「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

シカゴより小林多喜二に愛をこめて・・・ノーマ・フィールド(週刊読書人)

2009-05-04 00:32:31 | 仲間たちから多喜二への手紙
以下のCANPAN運営事務局より転載
http://canpan.info/open/news/0000003908/news_detail.html

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ノーマ・フィールド氏に聞く(聞き手=成田龍一・岩崎稔)
源氏から多喜二へ
『源氏物語、〈あこがれ〉の輝き』『小林多喜二』の刊行を機に


【週刊読書人】(2009年5月1日号)

構築と脱構築を同時に
稀有な歴史的モメントに遭遇する


3 月下旬、成田龍一・岩崎稔の両氏はアメリカのシカゴを訪れ、ノーマ・フィールド氏に、最新刊の『源氏物語、〈あこがれ〉の輝き』(斎藤和明・井上英明・和 田聖美訳、みすず書房)と『小林多喜二――21世紀にどう読むか』(岩波書店)を中心に話を聞いてきた。本号に掲載するのは、そのインタビュー記録であ る。ノーマ氏の源氏研究に大きな刺激を与えた物語研究会の話から始まって、なぜプロレタリア文学に関心をもつようになったのかまで、さまざまなエピソード を交えながら興味深く語られている。(編集部)

成田 今年になっ て、ノーマさんの「出発」と「現在」の二冊の著作が、同時に日本語で読めるようになりました。読者としては、とてもうれしいことです。まずは、「出発」に 当たる源氏物語研究についてうかがいたいと思います。源氏は日本文化の象徴と考えられ、そのことにより読みが規制されている――ノーマさんはそのことに抵 抗感を持っておられるようですね。

ノーマ プリンストン大学院にいたころの源氏なり日本の古典の勉強 の仕方は、伝統的な日本の美をいかに学び、身につけるかということでした。学位論文を書くために夫とこどもとともに日本に来たのが一九八〇年。おかしな話 ですが、夫に職があったので、私は扶養家族のビザしか出してもらえませんでした。そのため東大に行っても、研究員の資格が取れなかったんです。少なくても 当時はそうでした。でも結果として、秋山虔先生や鈴木日出男先生、三谷邦明先生のところに自由に出入りできたので、贅沢な授業体験となりました。

し かし一番印象的だったのは大学空間とは別の物語研究会(「ものけん」)でした。戦後最後の大規模な社会批判を行動で表した全共闘世代の人たちが源氏研究を やっていて、この研究会ができたわけですが、それはそれは新鮮で刺激的な場でした。「ノーモア・ヒロシマ」を捩ったような「ノーモア・ゲンジ」という言葉 もでてきたのですから。それを聞いて、「えっ、何なの、源氏を勉強するためにここに来たのに」(笑)ってギクッとしましたが、今では稀有な歴史的モメント に遭遇できてよかったと思っています。乱暴でも一瞬にして世界を違ったかたちで見せてくれる言葉にはなかなか出会えませんから。

成田  最初に接触されたのは、秋山さんにせよ、鈴木さんにせよ、みな正統的な源氏研究者ですね。三谷さんは少し違うかもしれませんが。正統的な研究に向き合いつ つ、同時に物語研究会に出入りするという、いってみれば両にらみのスタンスから源氏物語研究をスタートさせたわけですね。

ノーマ  そうです。ほんのちょっと古典を齧った程度で行ったわけですから、日本の大学院の授業がどういうものか見当もつかなくて、ただ物珍しく見守っていました。 ですから、私自身の問題意識はなかなかつかめなかった。逆に、物語研究会に行けば、問題意識しかないわけです。「しかない」と言うと、否定的に聞こえます が、問題意識が表面に強く出されていた。

ちょっと脱線になりますけれど、子どもたちの世代を見ていて感じたことがあります。娘はいま三三 歳ですが、大学に入った頃の若い大学の教員はみんな、ポスト構造主義、脱構築を学んで一人前になった人たちなんですね。そこからスタートする。大した基礎 知識も身につけていない学生、つまり構築されたものが何もない状態で脱構築を学ぶわけです(笑)。私の源氏の勉強は、いまから思えば、構築と脱構築が同時 に行われたようなものかも知れません。

成田 物語研究会に入られたきっかけは?

ノーマ  それが面白いんですね。コロンビア大学のアイヴァン・モリス先生が突然亡くなられて、穴埋めのために私の指導教官のアール・マイナーさんがプリンストンか らコロンビアに一学期ほど通っていました。当時、コロンビアにアマンダ・スティンチカムという院生がいて、彼女が三谷邦明さんを探し当てたんです。マイ ナーさんに「アマンダさんに話をしてみなさい」と言われて、彼女に会ったところ、「絶対に三谷邦明さんに連絡を取りなさい」と。

成田 今までの源氏の読み方に、飽き足りないものを感じていたのでしょうね。

ノーマ まあ、直感的に、でしょうね。

成田 一方で正統的なものを学びながら、他方でそれを脱構築する物語研究会に参加することになるわけですね。

ノーマ  正統的なものを学ぶという常識は別に疑っていませんでした。同時に、違った常識が私の中にあった。大学にいたのが六五年から六九年ですから。カリフォルニ アの新設女子大を選んだんです。そこは学生と一緒に大学を作るんだ、伝統は壊すためにあるようなもの、という雰囲気の学校でした。六〇年代の後半ですか ら、ベトナム戦争も激化していましたし。六七、六八年にフランスに留学して、そこで六八年の五月革命に出会います。そんなこともあって、学問とは素直に受 け入れるものではない、という常識が身についたんでしょうね。五月革命に出会ったのが二〇歳のときで、革命って案外簡単に起こるんじゃないかと思い込んで しまった(笑)。

成田 それで源氏物語研究に、革命を起こそうとされたわけですね(笑)。

ノーマ  物語研究会を立ち上げた人たちの狙いはそこにあったのでしょうね。私が入会したのは創立十年ごろでしたが、当初の意気込みがどう伝わったかというと、例え ば三谷さんが、ご自身の論文を手渡して、「はい、批判してください」って言うんです。もちろん私自身が試されているのはわかりましたが、最初から「批判し てください」というスタンスが研究会全体の雰囲気を象徴していた。

今でもそうかも知れませんが、当時の「ものけん」の大きな特徴に、「先 生」という言葉を排除していたということがあります。定時制中学の教員も入っていたと聞きましたが、実に幅広い研究者集団だったんですね。そこでみんなが 「先生」と言っていたら、それが平等の原理になったかもしれませんが、あの雰囲気はなかったでしょう。

成田  六八・六九年の雰囲気が、いまだに生き続けていたわけですね。政治の革命であると同時に、文化の革命でもあった時期の。その中で学ばれ、「日本的なもの」 の代表とされていた源氏物語の批判的解読をされた。同時に、「あとがき」で述べておられるように、当時はあらゆるところにこの動きがみられ、天皇制論も王 権論にシフトしていた。つまり、「日本的なもの」と考えられていたものを、普遍的な脈絡の中で考え直そうという動きですね。ノーマさんのお仕事も、源氏物 語をべったりと日本にくっ付いたものとしてではなく、物語論として読み解こうとされていますね。

ノーマ  そうですね。日本にいる間に私が一番勉強したのは、ナラトロジーと王権論です。確かに王権論が盛んでしたね。あのときは二年間の滞在でしたが、終わりの頃 に三谷さんがぽつんと、「王権論だけじゃ足りない。もう一度、天皇制という言葉を導入しなければいけない」とおっしゃった。普遍化したのはいいけれど、そ のままだと逆に日本の天皇制が問題意識から消えてしまう、ということだったと思います。

★つづきは、「週刊読書人」2009年5月1日号をご覧ください。


★ ノーマ・フィールド氏は現在、シカゴ大学教授・日本文学・日本文化専攻。一九四七年、東京で米国人の父と日本人の母の間に生まれる。アメリカン・スクール 卒業後、渡米。ピッツァー大学に入学。同大を卒業後、教師、主婦などを経て、八三年、プリンストン大学で博士号取得。シカゴ在住。著書に「天皇の逝く国 で」「祖母のくに」「へんな子じゃないもん」「平和の種をはこぶ風になれ」(共著)など。



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瀬戸内寂聴氏「力をあわせれば強い」 (御影暢雄)
2009-05-04 20:53:34
 源氏物語現代語訳を執筆された瀬戸内寂聴氏は、昨日の京都での憲法記念日集会で次のように話されました。

「力を合わせれば強い」~瀬戸内寂聴氏
”どんな美辞麗句をつけても戦争はすべて人殺しです。釈迦の教えの一番の根本は、殺すなかれ、殺させるなかれです。私は戦争反対を貫こうと思っています。イラクにお薬を持って単身行きました。病院で爆撃にあった子供たちの悲惨な状況を見てきました。どこの国でも、戦争や爆撃で子供たちが殺されるようなことは許されないことです。ともに生きていく地球で、戦争がなく平和に暮らせる、そういう時代がこないと本当の平和はこない。自分一人の力はなくても、みんなが力を合わせて、戦争に反対していく意志をもってやっていきたい。私は死ぬまでその気持ちは変えない。皆さんのその気持ちを大切にして、世界の平和を守っていくように努力してほしい。
 (5月4日しんぶん赤旗掲載記事)

 *高校の時の教科書に、三島由紀夫が”西欧人が野蛮な抗争に明け暮れていた時に、日本では源氏物語という世界に誇るべき文学が築かれていた”という意味のことを書いていた記憶があります。この三島由紀夫の指摘に関しては、私は共感します。源氏物語と平和志向は、日本の大きな伝統文化の流れですね。
 平和主義者だったジョンレノンは、軽井沢を根城にして日本に滞在していたことがあるのですが、ある時、能の「隅田川」を見る機会があり、事前にあらすじの説明を受けていなかったにもかかわらず、感動して涙を浮かべていたといいます。(「ビートルズ革命」)
 源氏物語も能の文化も、普遍性と永遠の生命力を有しており、愛と平和が共通のモチーフと言うべきなのでしょうか。
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