時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

オヤジの十八番(おはこ)

2020年10月07日 | 時のつれづれ・神無月

多摩爺の「時のつれづれ(神無月の7)」
オヤジの十八番(おはこ)

今週のNHK朝の連ドラ「エール」は、「若鷲の歌」の誕生秘話が放送されている。
この歌は・・・ 先月に91歳を迎え、いまは施設で暮らしてる、オヤジの十八番(おはこ)だった。

私が小学生だった頃の話で恐縮だが・・・
風呂に入って約10分、体を洗って一息つくと、
湯船の中から、鼻歌交じりに「若鷲の歌」が聞こえて来た。

また、法事などで親戚が集った場では、一段落した後の晩酌を楽しみながら、
止せばいいの、かなりズレた音程ながらも、全くもって気にすることなく、
同年代のオジサンたちと歌っていた。

その傍らで、オヤジの酒の肴をつまみ食いしながら、
手拍子していた自分の姿を・・・ 朧気ながら思いだす。

 若鷲の歌   作詞 西条八十  作曲 古関裕而

 ♪ 若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨(いかり)
   今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でっかい希望の 雲が湧く

   燃える元気な 予科練の 腕はくろがね 心は火玉
   さっと巣立てば 荒海越えて 行くぞ敵陣 なぐり込み

   仰ぐ先輩 予科練の 手柄聞くたび 血潮が疼く
   ぐんと練れ練れ 攻撃精神 大和魂にゃ 敵はない

オヤジは昭和4年の9月生まれだから、終戦の時はまだ15歳で・・・ 戦争の体験はあるものの、
赤い紙を貰って、戦地に向かう年齢には達してなかった。

歌詞にある「七つボタンは 桜に錨(いかり)」は、
海軍飛行予科練習生(予科練)が着用する濃紺の詰襟制服で、
海軍の象徴でもある、桜と錨が描かれたボタンが7個付いており、
「七つボタン」は予科練を表す隠語になっていて、オヤジにとっては憧れの制服だったらしい。

あと一つ、歳を取っていたら・・・ 間違いなく志願していた。
あと数年、先の大戦が長引いていたら、南の空で散っていたかもしれない。
予科練に入って、航空兵になることが夢だったと語っていた・・・ オヤジの言葉が懐かしい。

後になってから分かったことだが、終戦間近になると・・・ この国の空を飛ぶ戦闘機は数少なく
また、新たに製造する余力もなく、オヤジが仮に予科練に入隊していたとしても、
訓練すらままならなかっただろう。

そう言ってしまえば、オヤジの夢を全面的に否定することにもなるので、
このことについては、その後は触れたことはないし・・・ 今後も触れないと決めている。

なお、予科練の隠語にもなった七つボタンの制服は、そのまま海上自衛隊の制服に引き継がれ、
現在では、女性自衛官も・・・ 七つボタンを着用しているらしい。

戦意高揚を目的とした軍歌は、勇ましいと思うものの・・・ 正直なところ好きではない。
とはいえ、軍歌で戦地に送り出され、戻ることが叶わなかった、多くの先輩たちがいたことを思えば、
戦争を知らない世代として生まれた者が、
軽々に好きだとか、嫌いだとか、云うべきではないのかもしれない。
朝ドラ「エール」を見て、演技とはいえ、苦悩する作り手のことを思えば・・・ なおさらだろう。

軍国主義がどうのこうの、大和魂がどうのこうのと・・・ 正義ぶって口で言うのは容易いが、
多くの先輩たちが、命を懸けて戦ったことが、
今日の日本の礎となっていることは、紛れもない事実であり、
一概に軍歌だということだけで、無碍に扱ってはならない。

施設にいる、91歳のオヤジに「若鷲の歌」のメロディを聞かせたら、
きっと、いまでも・・・ 歌いだすんじゃなかろうか。
なにを思い浮かべて歌ってるのか、私が知る由もないが・・・ きっと、歌うと思う。

聞いてみたいな・・・ もう一度
オヤジの十八番(おはこ)

コロナ禍の今年、東京在住ということもあって、帰省することは叶わなかったが、
老いた両親の長寿を・・・ 改めて、願ってやまない。

軍歌つながりと言っちゃ、大変申し訳なく思うが、
オヤジが、よく歌っていた軍歌を、もう一曲・・・ 紹介させていただきたい。

 あゝ回天
   作詞 山門芳馨  作曲 長津義司

 ♪ 小山のうねり くだけて返る 征かば還らぬ 特攻隊 十九(つぐ)や二十(はたち)の若人が
   港 徳山 大津島 あゝ回天の基地なるか

   貴様と俺は 同志の桜 涙浮かべて歌いしも 二度と逢えない戦友に
   別れを告げて勇み立つ あゝ回天は出でて征く

   遺書を残して 形見を置いて 今日は征くぞと肩を抱き 白の鉢巻 白だすき
   呼べど呼べども あゝ回天 あゝ回天は還らない  あゝ回天は還らない

ふるさとの穏やかな海(瀬戸内海)に浮かぶ小さな島で、訓練が行われていた人間魚雷「回天」
「若鷲の歌」も切ないが・・・ この歌も、本当に切ない。
胸が締め付けられるような歌詞に、思わず涙が出そうになってくる。

あまりにも悲惨で、無謀な訓練をしていたところが、
故郷にもあったんだということを忘れてはならないし、
後世に語り継がねばならないのだろう。


閑話休題 ここからは、余談になるが・・・
昭和60年に上京して間もなく、電車の中で七つボタンの学生服を着た、
中学生と思しき学生たちを見かけた。

通常の学生服は、詰襟で五つボタンだから、ビックリしたのなんのって、ぶったまげである。

「おっ、海軍か?」
「いやいや・・・ そんなバカな?」
「でも、七つボタンだし・・・ ?」

どこの学校だろうと思って、調べてみたら・・・
千代田区にある私立のカトリック系男子校・暁星中学・高等学校だった。

フランスの、サン・シール陸軍士官学校の制服をモデルにしているとのことで、
姉妹校にあたる、札幌の光星中学・高等学校、大阪の明星中学・高等学校、
長崎の海星中学・高等学校の男子生徒も、
同じような七つボタンの制服を着用しているというから、
ブレザーの制服が主流になった昨今では・・・ ちょっと、珍しい制服かもしれない。

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