「たにぬねの」のブログ

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備忘録(六前後前前後)_2020秋分寒露

2020-10-22 20:17:14 | ビボウロク
詠んだ時の備忘録として興醒めの極みですが自身の俳句の説明です、秋分寒露は野鳥と本以外に土竜、幻日、浅葱斑、物理学賞など盛り沢山!

黄落の小波秒速センチ(こうらくの / こなみびょうそく / すうセンチ)
秋の土竜の爪かも尖り鼻(あきのつち / りゅうのつめかも / とがりばな)
緑地を歩いていると背後、しかも地面と思われる方からガザガサ音がする。振り返ると落葉がウェーブ・・・・・・
しばらく見てて、土竜かなとは思うも断定はできず、傍観を継続していると運よく顔を出してくれた。帰宅後、検索などして日不見だったと思うが尾など意識して観察してなかったので自信なし。
さて、土竜は冬眠しないから今冬にまた出会えれば、
振り返るガサガサ落葉土竜鼻
などと詠もうかな。
振り返る黄落の波どこまでも、黄落の小波つづくよガサガサと、黄落の波よ秒速数センチ
蟄虫戸を坏ぎ鼻出す土竜、黄落の日不見の鼻やピンクかな
麓踏む黄落ガサガサ日不見鼻、日不見かも黄落ウェーブ鼻ピンク
秋の土竜の角かもピンク鼻
秋の土乾いた葉音土竜鼻秋の土桃色突起土竜鼻土竜かな黄落ウェーブピンク鼻


止めゲンジツを撮る風の(くるまとめ / げんじつをとる / かぜのいろ)
ハロがみられそうな(九月終盤の)薄雲掛った空とは思っていたけれど、本当に幻日があらわれるとは(ちょっとは空模様の観察眼ついたかも・・・・・・もちろん、まだまだついてません)。ラッキーとばかり写真を撮りましたが帰ってから確認すると虹色具合がイマイチでがっかり。
というわけで、昨年の秋に撮った幻日をここにリンクしちゃえ(。当時も詠もうかと思ったが、ちょっと前に環天頂アークの句を詠んだばかりだったことと撮影時に幻日って自信がなかったことで保留したけど、これで晴れて解消かな)。
そうそう、幻日と言えば、
シューベルトの冬の旅、23番目の歌曲 幻の太陽(Die Nebensonnen)を想い出し、youtubeで漁ってみた
駐車して幻日を撮る律の風
幻日の写りイマイチ素風かな


南へ黄北から銀の鶲かな(みなみへき / きたからぎんの / ひたきかな)
渡っていく様子や旅立って気配がなくなったことに、同様に渡ってくる様子や訪れる気配に気付けたりする春秋。素人なので秋でもオスの移動が気付き易いってことで。
それぞれ黄鶲は三夏、尉鶲は晩秋の季語とするのがメジャーな模様。また、鶲は元来、尉鶲を指す場合が多かったそうな。しかし、現代用語では鶲がヒタキ科の総称って一面、記述もある。
ならば、この季節、この地を旅立つ黄鶲とこの地を訪れる尉鶲の両鶲について詠・・・・・・
黄は渡り尉訪れる鶲かな、黄を送り銀訪れる鶲かな、南へ黄北の銀待つ鶲かな

勇ましい茶色鵯きたからか(いさましい / ちゃいろひよどり / きたからか)
鵯にしては茶色が目立つ個体目撃。ちょっと前に読んだ本に鵯の亜種についての記述があったので、この時期かつ久々であることに納得。また、自棄に威風堂々な振る舞いに見えたのはから渡って来た(、逞しさ)からだろうか、などとも感じた次第。

窓辺読む禁帯出を小鳥声(まどべよむ / きんたいしゅつを / ことりこえ)
ちょっとした時間ができたときに図書館へ寄って(禁帯出や大きい)本(など)を少しずつ読み進めるのもなかなかの至福。窓辺の席でページを捲っていると馴染みのある鳴き声が耳に入ってきた。帰りに図書館の周りを歩くとやはり実を付けているエゴノキがあった。
秋、日本に渡って来る鳥だけでなく山地から人里に降りてくる小鳥たちを含めた季語ということらしい。
次の機会でが訪れている様子を確認、(図書館の)テラスから見える山からきているのだろうか。ショートストップ図書館で癒される。
窓辺読む貸出禁止小鳥声

二頭舞う浅葱斑の稲葉山(にとうまう / あさぎまだらの / いなばやま)
奇人振るタオルに戯れる秋の蝶(きじんふる / タオルにじゃれる / あきのちょう)
今年は十月第一週から(アサギマダラ)目撃。二頭のランデブーなど。
人目が気になりなかなかできなかったが意を決し白タオルを回す・・・・・・
比較的近いところで繁殖地として伊吹山、乗鞍岳や長野などで夏に浅葱斑と会えるが
(岐阜市など)美濃に限定すれば秋になって南下するときが遭遇のチャンスであ(り、春夏の北上コースからは外れているようであ)るから浅葱斑と金華山(稲葉山)の組み合わせで秋ってことに。
もちろん、生き物に絶対もな(く例外の枚挙に暇もな)ければ、ヒトの観察範囲など限られたものに過ぎない(。また、気候変動などによるコースの変遷だって起こり得る)ことも承知の上。それでも、ヒトとの関りの指標として、その時そのときの目撃例、体験談というのが季語として有効なのだろうと渡り(小)鳥などの季語に触れて浅いレベルかもしれないが感じたからこそ、浅葱斑と美濃の組み合わせで秋ってことに。
また、(秋の)蝶とタオルや秋の蝶と美濃(の高い場所とか通過)の組み合わせで浅葱斑ってことに。
人とタオルに戯れる秋の
秋の蝶岐阜に立ち寄る二頭かな
秋の蝶二頭立ち寄る金華山
二頭舞う浅葱斑の岐阜城や
超接近回すタオルに秋の蝶
降りてくる回すタオルに秋の蝶

スブラマニ・・・・ンドラセカールおもいだし(スプラマニ / ンドラセカール / おもいだし)
(今年の)三人のうちの一人にロジャー・ペンローズが選ばれてるからホーキングの功績も自動的に呼び起こされる。彼らが70年代に到達していたブラックホールにおける思考、即ち想像の産物は広義になった文学賞にも相応しい程の豊かさだ。豊かな想像の産物という観点で云えば、さらに40年以上さかのぼった1930年の洋上にて創造された若きスブラマニアン・チャンドラセカールによる(ブラックホールの)想像も勝るとも劣らないって話(で同時に権威※というものが意図の有無に関わらず、あらぬ方向に振りかざされてしまったことによる遅れがもたらした損失を忘れてならずって話)だ。とはいえ才能あふれるスブラマニアン・チャンドラセカールは1983年に物理学賞を受賞している。
何はともあれ、ノーベル賞の発表(秋)や受賞式(冬)ってのは季語になってもおかしくないほど季節を限定してくれるワールド的ワードに違いない。2020年にスブラマニアン・チャンドラセカールの名を出すってことは物理学賞に反応しているからで秋を詠んでいるつもり。
(※権威批判だけではバランス悪いからエディントンと相対性理論のことも記述すべき気もするからつづくかも)
スブラマニアン・チャンドラセカール忘れまい、Subrahmanyan Chandrasekhar忘れまい
スブラマニ・・・チャンドラセカー・・・オモイだす


片脚で抑え啄む木の実片(かたあしで / おさえついばむ / このみへん)
(時折、とても近くで食事の様子を見せてくれる山雀がいる。食べ物が小さくなるにつれ、ホールドしている両脚の間隔が狭まっていき、左右の足先がくっつきつつく様は、まるで膝の前で手をハの字に置き、手のひら全体を床につけ、両手の指先にできた三角形に鼻を入れるような気持ちで上半身を傾け深くお辞儀する人間の姿を彷彿させ、趣きを勝手に感じていた。しかし、ヒトの所作を投影してしまったことに野生に対する冒涜も感じてか詠む気にはなれなかった。改めて考えると自然界における生き物の理にかなった振る舞い・姿勢の良さが行儀作法の礎かもしれないから冒涜でなかったかも(、いつか詠もうっと)。
さて、時折の)時々、小さくなった食べ物を抑え直さず、(余程しっかりホールドされたのであろう、)片方の脚だけでしっかり固定し食事する様子を観察できたりして、これがとても快活でかわいく、気持ちを楽にする方向に考えを改めさせてくれたってわけです(感謝)。
木の実片食事後半片脚で

秋霞電子書籍をポイントで(あきかすみ / でんししょせきを / ポイントで)
電子マネーの覇権争いの一環か過剰?異常?なサービスで貯まったポイントの有効期限が切れる前に電子書籍を入手する。さて・・・・・・
ポイントで電子書籍を秋霞

備忘六前後前_2020

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