悩みなんて誰にでもあると思っているし、本当はもう既に自分の中に答えを持っているとも思うからです。
悩みだという言葉にするほどでもない事もあるし、
悩んでいること自体が恥だと思ってしまうし、
悩みを他と比べてしまうし、
悩んでいる事すら気づいていない人もいるし、
少しぐらい悩めよ!という人だっている。
悩んでいる自分に気づくなんてそれだけですごいと思う (^.^)
人間味がある、いろんな味を出せる、
どう出そうか考えているだけ。
考えるから成長する。
悩んでいるという事は脳が働いてる。
自分の中で手探り……
自分の中で葛藤……
自分の中で執着……
色んな事がクローズアップされている真っただ中なんでしょう。
ただ話しているだけで吹っ切れる事だってあるし、
話しているうちに答えに到達する事だってある。
ヒントなんてそこら中に転がっている。
人の話しを聞きながら自分の思いや考えもどんどん出していく。
そうやってただ話すだけで良い (^.^)
先日ボランティア精神を養う的な話をしましたが、
人の話しを聞くのもある意味ボランティアです。
話すのもボランティア。
愛の交流です。
話したり聴いたりって凄く愛の交流だなと思うから好きなんだなと、
自分の好きな事で納得する。
美容師をやっているとお客さんとよく話します。
話すの嫌な人は空気で分かりますからそっとしておきますが、
縁もあるんでしょうか、今のお店には話すの大好きな人が多いです。
だからこそ私も極力正直でいようと思うのですが、
やっぱり一線は越せない事も多いので配慮はします (^.^)
あまりプライベートに首を突っ込まないように。
でも流れでプライベートな話になる事も多いです。
それが愚痴だったり文句だったり悩みの答えが出ない最中のような時も。
なので、ただ聴いてあげる時もあるし、聴くだけでない時もある。
共感するだけの時もあるし、自分の体験を話して聴いてもらう時も意見を言う時もある。
それはただの流れでただの会話
そうこうしている間に人の変化も成長も見えてくる。
「悩みの相談」って概念で考えるとそれだけで自分の弱みと向き合う感じで余計に恥だの恥ずかしいだの見栄の張り合いだのと歪みが出てくる。
「悩みの相談」なんていうとちょっと胡散臭いところに入り込むイメージだってある。
それが度を超すと眠れなくなったり、食のバランスが取れなくなったり、
脳に異常まできたす場合もあります。
松果体に異常、脳下垂体のバランス、自律神経に障害。
そんな事になって病院へ救いを求めないといけなくなったりします。
それも依存の始まり、というかそれまでにもあらゆるものに依存し執着していた事に気づかず依存の延長です病院は。
近年の精神科には予約が一杯で待ちが出るほどだと言われています。
既に「病院」という区分けに入ってしまっている人が多いんですね。
自己主張の度が越えてしまったのかな。
自分の押し付け?
自分の事にも気づかず世に出て人と話している間に「聴くと話す」のバランスが崩れてしまった
話すばっかりだと、どうして聴いてくれないの?そうして分かってくれないの?の方に傾いてしまう。
やっと病院へ行って精神科の聴くプロに聴いてもらってバランスが取れだす。
そしてそのプロは話を引き出してくれる。
患者さんの心の声を引き出してくれるプロでもあるんですね。
ただそこが病院だと勘違いしている間は抜け出せない依存に入ったままです。
聴いてもらってばかりでも満足は出来ない、話してばかりでも満足できない。
話を聴く事だって必要。
それは心だから。心が交わるから温かく、正直だから癒される。
自分が自分の心と対話していないと心が満足しない。
「話す」というのは自分の心の声を聴くという事だからです。
人の話しは自分の心を引き出してくれる事でもある。
ただ会話や対話しているだけで良くて、それをバランス取りながら
自分の自律を促すものだと知っていれば
そんな根底があれば感謝な心も持ちながら人と話せたり出来るんでしょうね。
悩みの相談なんて言わないでいろんな人と話していろんな人の話しを聴く。
純真な心で交わる、客観的に交わる。
人は人、自分は自分、自他尊重で (^.^)
そうしながら自分の心と対話する。
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