「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

人間をとりもどす闘い――東奥日報3/6

2009-03-08 11:23:17 | 小林多喜二「一九二八年三月十五日」を読む
「三月十五日につかまつた人々のなかに一人の赤ん坊がいた」。
中野重治の小説「春さきの風」の冒頭だ。
赤ん坊は父親と母親に連れられて、警察の留置場へと。
冷えた状態が朝から続いたために、その日のうちに様子がおかしくなる。

 警察は取り合わず、やっと夜中に家に帰される。だが翌日昼には息を引き取った。
母親は留置場の夫に手紙を書いた。
「わたしらは侮辱の中に生きています」と。

一九二八(昭和三)年の作で、同年全国であった左翼への弾圧、三・一五事件を描いた。働く人たちが食える生活をと旗を掲げ、プロレタリア(無産階級)という言葉が広がったころだ。

翌年には、小林多喜二の小説「蟹工船」が世に出る。
今、若い人たちに読み直されている作品だ。
「春さきの風」が東京の下層風景とすれば、こちらは北海で地獄の目に遭う漁夫たちを描く。
本県や秋田、岩手などの農村から来た出稼ぎだ。タコ部屋の生活に抗して立ち上がるが、不発に終わる。それでも「もう一回だ」と彼らはつぶやいた。

二作とも、侮辱の中に生きねばならなかった人たちの話だ。
むき出しの抑圧があれば、陰湿なそれも。
八十年前、時あたかも世界恐慌前夜の日本の断面でもあった。
その再来が言われている今、これらの作に目が向くのも偶然ではあるまい。


働く貧困層から、働く場もない底辺へと。すべり台のような下降が世のそちこちに。人間を取り戻すには何が要るのか。昭和の初めの風景は、時を超えて現代にも響き合う。

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