発見!森のぶ~たん号!

毎日更新を目指しているぶ~たんです。
某社の公式ブロガーに当選を機に、地元密着型のブログをはじめました。

桜薫道

2011-10-31 15:45:43 | 今日のハッピー
週明けの福井市は、雨、晴、にわか雨、晴と午前中だけでも目まぐるしいお天気です。

仕事で足羽川の河原に沿った道路を通ると、ふわっと、甘い香りが漂っています。

ぶ~たん、鼻の鼻の穴膨らむ。

桜木の甘い香りです。



雨に濡れた落ち葉や桜木の樹皮から香り立っているのです。

川向こうからの強い風で



でんぐり返しをするように道を舞いまわる落ち葉達

舞い上がる度に、桜の香りも舞い上がります。

雨上がりは桜の堤へ

ぶ~たんの秋のおススメです。



お市の方、もう一つの菩提寺 自性院 Vol.3 おもかげを偲ぶ

2011-10-26 15:45:19 | 福井のおススメ
お市の方、もう一つの菩提寺 自性院 Vol.2 秀忠公で書いたように、

この菩提寺は徳川家(二代将軍夫妻)のお市の方への供養でなされました。



         徳川所縁を示す葵の御紋

先日、自性院を恐る恐る訪れたぶ~たんを驚かせたのは

そこの奥様のおもてなし振り、お茶と駄菓子を小さなお盆で各々に振舞い

「どちらからお越しですか?」と話をして下さいました。

元々冒頭の写真の石碑の紹介しかておらず、知る人ぞ知る史跡。

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の始まる前の昨年末から訪れる人が増え

初めは「どうしたものか」と、困惑したけれど、迷う方もいるので看板を掲げたそう。



お寺の縁起から上野の寛永寺や福井市で家康を祀った佐佳枝神社との係わり等お聞きしました。

ただ、大河ドラマ以前はほとんどお市の方の菩提寺としてを訪ねてくる人はおらず、

2年に1度くらい織田家の末裔の方々が訪れるくらいだったそうです。

そして、何か所縁(形見)の品がないか訊かれたそうです。

西光寺も自性院のお墓もお二人の遺骨はありません。

あとかたもなく燃え尽きるように爆薬を使ったくらいですからあるわけがありません。


ぶ~たん・・・ピーン

これです、もう一つの菩提寺の答えの2つ目

ここはあくまで織田家の方々の織田信長の妹であるお市の方をしのぶ場所。

お市の方は浅井家から見たら、和平の役にも立たず自家を滅ぼした宿敵織田信長の妹。

子連れで再婚したことで縁は切れています。

柴田家から見たら主君織田信長の妹で、勝家と共に自刃したことで

丁重に弔う気持ちがあったからこそ、勝家と一緒のお墓で弔ったのでしょう。



        西光寺 勝家公、お市の方のお墓

だけど織田家から見たら、家臣筋の菩提寺。

家々でお寺が違うからご一緒にというわけにはいかないのかも。


立場が違うと言えば淀の方は両親を滅ぼした側。

天正17年(1589)12月に秀吉に許しを得て

父・浅井長政の十七回忌、母・お市の方の七回忌の追善供養を高野山の持明院で行いました。

その際に奉納したと言われるのが有名な肖像画



淀の方が納得した肖像がですから、さぞや似ているのでしょう。

敵方として滅んだ城主を弔うのは当時としては掟破りで

豊臣家の中での淀の方の権勢を示すとともに、彼女は浅井家の長女としての誇りを感じます。

次女のお初は父長政の菩提を弔うために仏像を作らせ大切にしたとか。

お江が徳川の妻として、織田信長の姪として、織田信長の妹の母を独自に弔うことで

お市の方は浅井家、柴田家の女ではなく、生家、織田家の女。

織田家の末裔にはこだわりがなくお市の方の偲ぶ場所になったように思います。

お市の方が秀吉への投降を拒んだのは勝家公の妻としてよりも、信長の妹の誇りだったのでしょう。

(大河ドラマの大地勝家ファンぶ~たんには、所詮かりそめの義父だったのと残念な感じもします。)


自性院の奥様が、ぽつり「当時の人は可哀想ですね、写真もなにもないから、その方をしのぶ為に御遺骨がなくてもお墓を作り、仏様を作り・・・」

そうですね、そういう時代だからこそ信仰に人々がすがったのかもしれません。

それでも、それぞれの立場で、それぞれに亡き人を悼み供養することで、それぞれの面影を偲んだでしょう。



信長の妹に生まれた宿命に翻弄されながら、織田と浅井の血を徳川に遺したお市の方

今は静かに「江」フィーバーを見守っているでしょう。



戦国の歴史好きの皆さん、福井にお越しの際は

柴田神社、西光寺さんだけでなく是非、如意輪山願慶寺自性院にもお越し下さい。

静かなお寺で優しいおもてなしにしみじみしますよ


如意輪山願慶寺自性院

場  所:福井市西木田2丁目10番21号

拝観時間:午前9時~午後5時 

拝 観 料:無料



※あくまで寺院であり観光地ではありません。拝観マナーはお守り下さい。



 







 




お市の方、もう一つの菩提寺 自性院 Vol.2 秀忠公

2011-10-26 11:26:11 | 福井のおススメ
お市の方、もう一つの菩提寺 自性院 Vol.1の答えは何でしょう?

ぶ~たんの思う答えの1つは、まず自性院について書いてから・・・

足羽山の近くの住宅地の中にひっそりとあるこの自性院(じしょういん)

解説は奈良時代、元は越前東郷赤坂岡山に開創されました。


            
             薬師堂内陣

それがここ福井市西木田に移転したのが、慶長十年(1605年)

徳川幕府が開府され、徳川秀忠公が二代征夷大将軍に就任した年です。

家康公の後継はあくまで徳川家と豊臣側に引導を渡した時です。

(大河ドラマでは向井秀忠さん悩んでましたね)

その年は秀忠公の正妻、お江さんの母上お市の方の二十三回忌にあたりました。



           大安禅寺千畳敷の説明板

そして、この福井は秀忠公の兄、結城秀康公が初代藩主を務めていました。

結城秀康公に関してはこのブログ(歩くざふくい 大安禅寺とその周辺Vol.2)でも書いていますのでまた参照下さい。

そして元々はお江さん姉妹が母と共に柴田勝家とかりそめの家族として暮らした北の庄城下。

そこで、秀忠公が義母の菩提を弔う為にお寺を移転させ

お市の方の院号(「自性院」微妙浄法大姉)賜り、お寺の名前も改め

お市の方の菩提寺としたのです。


    
             お市の方の位牌

つまり、兄を差し置いて家康の後継となった秀忠公の

兄秀康公への敬意と親しみ(信頼)の表明する気遣い。

そして、徳川の妻として多くの子を産むことで

徳川幕府の安定(各大名との縁戚政策)に大いに貢献しているお江さんに対する感謝や思いやり。

今でさえ7つ年上の女房はあれこれ言われがちですが、

子だくさんで側室がほとんどいない()のですから

恐妻家ではなく愛妻家だったのでしょうね、秀忠公。

武功は兄秀康に劣りますが、二代目ぼんぼんの持つ温厚さが出ているのかもしれません。


さて、ぶ~たんが気になったもう1つの答えは

・・・が、ちょうど時間となりました~

もう1つの答えは、また次回に











お市の方、もう一つの菩提寺 自性院 Vol.1 

2011-10-24 11:13:47 | 福井のおススメ
ぶ~たん、この「発見!森のぶ~たん」のおかげで

地元の歴史に関してはにわか歴女になりつつあります。

昨年のブログ開始から、お市の方、柴田勝家公には特にお世話になっています

以前から気になっていた、自性院(如意輪山願慶寺自性院)へ行ってきました。



まぎれもない、お市の方の菩提寺です。

お市の方と柴田勝家公の墓所、菩提寺は西光寺さんが有名で

柴田神社とセットで観光される方も多いと思います。

ぶ~たんのブログにも何回も登場しています。)

例えば 西光寺 柴田勝家とお市の方の墓所(フォトチャンネル)

歩くざふくい 柴田勝家とお市の方 2 西光寺

他にもブログはあるのですが、大河ドラマの影響のせいか、柴田勝家公とペアで捉えがち。

お墓も西光寺さんに一緒にあるし・・・

ところが、この自性院さんのお墓(石碑)はお市の方のみ。


        お市の方 方碑

それも、西光寺さんとは歩いて5、6分位のご近所さんに何故?

そんな疑問を持ちながら、インターネットの検索でもはっきりしなかった

自性院を求めて探しに行きました。

ところが間違えて入ったはずの路地にありました。

如意輪山願慶寺自性院 ひっそりと

ここでぶ~たんの疑問は解決される事になります。


・・・が、ちょうど時間となりました~

答えは、また次回に

ヒントは、冒頭の写真、推理してみて下さいませ

スポーツの秋満喫のはずが・・・

2011-10-22 14:35:43 | 今日のオーマイゴッド
今日は福井市の運動公園で開催される運動会のお手伝いの予定がありました。

昨夜は久しぶりの運動会の用意。

昨夜から雨が降り出したので、冷えた時の準備も

お昼の時のおやつも(・・・お手伝いの立場を忘れているかも)

雨具に敷き具に・・・

なんだかんだぶ~たんノリノリ


そして今朝

遠足前の子供のように、目覚ましなしで5時台に

子供です

しかし、無情に外は



運動会は中止になりました。

肌寒い秋雨の中の運動会は体調を崩す人を出すかもしれないから仕方ありません。

しかし、皮肉なことに本来運動会が始まる頃に雨は上がり

お昼ぐらいには暑いくらいのお天気

ウォーキングするには暑いのでやめて

荷物を片付け、買い込んだおやつはぶ~たんお腹の中に・・・

スポーツの秋は、食欲の秋に様変わりしたのでした・・・あぁ