?


ねこが顔を洗う





黄金風景をあなたは見たことがある?


懐かしい感覚が甦る
生々しく


あなたもそこにいたはず


蠢く
見えないものたちが
ぬたりぬたり

耳を澄ませてみて、

万物が僕にあいさつをする
こんにちは
ニイハオ、ニイハオ

お目に掛かれて光栄です

次は何処で?

「あの世で」

そして僕は、

サインを消した











酒と自殺

2005-03-11 02:46:19 | 太宰
酒を呑む、酔うということは、少なからず現実逃避の一手段で、ある種

緩慢な自殺行為だと言える。自我を殺す、アルコールによって、自分か

ら遠ざかろうとする、自意識から逃れる、麻痺の悦び。


しかし太宰さんは、死ぬときは素面で死ぬんだと平生から言っていた

そうだ。『斜陽』直治の遺書にも「僕は素面で死ぬんです」とあったは

ず。

マタイ伝福音書

2005-03-10 14:50:58 | 太宰
太宰さんはクリスチャンではないけれど、かなり聖書を読みこんでいた。

中でも、マタイ伝がお気に入りだったようで、引用もダントツに多い。

引用個所にして42、同じ言葉を何度も作中に用いたりしているから

きっと100近くになるかもしれない。

太宰さんの作品数は153編で、エッセイを加えると200位。

作品の半数に新約聖書マタイ伝福音書の言葉が散りばめられているこ

とになる。


「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼るな、

 身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ。」


晩年の太宰さんはこの言葉に取りつかれていたように思える。




死と生の中間地点

2005-03-10 11:53:51 | 太宰
国文学 解釈と鑑賞 特集「太宰治とその死生観」

とても興味深い特集だ。論者も一流。

去年の9月号。迂闊にも気付かなかった。ここしばらくバックナンバー

を探していて、見つけた。

学者、評論家、作家、精神科医、自殺学の専門家、哲学者(いや哲学

研究者か?)

様々な角度から論じられていて面白い。

いちいち触れてゆくと長くなりそうなので何回かに分けて書こうと思う。

今年91歳になるという作家の青山光二さんは太宰と交友があったそう

で、

「太宰さんは、襖を開けて隣の部屋へすっと入るように、いつでも死ね

る人でした」

と語っている。

太宰が生きていたら、今年95歳か。

やっぱり晩年の井伏さんみたいに寡黙になってしまうのかな、なんて

想像してみた。



まぼろし

2005-03-10 11:22:07 | 
10時30分頃になると、外から子供の声が聞こえてくる

そうか、中休みなんてあったっけ

隣は小学校

15分だけの休み時間なのに

子供たちは元気に駆け回る

玄関のドアを開けてみる

子供の姿は見えない

ドアの外はすぐ、体育館の裏

そう、体育館の裏・・・

いろいろなことが起こる体育館の裏

怖いことも、甘酸っぱいことも♪


ドアを閉めようとすると、寿老人のような出で立ちの老人がするりと

ウチに入ってきた

私は、特に違和感なく自然にその方を迎えた

花粉のせいか、部屋の中は霞がかったようにぼやけてしまった

世も末、これほどまで花粉が飛散しているのか・・・

老人は昨夜から置きっぱなしのほうじ茶を満足げに啜ってぼんやり部

屋を眺めてニコニコしていた

僕は気に留めず、パソコンの前に座る

こうしている今も仙人は私の隣で部屋を物色している

さて、いつまでいるつもりなのだろう

10分経過

仙人は消えた・・・霞とともに

彼は中休みの神さまだったのかもしれない

12時過ぎにドアを開けるとまた何か入ってくるのかもしれない

開けようか開けまいか、迷っているところだ


グッド・バイ

2005-03-04 02:17:57 | 太宰
まことに、出逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれ

ども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きている

といっても過言ではあるまい。

~太宰治


なに、また逢えるさ。

でも、「惜別」っていい言葉だなぁ。