無意識の期待と無意識に求めてしまっている心、そこには心と感情が共に存在しているという話でもありました。
物や出来事はどんどん消えて行くけど、
この世は諸行無常だと言われるように、色即是空といわれるように。
その時一瞬一瞬で終わり消えて行く!!
自分の脳の中に残像として残るだけ、
そして心や感情が共に働いたものが残像と共に残っている。
一瞬消えた、もう諦めた、もう許した、と共に終わっかと思いきやまた残像とともに心が沸々と湧き上がって来たりするんですよね (>_<)
感情となったら表面に表現できる事だけど、
心の奥にもきっと残っている、無意識の中にも、潜在意識の中にも残っているのです。
もちろん心の栄養となるものもあるので人間であるには必要な事 (*^^*)
それが昨日の話ではないけど、肉体の組織や内臓や細胞の中にも残っている。
肝臓が怒りの隠れた臓器だと言われるように、
消化できない事、水に流せないほどの思い、栄養だけを残してろ過しようとしてもそう出来ない思い、
隠れて見えない思いや心の陰の部分。
それも自分にとっては大事なものなのに、自分が理解してやれないと、自分の中に残ってしまう。
物質次元で、物が壊れたとしてもそこにも物への思い、作った人、考えた人、買った人、大切に思う人、色んな感情が残っているのと同じです。
だからと言って、物を捨てれないのとは違う、そのものへのいろんな思いは感謝となります。
そんな観えない世界が物にも心にも在るという事を知り感謝するだけでも自身の人生は変わって行くと思います
物や他人を観る……から……自分の内を観るという観る世界の方向が変わります。
そうすると、自分の奥に残っていた感情や心の奥の思いが観えてくる。
その思いが愛おしくなるんですよね
自分のどんな思いも愛おしくなる。
そうなると自分にもっと優しくなれるし、自分をもっと大切にしようとする。
そして自分の肉体の思いにも気づき、肉体と対話も出来るようになる。
要らない感情を剥がしていくっていうね、そんな事をしていく (^.^)
それが健康にも繋がる。
心も身体も健康が一番ですもんね (*^^*)
人生の成功はそこかな、なんて思ってて、
良い子にならなくても良い言葉でなくても、悪い経由でもなんだって気づけば良いかなと、同じところに戻って行くんだから (^^;)
最後に感謝して火葬されたら思いと共に天に昇って帰って行くのかなと (*^^*)