世界はプログラム化され、その結末もある帰結点に向かって時空全体がたなびいてゆく。この小説におけるGODは、モナドの管理者であり、複雑に絡み合うパラメーターである意思のようなものを持つ人間が、モナドの領域から外れる事を防ぐために存在しているようだ。
つまり、神はとは一種の監視プログラムであり、宇宙の時空というカーネルの上で動くモナド=シェルを管理する存在であるとも言える。
この物語は、モナドという哲学用語を、プログラム言語で置き換えた存在があることが契機になっているのだろう。
夢と現実の境界を取っ払った「パプリカ」や、物語世界と現実世界が混在しながら大団円を迎える「朝のガスパール」のような実験的なもの以上に、七瀬三部作の最終巻である「エディプスの恋人」に近い匂いがする。考えてみると、「虚人たち」の頭が破裂するような作品も、「心狸学・社怪学」などのような洒脱な作品も、「虚航船団」のような文房具と鼬の戦いのような、ほとんど比喩や暗喩を飛び越えたような作品も、楽しませて頂いた。
筒井さんには、ずいぶんお会いしていない。お会いする機会もどうやら無いのかも知れないが、本当にお世話になった。小説「朝のガスパール」の中に登場人物として扱われた時には、実は腰が抜けるほど驚いたのである。凡庸な人間であるオレなどでは、とても考えつく事すら無いであろう、沢山の物語体験をさせて頂いたし、断筆騒ぎの折には、秘密朗読会などの裏方などもして、少しはお役に立てたのだろうか、などとも思う。
まるで、こう書いていると筒井さんへのお別れの言葉のようだが、決してそんなつもりではない。むしろ、筒井さんよりも先にオレの方が危ない。だから、オレ自身の存在が危うくなる前に、覚書として記しているのである。