映画と渓流釣り

ゆっくりと 人と人だもの


映画「チルソクの夏」という佳作がある。
1977年、下関に住む女子高校生と釜山の男子高校生が、国際交流を兼ねた陸上競技会で知り合いお互い淡く惹かれあう青春映画。佐々部監督の妹さんの体験を基にしたお話しらしい。監督が1958年生まれだから、妹さんはほぼわたくしと同い年だろう。
映画の中で釜山で開催された競技会シーンがあるが、驚くことに釜山市街は戒厳令が敷かれている。わたくしが高校生の頃、韓国はまだそういう国だった。地勢状は隣国だが感覚的にはかなり遠い国だったのだ。
物語のラスト、25年以上が過ぎ去った時間が不自由だった交流は劇的に開放され、大人になった二人は軽やかに笑いあう。

昨今、日本と韓国のあいだに流れる不信感はあの頃とは全く違うけど、意地の張り合いはヒートアップしていく一方のようだ。多少の距離を置く時間は必要かもしれないが、映画のラストシーンのように笑って再会できる様大人になるべきだ。

韓国人の言い分は納得できないまでも理解は出来る。理不尽な理由でいじめた人は、反省し謝らなければならない。それは子供にも通じる当たり前の礼儀。ただ、反省はし続けるべきだけど、いつまでも謝り続けなければいけないのか。片方が頭を垂れ続けたままでは真の友人にはなれない。友人になるための努力を子供の目線で考えるべきだろう。

わたくしの父の話を思い出した。
先の戦時中、父の住む集落にも半島出身の家族が沢山住んでたという。子供同士にも支配被支配の関係はあったらしいが、父は結構分け隔てなく仲良くしていたらしい。半島出身者の家にも良く遊びに行ってホルモンをご馳走してもらって嬉しかったと言った。
8月15日のあの日を境に、仲良しだった半島出身者の子供たちが居丈高になり、離れていったという。友達だと思っていたから悲しかったと話してくれた。自由を手にし放たれたように故国へ帰る彼らを見送りながら父は何を感じたのか、聴かなかったので分からない。

歴史を塗り変えることは出来ないし、体験した人の感情をコントロールすることも叶わない。
だからわたくしたち戦争を知らない世代は、過去に耳を貸しながらも明日は元気な声で挨拶できるように生きてゆこう。
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