よろず戯言

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耶馬渓・青の洞門

2010-11-18 23:59:56 | 旅行・まち歩き

最近仕事が忙しくてプライベートで息切れ気味。

休日も延びに延び、11月に入って二度目の休みをようやっと迎えることができた。

休みだからといって、のんびりできるわけもなく、

熱帯魚水槽の掃除やら、観葉植物の植え替え、部屋の整理整頓など、

やるべきことは山積している。

 

で、今日は自動車運転免許証の更新に行った。

ゴールド更新2度目。

いつもながら免許証の写真はひどくイケてない。

これは逮捕時に撮られる写真だわ。

 

免許の更新を終え、まっすぐ家に帰るのもなんなので、紅葉でも見に行くことにした。

すでに昼前の時間なので、そんな遠くまで行けない。

ここらで紅葉の名所といえば、小倉の皿倉山、添田の英彦山、東峰村の岩屋公園、そして中津の耶馬渓。

 

で、今回、お隣の大分県中津市にある、耶馬渓へ行くことにした。

小学校6年生くらいのとき、生協だかの日帰り旅行で行った記憶があるが、

当時は景勝地なんぞに興味なく、

青の洞門や耶馬渓橋、地蔵峠なんぞも観たのだろうがほとんど記憶に残っていない。

山に切り立つ荒い岩肌がいろんなものに見例えられ名付けられていたが、

そのなかで、仙人がたくさん並んでいるようにみえる岩肌だけ記憶に残っていた。

名前も仙人岩だか、そんな名前が付いていたような。

 

みやこ町から築上郡を突き抜け、豊前市まで渡る椎田道路を経て中津市へ―。

飯塚の免許センターから1時間半かけて耶馬渓へ到着。

いきなり現れたのが青の洞門

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およそ250年前、旅の僧侶がこの地を訪れた際、

崖の険しい岩肌に一本の鎖と粗末な木板の足場を頼りに往来していたこの路で、

旅人が足を踏み外し、滑落して惨死するのを目の当たりにしてしまう。

このような惨事が後を絶たない難所であることを知った僧侶は、

ひとり鑿(のみ)と鎚を手に、岩を掘り始めた。

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始めは僧侶をバカにしていた村人たちも、

だんだんと掘り進められる洞窟、一心不乱に鎚をふるう僧侶に心打たれ協力しはじめ、

30年という歳月をかけ、とうとう岩盤を貫通させた。

以来、ここを安心して往来できるようになったという。

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ゴツゴツした岩盤の表面。

禅海僧が掘ったのみの後が当時のまま残っているという。 

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掘り進めて最初に開けた灯かり窓。

補修・改装工事が原因だろうが、石柱が埋もれてるのはなんとかならんかったのか。

 

現在は車が通れるように改良されているものの、

洞穴の景観を残すために、方面工事などされておらず、道幅も狭いままで片側交互の通行しかできない。

一部は実際に掘られた洞穴もそのまま残っており、ここは徒歩で入ることができる。

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実際に掘った洞穴への入り口。

当然ながら車は通れない。

ちなみに開通後、通行料をとったらしい。(慈善事業じゃなかったのか・・・)

日本最初の有料道路だといわれている。

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30過ぎて、賑やかな行楽地や商業地を巡るより、こういう場所をぶらりと散策するのが好きになった。

歳をとると趣向が変わるものだとあらためて感じた。

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青の洞門を過ぎた場所にあるデカイ岩山(帯岩と呼ぶらしい)。

その裾野に駐車場。

自分の車も写っていたり。

 

時間は昼を過ぎていた。ここで遅めの昼食。

山国川で獲れる天然の鮎が名物とのことで、

駐車場近くのみやげもの屋兼食事処で、鮎の塩焼き定食を注文。

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鮎は内臓まで、付け合わせのはじかみまでいただきました。

鮎と同じく特産品らしい、自然薯のとろろまで付いて、

漬物だの佃煮だのあって、飯が茶碗一杯だなんて足りません!

おかわりが欲しかった・・・。

 

やたら愛想のいい店の大将とおばちゃん連中。

腹ぺこだったので、ぺろりと平らげたが、

爪楊枝やってる最中にふと厨房に目をやると、

さっきの大将が、タバコをふかしていた。

お前・・・料理人が仕事中に・・しかも厨房内でタバコとかやめろや・・・・。

せっかく美味い料理をいただいて満足していた後に、一気にげんなりしてしまう。

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よしずに飾られている網は、鮎を捕るためのものだろうか。

他にもいろんな地元由来の調度品が飾られていたが、そこへなぜか白川郷の三度笠・・・。

こういう意味が解らないセンス、嫌いじゃない。

 

ここから紅葉を観るため、日田方面へ進み、

耶馬渓ダム、深耶馬渓へと進むつもりだったが、

途中で羅漢寺へ寄ることにした。

耶馬渓・羅漢寺へと続く――。


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