2019年5月12日(日)
「九州国際スリーデーマーチ2019」3日目はゆっくり起きて、10キロ「陣内貴美子ふるさとコース」に参加。
10Kコースは1日目が「八代亜紀絵画コース」、2日目が「松中信彦メモリアルコース」と3日間とも八代市出身の著名人の名がついている。
出発式では、陣内貴美子さんの挨拶があり、「エィ・エィ・オー」をした小学生を含む3名の地元のウォーカーには陣内さんの署名入り帽子が贈られた。
(陣内貴美子さんの挨拶)
10K、5Kのスタート前に会場に着いたら、地元の人の参加が多いのだろう、自転車がズラリと並んでいた。
(会場自転車置き場)
スタートは10時、球磨川沿いを下る。カメラは、昨日までのデジタル一眼レフからコンパクトデジカメに変えている。
(河川敷遊歩道を歩く)
河川敷の遊歩道から川沿いの道へ出て、少し引き返し、球磨川に架かる植柳橋を渡る。
(植柳橋)
「麦島小学校」を通過。麦島小学校が現在ある場所には、以前は八代第三中学校があって、陣内さんは八代第三中学校を卒業されているとのこと。
(麦島小学校)
前川に架かる前川橋歩道橋を渡る。人吉の方から流れてきた球磨川は、スタート・ゴールの大会会場付近で、球磨川と前川に分かれて海へと流れている。
(前川橋歩道橋)
(前川橋から八代駅方面)
大きなカッパ像があった。八代にはカッパ伝説が残っている。全国のカッパ伝説には地域によっていろいろな説があるが、八代ではカッパは中国から渡って来たと伝えられている。
(カッパ像)
八代のアーケード商店街の中へと歩く。
(スリーデーマーチに出店中との貼り紙のお店)
バナナや湯茶等の接待を受けた。バナナ大きかった。
(商店街の中で)
くまモングッズや八代のお土産等を販売するくまナンステーションが、商店街の中に昨年オープンしているが見逃したようだ。
商店街から外れて八代城跡の方へ。
(暑い日差しの中ホッとする)
(ここにくまモン)
(ここにもくまモン)
八代城址お堀に出る。
江戸幕府は慶長20年(1615)に一国一城令を制定したが、熊本加藤藩は特例として熊本城と八代城の一国二城が認められた。
当時の八代城は麦島小学校のちかくにあったが、元和5年(1619)の地震により、城が崩壊したため、加藤清正の子・忠広の時代に現在の八代城跡の場所に移す。
加藤氏の改易により熊本城主となった細川忠利の父・細川忠興(三斎)は、本丸に四男立孝を住まわせ、自らは三の丸を居所とした。
天保2年(1645)立孝、忠興と相次いで亡くなった後、翌3年に細川家家老・松井興長が入城し、以後は代々松井氏が幕末まで八代城の主となった。
三の丸の北、出丸跡にある八代第一中学校の校庭の一角には、細川忠興が織田信長を供養した五輪塔が建っている。
(八代城址)
(またまたくまモン)
八代城址の中にある八代宮の横を通り、南から北へと通り抜ける。
(八代宮)
(本丸天守台跡石垣)
北の丸跡地には市立図書館も。
(八代市立図書館)
八代第一中学校の横を通って右折。廃線跡の遊歩道を歩く。
(遊歩道)
(遊歩道で)
(八代東高校)
遊歩道から右折し歩いていたら、こんなサービスが。手持ちの水が無くなりそうな時だったので有難味も一層増す。
(日田天領水のおもてなし)
チェックポイントはやつしろハーモニーホール。
(やつしろハーモニーホール)
(お漬物は丁寧に分けられていただいた)
塩分・水分を補給して歩き出す。
(暑い)
八代駅裏にある日本製紙工場建物の壁一面に描かれた、八代妙見祭の「亀蛇」。亀と蛇が合体した想像上の動物。八代妙見祭は、2日目のコースで訪れた妙見宮のお祭りで、ユネスコ無形文化遺産に指定され11月22、23日に開催される。
亀蛇にはガメの愛称がつけられている。2日目のコースにあった「がめさん公園」にはガメの像があり、眺めつつ歩いた。
(日本製紙工場建物の壁)
八代駅を過ぎ、新萩原橋へ。橋から球磨川。左が球磨川、右が前川へと別れている。スタートしてから左の球磨川に架かる植栁橋を渡り、右の前川に架かる前川橋歩道橋を渡った。
(新萩原橋から球磨川)
(新萩原橋から大会会場)
3日目のゴール。
(ゴール)
今日は10Kだったのでビールは無し。
3日間、八代駅で帰りの列車が出発するまでの間に、疲れた躰を癒してくれた。
今日も「パリパリッ」と。
「お疲れ様でした。」
「九州国際スリーデーマーチ2019」3日目はゆっくり起きて、10キロ「陣内貴美子ふるさとコース」に参加。
10Kコースは1日目が「八代亜紀絵画コース」、2日目が「松中信彦メモリアルコース」と3日間とも八代市出身の著名人の名がついている。
出発式では、陣内貴美子さんの挨拶があり、「エィ・エィ・オー」をした小学生を含む3名の地元のウォーカーには陣内さんの署名入り帽子が贈られた。
(陣内貴美子さんの挨拶)
10K、5Kのスタート前に会場に着いたら、地元の人の参加が多いのだろう、自転車がズラリと並んでいた。
(会場自転車置き場)
スタートは10時、球磨川沿いを下る。カメラは、昨日までのデジタル一眼レフからコンパクトデジカメに変えている。
(河川敷遊歩道を歩く)
河川敷の遊歩道から川沿いの道へ出て、少し引き返し、球磨川に架かる植柳橋を渡る。
(植柳橋)
「麦島小学校」を通過。麦島小学校が現在ある場所には、以前は八代第三中学校があって、陣内さんは八代第三中学校を卒業されているとのこと。
(麦島小学校)
前川に架かる前川橋歩道橋を渡る。人吉の方から流れてきた球磨川は、スタート・ゴールの大会会場付近で、球磨川と前川に分かれて海へと流れている。
(前川橋歩道橋)
(前川橋から八代駅方面)
大きなカッパ像があった。八代にはカッパ伝説が残っている。全国のカッパ伝説には地域によっていろいろな説があるが、八代ではカッパは中国から渡って来たと伝えられている。
(カッパ像)
八代のアーケード商店街の中へと歩く。
(スリーデーマーチに出店中との貼り紙のお店)
バナナや湯茶等の接待を受けた。バナナ大きかった。
(商店街の中で)
くまモングッズや八代のお土産等を販売するくまナンステーションが、商店街の中に昨年オープンしているが見逃したようだ。
商店街から外れて八代城跡の方へ。
(暑い日差しの中ホッとする)
(ここにくまモン)
(ここにもくまモン)
八代城址お堀に出る。
江戸幕府は慶長20年(1615)に一国一城令を制定したが、熊本加藤藩は特例として熊本城と八代城の一国二城が認められた。
当時の八代城は麦島小学校のちかくにあったが、元和5年(1619)の地震により、城が崩壊したため、加藤清正の子・忠広の時代に現在の八代城跡の場所に移す。
加藤氏の改易により熊本城主となった細川忠利の父・細川忠興(三斎)は、本丸に四男立孝を住まわせ、自らは三の丸を居所とした。
天保2年(1645)立孝、忠興と相次いで亡くなった後、翌3年に細川家家老・松井興長が入城し、以後は代々松井氏が幕末まで八代城の主となった。
三の丸の北、出丸跡にある八代第一中学校の校庭の一角には、細川忠興が織田信長を供養した五輪塔が建っている。
(八代城址)
(またまたくまモン)
八代城址の中にある八代宮の横を通り、南から北へと通り抜ける。
(八代宮)
(本丸天守台跡石垣)
北の丸跡地には市立図書館も。
(八代市立図書館)
八代第一中学校の横を通って右折。廃線跡の遊歩道を歩く。
(遊歩道)
(遊歩道で)
(八代東高校)
遊歩道から右折し歩いていたら、こんなサービスが。手持ちの水が無くなりそうな時だったので有難味も一層増す。
(日田天領水のおもてなし)
チェックポイントはやつしろハーモニーホール。
(やつしろハーモニーホール)
(お漬物は丁寧に分けられていただいた)
塩分・水分を補給して歩き出す。
(暑い)
八代駅裏にある日本製紙工場建物の壁一面に描かれた、八代妙見祭の「亀蛇」。亀と蛇が合体した想像上の動物。八代妙見祭は、2日目のコースで訪れた妙見宮のお祭りで、ユネスコ無形文化遺産に指定され11月22、23日に開催される。
亀蛇にはガメの愛称がつけられている。2日目のコースにあった「がめさん公園」にはガメの像があり、眺めつつ歩いた。
(日本製紙工場建物の壁)
八代駅を過ぎ、新萩原橋へ。橋から球磨川。左が球磨川、右が前川へと別れている。スタートしてから左の球磨川に架かる植栁橋を渡り、右の前川に架かる前川橋歩道橋を渡った。
(新萩原橋から球磨川)
(新萩原橋から大会会場)
3日目のゴール。
(ゴール)
今日は10Kだったのでビールは無し。
3日間、八代駅で帰りの列車が出発するまでの間に、疲れた躰を癒してくれた。
今日も「パリパリッ」と。
「お疲れ様でした。」
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