嘘つくとか、つかれるとかの話を続けています。
自分に正直になるために世の中生きている中でのミッションかなと思っているという話。
嘘にも色々あって、隠し事や秘密もそうだという事ですが。
もちろん墓場まで持って行くとそれも真実になってしまっているという事でもあるのですが、
小さな嘘や優しさからの嘘や傷つける嘘、様々です。
だから死後の世界で閻魔大王さんが審判してくれると… (^^;)
全て自分の人生の世界、
自分が主役の世界で、脇役がいての世界だという観点からみます
こういう見方していると徐々に自分の頭の中が整理されて行きました。
まあ嘘やがどういうものなのか、誰にとっての嘘か、
隠し事や秘密に関してもそうです、どちらが主役なのか。
優しさや思いやりからの嘘であっても偽りに変わりはない。
多少なら優しさや思いやりとなるけど、過ぎれば互いに傷つく。
どこまでが優しさだろうか、どこまでが思いやりでしょうか。
それもやはり自分に答えがあるのでしょう。
もちろん思いやりは大切ですが、
そこに嘘はないという事です (^.^)
それに、優しや思いやりの嘘には温かさもあります。
それを感じることが出来るかですね。
人はたまに感じる事を忘れてしまいます。
近年では自分の感情への感覚も気づかないぐらい感覚が鈍感になってしまっている。
それは目の前が忙しすぎるとか、
物事の移り変わりについていけないとか、
理由は多い、目に見えている世界にばかり生きているからです。
嘘も見える世界の反対にある。
自分がどちらに生きているかですね。
どの世界のどんな嘘や裏切りに対しても
自分がどう考えどう捉えどう選択決断して生きていくかなのかなと思います。
右往左往惑わされたとしても生きていくのは自分ですから。
その意識でいると目の前の景色も変わって行くのかなと、
そう信じようと思えるようになりました (^.^)
それも年齢重ねての経験ですね、有難いことです。
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