緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

経典なんて何だって良い!

2022-03-20 | スピ的視点
  昨日は、神社や寺院の経典を日常に活用しないと
意味が無いって話に触れてみました。
その経典を宗教家や神社や寺院のお偉い方は
どう伝えているのでしょう (^.^)
一般人にどう伝わっているんでしょう
という話でもありました。


普段から自分達の檀家のお寺とかで説法を聞いて
どう活かされているか気にならないのかなぁ
どう活かして行けば良いか理解しているのかなぁ~
信徒や門徒さん達はどうなんだろう。

説法を人にしないといけない事は絶対では無いし、
人に考えを無理強いする事でも無いです
でも活用して背をみせる事は出来るのかなって思ったりしますね。


本来は親や社会の大人達にもそれぞれの使命がある。
まあその大人達がすべて正解だとは限りません。


その大人達が人生の師だと自覚しないといけません。
自覚するために自分自身を考えてみます。
自分に誇りを持ちます。
それから子供や後輩たちを育てるのでしょう。

そして…大人達は考える事を教え
考える課題だよと問題提議を与え
それも愛なんだという事を大人が認識していないと…。


神社や寺院の経典だって活用しないと意味が無いと言いましたが
何も凄い有名な神社やお寺や宗教家の経典じゃないと駄目だとは思いません。


どこにでもある国語辞典でも
広辞苑でも良い経典になると思っています。
言葉には意味があります。
その意味ひとつとっても角度を変えると意味も広がります。
その意味が体験によっても変わります。
例文があるようにです。
その意味に味が加わるという感じにです。
その意味に感覚も加わって行きます。
その意味の本質を考えるだけでも人生のプロセスとなります。


その広辞苑でもただ読むだけでは無い
一語一語見て行くと面白い
普段興味が無かった語彙も出てきたり
その意味を考えたりして
人生に活用していき本質を知ると活かされていく
人生に意味が付随して行く
人生の理解も深まる


文字が記号から象形文字になったり、
そこからひらがなや漢字になったり、
ひらがなや漢字が熟語になって意味が増えたり、
そんな風にです。


そんな言葉の概念を自分の体験と共に活用していくだけでも
自分の人生哲学が広がり構築されていく


私の場合はふと気になるワードが頭に残るとか、
新しく知る言葉も気に止まるとか、
そうなると気になってしょうがなくなる
すんなり腹に治まる時もあれば
ずっと気になる時もある
直ぐに辞書やネットで検索するけど
やっぱりその言葉の意味だけでは腑に落ちない時もある
だから頭の片隅に残っていて、脳は働いているんだろう
後々に体験と共に深い理解を得たりする
その時のコツは何でも決めつけない事だと思ってる
決めつけたら進まないからです


こんなブログ一つにしても一応ふと閃いた言葉や文章
そんな言葉や文章であっても意味を調べて書いている
まあそれは間違っているかも知れないと思うからでもあり
勘違いや思い違いもあるかも知れないからでもある
パソコンで打ちながら横でスマホで直ぐ検索できるから便利です
それから自分の中で自分の考えとリンクさせながら
想いを乗せながら書くんだけど
それだけでも自分の人生に色がつくようにも感じる

言葉って有難い
そう思うから…国語辞典や広辞苑だって
立派な経典として活用できるのかなって思う私でした (^.^)





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 経典は活用しないと意味がない | トップ | 御真言だって使い方による »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿