そして、この日、私の実家の父親も本当なら84歳になるはずでした。
スポーツの好きな父は、4年後の東京オリンピックをとても楽しみにしていたのに、
オリンピックの結果を天国の友達に報告するんだと、いつも話していたのに、
入院先の病院で容態が急変し、10月、帰らぬ人となりました。
病院から電話をもらった時には、もう心肺が停止していて、父の最期には誰も間に合いませんでした。
亡くなる2日前にも、父に面会に行き、元気に握手をして別れたばかりなのに、嘘のような父の死でした。
自分が出来る範囲の精一杯の世話をして、父を見送ってやったつもりでいたので、
お葬式の時、悲しさはありましたが、不思議と悔いはありませんでした。
でも、やっぱり…
日が経つにつれ寂しさは募り、
もっとこうしていれば、ああしていれば…、お父さんごめん…
と、心で父に詫びながら過ごす毎日です。
用意周到な父は、病気を患い始めた頃に、お葬式で使う遺影も、しっかり写真館で撮っていました。
そして、自分のお葬式で喪主である弟がする挨拶も、文章にしたため、
清書をし、自分の引き出しの中に入れていました。
父には、自分の死がわかっていたのでしょうか。
先日の11月22日、
娘が私に代わり実家を訪れ、弟達と亡き父の84歳の誕生日のお祝いをしてくれました。
お父さん、本当に今までありがとう。
誕生日のお祝いから帰ってきた娘は、なぜか人生初のギックリ腰になってしまいました w(:_;)w
お父さん、可愛い孫娘をどうぞ見守ってやってね(チーン)
最新の画像もっと見る
最近の「みゆきの日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事