オットの話で、虚像の世界が土台での嘘や秘密といった話をしていましたが
土台での噓や秘密となると、土台も虚像なのにその上でまた虚像の世界を自分が創ってしまい
それが長く続くとその嘘や秘密をも守ろうとして、自我を見失ってしまうという事でした
例えば病気の時もそうだと言いました
単なる数値や表面の症状だけで病名を宣告され、その虚像の世界を創っている事も理解しようとしない
それはそれまでの普段の世界を見直す事も無く、その時に現れた事だけをもって病気ですよというと、それは間違っているんじゃないかと思うのです
そうなった時にその世界に入り込んでしまい我を見失うという事です
そんな話をしていました
私も昔はよく悩みました
悩むと考えるし、考えると寝られなくなるし、
考えている時には自問自答したリ、一人二役も三役もしたりして
ひとり芝居を、一人会話や会議したりしていました
そんな時には結局自分で解決しているようで解決できなかったりして、自分の内側に溜まりまくっていました
こんな風に自分の世界を創り上げていくんですよね
嫌な事があったり、嫌な人と出会ったり、今いる場所が嫌だと思っていたり
そんな事で悩んでいると、それについて考えますよね
考えるとその時の嫌な状況を正当化しようとしてしまうんです
多分これも前に言った「昭和意識」の典型で、「~ねばならない」「~べきである」の意識です
嫌だと思っている事を自分にとって正当化してその世界から抜け出せないでいるんです
たとえその世界が「病気」という事でも
嫌だったら「もうお腹いっぱいです、もう終わりにします」と自分がそこから抜け出す決心をしたらいいんです
決心もしないで、どうしたいか決めないで、どんどん考えてばかり、対処してばかりでいると、本当にその今の世界を正当化して虚像の世界を創り上げてしまいます
「病気」には病気になる理由もあります、原因もあります
もちろん病理で細胞的原因もありますが
それ以前に考える余地はいっぱいあります
その前の世界はどんな生活を送っていたか、どんな人生を送っていたか、どんな世界を創っている自分がいたか
命一杯細胞や臓器や組織を働かせていたか、もう細胞もあなたの気持ちについていけなくなっているのではないか…
「病気」じゃなくても普段からの身体の「痛み」も同じです
痛みも脳が指令しています
脳が痛みというカタチでSOSを発しています
自分が自分を痛めている
もちろん肉体を酷使している場合もあるし、なぜそこの部位なのか、なぜその部位に現れてきたのか、なぜそんな世界に浸っているのか、なぜその虚像の世界を自分が正当化したがっているのか
そんな根本の仕組みを自分に言い聞かせ「もう嫌です、自分の虚像の世界を抜け出します、自分の本当の気持ちを教えてください」と決心し、
何度も自分の脳に指令する事です
そうすると、軌道修正されるし、ふと虚像の世界へ彷徨った理由が浮上します
自分が創り上げた虚像の世界を人に指摘されるのなんて余計に嫌でしょ (^.^)
浸っている自分の理解者も自分なら
抜け出させるのも自分です (^.^)
本来、虚像の世界に生まれ、魂が生きているという事を理解しないままで
どんどん虚像の世界をまた創って行くんです
それを自分がいつ気づくのか
捉え方を変えられるのか
せめて虚像の世界ならそれはそれで良いんじゃないの?と思うなら
もっと自分を大切にしたいなと思いませんか (^_^;)…
そんなことすらも嘘だと思うなら虚像の世界じゃない世界を創ろうと思うのも良いのかも知れませんよね
この今の生きてる世界が一体どんな世界なのか探究して見るのもいかも知れません
勝手に思い込んで自由に世界を創って、世界に浸っているのは身勝手なことだと思いませんか (^.^)
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