緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

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虐待…と聞いて

2021-09-26 | 日々気づき
  今、親が我が子に対して虐待やネグレクトといったニュースも多いですね

聴いてて辛い思いもありますが、決して虐待を許してはいけないとも思いますが

してしまう気持ちも分かります

どんな時代にも子育てって共通の思い悩みがあり、それを全てとは言わず母親が一人で抱えてしまう問題

私もこれを超えたら虐待やなって子供を叱りながら思った事あります

そこでまだ理性が働き自分コントールが出来ていたから止めれましたが

体も力も大きい大人が小さい子供にって正気になればもの凄い怖い事

感情の意のまま我見失ってしまう

後になって、自分の心も体も痛くなってふと我に返る

そんな人はまだ救われるけど、そこに快感を得てしまい癖になると怖いですね

気が狂っているのはどうしようもない論外だと思うけど

それも行為であって、行為は絶対に許してはいけないと思いますが、

その背景にはいろんな事が在り、関わり、虐待する側にも因果因縁もあるので、そんな事になってしまっている

その行為やその罪の償いによって気づきや学びを得るためにあるんでしょう、これはもとに在るのは認めてます

受け入れがたいですが

古代から昔なんて言っても戦国時代や江戸時代だと言っても人類が始まってからと言えばほんの一瞬の世界です

そんな時にももっと非情な事もありました

親が子を売ったり、生贄にしたり、性奴隷や虐待なんかもありました

今みたいに情報社会じゃなかったから身近に入って来なかっただけで

合法なのかと思う程、子供を粗末に扱っていました

そんな中でも子は宝だと伝え教えてくれた人もいます

それの繰り返しでもあります

人類の成長はなく、地の果てに成り下がっています

ここ最近も3歳の子供を熱湯で死なせてしまったというニュース

聴くつもりなく、チャンネル変えたり、聴き流したりしても、お客さんとの話で残酷だねという話で知る事になったり

今は情報はどうにかして入ってくる

時間が無いのでたくさんのブログを訪問しているわけではないですが

見させてもらっているブログの中にでもネグレクトなのかご近所さんのお子さんを預かったりして奇特な方もおられて、それも大変だなと思いながら考えますが

今の世の中昔と違って3世代とかの大家族同居とかではない核家族

昔ならご近所の人も子育てを助けてくれていた時代もあるけど

今は核家族の上に、両親も仕事をもち忙しくストレスも抱えながらの子育てで自分自身の感情もコントロールできなくなっているのでしょう

昔なら大家族で、その村自体も親族や親戚の集合だったというのも何かと大変で村から出ていくのも普通だと変化していき、

そうして核家族とか、小さな集合世界の始まりでした

いつの時代でも環境や事情も変わっているけど、ある意味繰り返しです

最終、個人の意識へと変化して行ってるだけです

人間生まれたら自分自身の人生を生きるという目的は変わっていない

どんな人生であれ、その中で自分が生きていくしかない、

どんなカタチであれ命落としたとしてもそれで影響や爪痕を残しながら生きて行くしかない

昔なら「おしん」じゃないけど、幼子でも遠い地に売られ厳しい環境で働かないといけなかった

でもそこでも誰かの愛をもらって生きていくしかない

今の時代でも、虐待され、保護され、助けられ、誰かの愛をもらって生きていくしかないのか

そんなカタチでも愛をもらいながら愛が在る事を知って、あらゆる愛のカタチを生きていくしかないのか

そんな子供達には厳しくても早く大人になって自分で生きていくしかないんだよと教えてあげるべきなのか

昔だったら、そんな子供達に早く親から独立しなさい、親を捨てなさいと厳しく言ってあげて自立心を信じてあげる、それも愛なのかなって思ったり

多分そんな子供たちはそんな力も持ち合わせているんでしょうか

十分に他人の愛をもらって生きている子供達も多いですよね

捨てる神あれば拾う神あり、神様は公平に平等ですよね

そんな力がある事をとことん信じてあげる事なのかな

そんな虐待を繰り返す親たちもまた自分自身がそうされてきたので、自分の心の中に「罪と罰」を抱えて生きる課題で生きないといけないのかな

罪はまだ償えるので犯した人も最悪救われますよね

それも人類の愛なのか

昨日に、見えない世界を観る努力というテーマで考えましたが

時代の流れで繰り返し行われている現在にもそうした見えない世界が繰り返されているんです

それは今現在見える世界から今の人類がそういう見えない世界の繰り返しを理解する事で終わらせていくしかないんだと思います

普段のニュースで繰り返されれば繰り返されるほど、それに麻痺して、他人事で、表面しか捉えられなくて、見えない世界を観ようとしない人類になってしまっているかもしれない

見て見ぬ振りもいけないけど、知って知らん振りもいけない

これは今生きている人類が繰り返しやって来てしまっている事なのに…。

見て批判するだけもいけないし、変に感情移入し過ぎもいけない

下手に同情してもいけない、憐れんでもいけないし、文句だけでもいけない

全てに愛でしかないと自分の愛を知る事も課題

自分自身の愛のアップデートでしかない

時代と共に自分の中に在る低次元の感情を手放し、吹っ切る事しかない

それに関わっている人は、その繰り返しを自分の行動によって止めるお役目でもあると思います

そんな奇特な人を観て、私達もその繰り返しが行われない人間に成長しないといけないのかなと思うのです

人類の意識の成長しかないです、

高次への成長です




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