ぴょんぴょん :ドーベルマンそらとミニピンちょこワールド

企業顧問、相談役、コンサル(M&A、新規事業、新技術、投資)。ドーベルマンそらとミニピンちょこは虹の橋に。

男の背中4 転職してそろそろ一年たった

2007年09月30日 12時25分47秒 | 転職、男の背中論
イメージしていたような人生をそのまま歩む人は
いったいどの程度いるのであろうか?

24才で新入社員で企業に入社。
お馬鹿を売りの私は、
1)皆が嫌がるような仕事を率先してやるべき
2)頭脳業務は先輩、私は汗で給料をもらう
3)先輩より早く帰ってはいけない
4)技術は24時間仕事。残業という言葉はない。
と約5年は実践した。
実際、自らのルールで、毎日技術棟の鍵を閉めて帰る日々、
一時間も残業をつけず、有給休暇は一日もとらず
きっと生涯賃金は一番安くなるだろうという日々。
・・・仕方ないよ・・・他の人より頭悪いし、
学校でも自信持って勉強してこなかったし・・・。

そんな自分は、今でも尊敬する一人の上司のお陰で
「俺って、結構できるかも・・・。」と自信を
持ち始めたのは、5年以降、一般的には遅咲き。
世界で初めての製品を次々と生み出した。
学会でも雑誌でも、その成果を報告し、毎日が
楽しくて、一人で徹夜していて、時間のたつのも
忘れて、朝になっていたことも多い。
どんなに業界初、世界初の仕事をしても
実は99%以上の周りは妬みとやっかみばかりだった。
しかし、一人二人は
「お前には負けたよ、お前はすごいよ、お前ならできると思った」
といってくれた。
それだけで、うれしかったし満足した。
コンペジターの財閥系会社から
「やられたな」との言葉をもらったときには、
飛び上がって喜ぶ心を抑えられなかった。

そんな自分は実に幸せだった。
こんな馬鹿な私が、ここまでこれたのは、
あの上司と応援してくれたいろんな部署の何人かの仲間の
お陰だと思う。その上司が言った言葉を思い出す。
「一生懸命やっていれば、誰かが助けてくれる」
・・・一人でやれる仕事なんてない。

15年ぐらいの幸せな技術者の人生を送った。
いつのまにか管理職になり優秀な部下にも恵まれた。
一緒に成功体験を味わい、バッシングにもあった。
そして、共に喜び、共に泣いた。
あるときは部下と一緒に会社を逃げ出し、富士山まで行って、
ストレスを吐き出した。
喜びが高いほどの新規開発をすると苦しみも多いものだ。
現場で徹夜もあった。
責任者として現場に立ってろ!と言われ、小学生のように
一週間立たされたこともあった。その結果は大腸破裂し
腹膜炎で、3時間遅かったら死亡の、1ヶ月入院生活も
送った。

15年もそんな会社人生を過ごすと、知らないうちに
ピノキオになるものだ。
そんな自分にも気づき始めた。
一生、この会社で技術をやっていくんだ。
と思っていたのが、まず間違いであった。
技術者ではなくなった。技術という部署で管理をしていた。
リーダーとしての右往左往。資料つくりと発表会がメイン。
入社後15年~20年の約5年は技術ではなく、いわいる
中間管理職、さよなら技術という世界。

・・・その後、本社に行って、会社を辞めて転職するなんて
そんな自分は想像できなかった。
・・・つづく

1)成功体験は苦楽があり、苦しみのほうが多いが
大きな幸せを感じものである。
2)一人ではたいしたことができない。
頑張っていれば助けてくれる仲間ができ、
幸せを共有し、共に喜び共に泣いてくれる。
3)調子に乗ってピノキオになってはいけない。
、自らを振り返ることが適時に必要である。
4)目標があっても、その目標を達成したら
次の目標を見つけなければいけなくなる。
5)将来のイメージは、社会環境の変化も
あり、自分の成長もあり、入社時、5年、
10年15年と、どんどん変わっていく。
6)苦しみも喜びと思えるようになるには
時と経験が、そうさせるものである。
7)尊敬、感謝する心を持ち続ける努力が
必要である。

以上





コメント (4)
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