詠んだ時の備忘録として興醒めの極みですが自身の俳句の説明です、今回は
謳歌してるかな、訓練・鍛錬、おいコー です。
きっと北葉のない枝に居た青鵐(きっときた/はのないえだに/いたあおじ)
秋から冬(春先)まで楓の枝に時々止まっていた青鵐(アオジ)は葉をつける前に姿をみせなくなった。今頃は北海道か東北辺りの夏を勤しんでいるのだろうなぁ(と山雀や目白など留鳥が楓に止まっている様をみながら)。
冬の山道とか食べ物を探すのに夢中になって斜面から道の真ん中あたりをチッチいいながら移動している姿を割に近くで目にすることができる。緑色の細かい縞に見える感じがカッコイイ兼美しいので青鵐はとても好きな鳥。どれくらい好きかっていうと六前後前済みの雀や翡翠、鶯より勝るとも劣らんくらい好きかな。青鵐は夏の季語、だから、そのうち夏に北海道や東北に行ったときに澄んだ鳴き声を聴きながら詠もうなんて考えてた(んでもって、冬には家にいたかもしれないなんて六前後前を妄想)。
さて、家の近くでもチッチという鳴き声を耳にすることもあったが同じく期間限定で姿を見せてくれる尉鶲や鴲のように我が家に訪れる目的があるわけではないので、家の庭木にたまたま止まることがあるだけで、なかなかお見かけできなかった。だから、今夏も山雀、目白、雀が楓に止まっている姿をみると同じ家の楓に青鵐が止まっていたことを無性に詠みたくなる。
(鳥は鳥を呼ぶ的に家の楓にたまたま現れたときのさらにたまたま撮れたかもなどつづくかも)
青山雀種を割る所作アンダンテ(あをやまがら/たねをわるしょさ/アンダンテ)
まだまだ淡い緑を纏っている今年の4、5月生まれの若い山雀たちが種の殻を突いて割る様子は親鳥たち成鳥に比べるとまだまだ遅いが、レントやアダージョかっていうくらい遅かった頃や着地時に握りそこなってや突いた拍子に種を落としていた頃を思えば、短期間で親の世話を受けることなく一連の行いを独力でできるほど成長している事実へシンプルに感心してしまう。
(暫定の書き出しなので追加や修正してつづくかも。)
芒種かな平積みされた全既刊(ぼうしゅかな/ひらづみされた/ぜんきかん)
近々数年ぶりに出る最新刊が最終巻でもあることも手伝ってか、これまでに出ている文庫が書店の一画に(3行6列で)平積みされて(て、畑のようにも見え)た。ラストという収穫が楽しみである。
散々待たされたというか、直木賞をとられ、その後の作風と乖離しているという見方もできる本シリーズは大人の事情のため、もう結末は読めないかもと穿った推測もしたくなってしまい諦めてたって方がより正確な表現かもしれない。そういうこともあって最終巻が出るアナウンスには当然よろこんだが、まあ、日常生活平素を装う程度には落ち着いてたつもりだ。
さて、とある書店に行ったついでにカウンター脇に並べられたコーナーへ。
書くまでもないが新刊や売れ筋、映像化された作品など本来並べられている本棚から移動して置かれる場所である。その一角にーー
あれ、見覚えがあるイラスト。
あのシリーズのカバーイラストを描いている人が別作品のイラストを描いたのか、なんだろう。
否、正確に書こう。
間違いなく同作品のイラストに見えたので同シリーズのカバーイラストを描いている人が別作品を描いたのを見間違えたに違いないと思って二度見。
程なく、見間違えでないことがわかる。
そこには間違いなくシリーズの文庫が3行6列に平積みされていた。
最終巻の発売を前のセールスってことは分かる。しかし、このような特集ブースを組んでもらえるほど人気あったっけ? 仮にあったのであれば、数年待たされるなんて事態にはならんでしょ、 などなど色々な考察や感情が渦巻くが結局のところ
さすが、おいコい(私オンリーの呼び方で巷では「おいコー」)!
という何がさすがか思った本人も不明な歓喜だけ残る(というか占める割合が圧倒的で悦びだけと錯覚できる)。
(jbooks版は見かけないなぁ、ラストやシリーズ全体の感想などにつづくかも)
備忘六前後前_2020へ
謳歌してるかな、訓練・鍛錬、おいコー です。
きっと北葉のない枝に居た青鵐(きっときた/はのないえだに/いたあおじ)
秋から冬(春先)まで楓の枝に時々止まっていた青鵐(アオジ)は葉をつける前に姿をみせなくなった。今頃は北海道か東北辺りの夏を勤しんでいるのだろうなぁ(と山雀や目白など留鳥が楓に止まっている様をみながら)。
冬の山道とか食べ物を探すのに夢中になって斜面から道の真ん中あたりをチッチいいながら移動している姿を割に近くで目にすることができる。緑色の細かい縞に見える感じがカッコイイ兼美しいので青鵐はとても好きな鳥。どれくらい好きかっていうと六前後前済みの雀や翡翠、鶯より勝るとも劣らんくらい好きかな。青鵐は夏の季語、だから、そのうち夏に北海道や東北に行ったときに澄んだ鳴き声を聴きながら詠もうなんて考えてた(んでもって、冬には家にいたかもしれないなんて六前後前を妄想)。
さて、家の近くでもチッチという鳴き声を耳にすることもあったが同じく期間限定で姿を見せてくれる尉鶲や鴲のように我が家に訪れる目的があるわけではないので、家の庭木にたまたま止まることがあるだけで、なかなかお見かけできなかった。だから、今夏も山雀、目白、雀が楓に止まっている姿をみると同じ家の楓に青鵐が止まっていたことを無性に詠みたくなる。
(鳥は鳥を呼ぶ的に家の楓にたまたま現れたときのさらにたまたま撮れたかもなどつづくかも)
青山雀種を割る所作アンダンテ(あをやまがら/たねをわるしょさ/アンダンテ)
まだまだ淡い緑を纏っている今年の4、5月生まれの若い山雀たちが種の殻を突いて割る様子は親鳥たち成鳥に比べるとまだまだ遅いが、レントやアダージョかっていうくらい遅かった頃や着地時に握りそこなってや突いた拍子に種を落としていた頃を思えば、短期間で親の世話を受けることなく一連の行いを独力でできるほど成長している事実へシンプルに感心してしまう。
(暫定の書き出しなので追加や修正してつづくかも。)
芒種かな平積みされた全既刊(ぼうしゅかな/ひらづみされた/ぜんきかん)
近々数年ぶりに出る最新刊が最終巻でもあることも手伝ってか、これまでに出ている文庫が書店の一画に(3行6列で)平積みされて(て、畑のようにも見え)た。ラストという収穫が楽しみである。
散々待たされたというか、直木賞をとられ、その後の作風と乖離しているという見方もできる本シリーズは大人の事情のため、もう結末は読めないかもと穿った推測もしたくなってしまい諦めてたって方がより正確な表現かもしれない。そういうこともあって最終巻が出るアナウンスには当然よろこんだが、まあ、日常生活平素を装う程度には落ち着いてたつもりだ。
さて、とある書店に行ったついでにカウンター脇に並べられたコーナーへ。
書くまでもないが新刊や売れ筋、映像化された作品など本来並べられている本棚から移動して置かれる場所である。その一角にーー
あれ、見覚えがあるイラスト。
あのシリーズのカバーイラストを描いている人が別作品のイラストを描いたのか、なんだろう。
否、正確に書こう。
間違いなく同作品のイラストに見えたので同シリーズのカバーイラストを描いている人が別作品を描いたのを見間違えたに違いないと思って二度見。
程なく、見間違えでないことがわかる。
そこには間違いなくシリーズの文庫が3行6列に平積みされていた。
最終巻の発売を前のセールスってことは分かる。しかし、このような特集ブースを組んでもらえるほど人気あったっけ? 仮にあったのであれば、数年待たされるなんて事態にはならんでしょ、 などなど色々な考察や感情が渦巻くが結局のところ
さすが、おいコい(私オンリーの呼び方で巷では「おいコー」)!
という何がさすがか思った本人も不明な歓喜だけ残る(というか占める割合が圧倒的で悦びだけと錯覚できる)。
(jbooks版は見かけないなぁ、ラストやシリーズ全体の感想などにつづくかも)
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