昨日には「魂のゴール」という話をしていましたが。
目の前に起きている出来事だったり、目の前にいる縁のある人だったりも全て自分ために起きている事だという話でした。
自分のためというのは……、その縁の出来事やその縁ある人によって自分の囚われている本質や、奥の執着の元となっているものから解放されるという事です。
相手から解放されるわけでは無くて、その繋がりであったり共有する事で解消される事であったりです。それが解消されて解放されることによって、その出来事や相手からも卒業となるのです。
縁のある出来事や縁のある人などは表面的にある縁なので、どんどん変わりゆくものです。
本質からの解放されるまでは。
その解放が終わってやっと肉体も解放されるのですが、
目の前の出来事も次のステージへとレベルアップして行ったりします。
それが進む事で魂が解放されていくのです。
そんな話しでもありました。
物事や人との本質が解消されない限り中々魂が生きているという事にまで到達しない。
なので、何度も輪廻転生するのです。
その輪廻転生ももう既に無くなるところまで来ています。
魂の成長が無いからです。
少子化になっているのもそのせいです。
本来は魂が生きたいと願ってこの世に生まれてきているのに魂の思いが肉体に通じない、
肉体も暴走している、身勝手になっている。
そうなると今度は魂が暴走するという時代になってしまいました。
おとぎ話の様ですが、そんなおとぎ話もすでに尽きてしまった。
そこからの気づきも無くなり、学びも無くなっているからです。
いくら精神論を語っても、いくら自己啓発に励んでも、いくらスピリチュアルのワークを聴きに行っても、いくらパワースポットへ行っても、神社仏閣で癒され浄化したしたと感じても、表面的でなく魂を感じ、自身を信じ、学んだことを実践し活用しないと魂は納得できない。
自分の肉体と心と魂が一体化して信じて表現しないと一致しない。
一心同体と「魂心体」の一体化の表現です。
心から湧いてきて、魂の奥から湧き出てきて……。
目の前の出来事や今の居場所や目の前の人……
たとえそれが親でも子供でも嫌なら一緒に居ないくていい。
家が嫌なら出ればいい、会社が嫌なら辞めればいい。
好きなら一緒にいればいい、好きならなんでもすればいい。
魂が何を求めているか、
分からないならゆっくり休めばいい。
無理に合わせる必要もない、
無理だと分かるためのミッションかも知れない、
全く違う波動を学び魂が嫌だと言ってるんだと知るためのミッションかも知れない。
自分の意志を伝え表現するミッション。
以前の魂が無理にやっていた事ばかり、人に合わせるとか社会に合わせる事ばかりして自分の事を蔑ろにしていたのかも知れない。
今一度生まれ変わってその肉体を借りて生きているだけ。
やっと伝える表現の仕方を学び自分の意志を伝える事が出来るようになって初めて魂が解放される。
それに通じる病気にかかっていたとしたら、やっと肉体も解放されるかもしれない。
全ては自由に解放されるために起きていた夢の中の出来事だったに過ぎない。
自分を受け入れたら良い、
どんな自分も受け入れてあげたら良い、
無理する必要もない、魂が感じるままに。
生きているだけでもありがたい事なのに、
何を愚痴っているのか、
魂が暴走したくなる気持ちもわかるような気がする。
それならば、今起きている事をそっくりそのまま受け入れてやる、
その本質には魂が求めている事がきっとあるし、ヒントが隠されている。
魂は自分の内側で生きているので、表面に出ている事はヒントに過ぎない。
下の図にあるように、意識の深化レベルと同じく、
顕在意識の見える世界と潜在意識の観えない世界は繫がってはいるものの、
下の図では島と海底で表しているけど、
魂は潜在意識の部分でもあるので、源は繫がっている。
氷山のようなものでもある、
何千年何万年と続き氷の山と化して表面に出ている先はホンの一角。
見えている意識の世界は顕在意識の世界で起きている出来事だけど、
それは潜在意識(魂)の世界と繋がっていて、本来表面に起きている出来事を解消しながらでももっと大きな潜在意識の世界を解消するための出来事ばかり。
表面の事ばかりに気を取られていては一向に潜在部分(繋がっている部分)までに至ることも無い。
そんなの放っておけばいいんじゃないかと、こんな図を見ても気にもならないという感じの人も多いでしょうが、
この潜在意識の部分も常に振動している。
振動は宇宙でもその中でも意識がある以上振動している。
振動がこれと言って自分の身近に影響を与えているなんて気にもしないって感じでしょうか、
それなのに地震や気象の災害が怖いとか不安だとか言ってるのはどうしてなのか、不思議です。
奇妙な生き物ですね人間って……
それだけ人類が奇妙な身勝手な肉体化の動物化しているのかも知れませんね。
本来微生物や恐竜や猿や猿人類などから進化してきたと学んだ人類でもあるけど、意識も退化していき、機械や数値やAIに乗っ取られてしまうただの器に退化していくのかも知れません。
カバラで伝えられてきた生命の樹、キリストが十字架に縛られてまで表現したかった本来の生命の樹、お釈迦様が菩提樹の下で入定して表現したかった生命の樹、岡本太郎が太陽の塔に込めた意識で表現した生命の樹、その生命の樹の本質は何を伝えたかったのか。
人類の意識の進化だったやろうに。
現代人はその低次元の進化系へ退化していくのかな。
今更恐竜や猿人類へ戻ったり生まれ変わることは無いでしょうからどこか別に新たに星が出来るか移ってしまうだけになるかも知れません。
その星に生きるか化石となるか、生きたとしても人間のカタチじゃないかも知れない。
今目の前に起きている出来事の想像通りの星、お望みの星。
そうそう、地球自体もいつまで存在しているかなんて誰にも分からない。
それなのに何かが怖いなんて言ってる自分の方が怖いのかも (^.^)
そう思うと、身勝手に生きるのだって本来は良いのかも知れないのか……。
それなら、辛いとか苦しいとか痛いとかそう言いながらどこかの星を選択するんだと生きた方が解放されるかもしれませんね (^^;)
生きてるって、今目の前の全てを受け入れる覚悟なんだな、きっと。
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